2.
宿の一室。
いつもどおりの時間に目を覚ましたが清々しい朝とはいかなかった。
それもその筈、昨晩は人を一人斬ってきたのだから。
二階の部屋から一階の食堂へと降りる。
「お前ぇはいつも早ぇな」
連れである少女に声をかけるが、コクリと頷いただけだった。
ゼノも丸テーブルに着く。
少女の名はローグル・レイ。本名かどうか定かでは無い。ちなみに“ゼノ”は本名である。
かつて密剣と呼ばれていた少女は、艶やかな黒い髪を流し、一本のおさげを作って後ろに垂らしていた。
常々ポーカーフェイスな彼女は以前、口元や顔の大部分を隠していたが今はその美しい美貌を外気に晒している。
ゼノはあまり女性の事は分からないが、彼女は美しい方でも更に上に位置するのだろう。
口元に紅をさしていないが、妖艶さを漂わせるその唇は魅惑的な香りがある。
「お待ちどうさまです」
ウェイトレスは注文も取らずに品物を置いていく。常連ともなれば頼まずとも運ばれてくるのだ。
質素で固めな黒パンとサラダ、クリームシチューというメニューだ。そして何故かゼノはものすごく辛い調味料を取り、パンに塗りたくる。彼は辛いのが大好物であった。
一般の人が見たら青ざめそうな量の真っ赤な調味料を塗ったパンを一口。
「やっぱ美味いな」
黒パン(激辛)、サラダ、黒パン、クリームシチュー、黒パンの順に口に運ぶ。
この二人に会話はほとんど無い。
性格からなのか、主義からなのかローグルは喋らないし、ゼノからいちいち語りかけたりしない。
無言のままゼノが食べ終わり、席を立つ。それと同時に(既に食べ終わっていた)ローグルがククル茶を置き、立ち上がった。
部屋に戻ったゼノは剣と小盾を持つ。ローグルも暗器を幾つか装備していた。
「行くぞ」
コクリ。
たったそれだけで彼らの会話は成立する。
ゼノとローグルは並んで平信京の街を歩く。しかし決して観光などではない。彼らは仕事場へと向かっているのだ。
建物の間の迷路のような路地を縫うように進む。
表通りの赤を基調としたきらびやかさに比べ、裏路地は灰色で、殺風景なものだった。まるでこの街の裏表を表しているようであった。
職を失った者たちは汚い衣服を纏い、膝を抱えて座る。親の居ない子供や捨てられた子供たちはゴミ箱を漁っている。しかし、これでも裏の顔のほんの一部である。
しばらく歩いた後、前方から怒鳴り声が響いた。
「こんなものも運べねぇのか!! てめぇは高かったんだぞ!! 少しは役に立って貰わなければ困るんだよ!!」
見ると、小太りな男が茶髪の少女(衣服は汚れた布)を殴っていた所だった。籐籠が横倒しになり、辺りには果物が散乱している。
少女は十歳前後に見えた。
何度もその小さい頬を殴られる。しかし少女はその瞳から雫を零さなかった。
「朝っぱらから胸糞悪いモン見せてんじゃねぇよ」
自然と声をかけていた。自分でも何故声をかけたのか分からない。
「なんだぁてめぇは?」
小太りな男の視線がゼノに移る。
「俺が買った商品だ。どう使おうが俺の勝手だろうが」
「じゃあ、俺が買ってやるよソレ」
口が勝手に動いていた。自分でも驚いている。
「ほう? そうだな…………七十万セルでいいぜ」
案外安かった。ゼノが毎回稼ぐ量の七割くらいだ。だだし、仕事の種類によるが。
ほらよ。とポケットから十万セル札を七枚、丸まっていた物を放り投げる。
小太りな男は目を白黒させながら十万セル札を受け取って広げ、日光に透かして見たりしている。
「この子供はもらっていくぜ」
言うと、ゼノはその得物を鞘から抜き放ち、少女に繋がれた鎖を断ち切った。
「これで、自由だな。何処へでも行きやがれ」
しかし少女は動かない、黙ってゼノの服の裾を引っ張るだけだった。
「なんだよ?」
問うが、少女はかぶりを振り、黙って裾を掴み続けるだけだった。