火色の虚偽
毎度のこと遅くなりました。
呆気ない幕引きだ。
脳を失った雛魅は、首から血を撒き散らしながらその場に崩れ落ちた。
返り血を浴びた《変位種》は、銀濁色の甲皮を赤く汚しながら、口に含んだ頭部を咀嚼せずに丸呑みにした。
生首が食道を通り、その間喉が大きく膨らんだのが見えた。
《変位種》は呆然とする一条を一瞥すると、彼を嘲笑うかのようにケタケタと笑いながら、血溜まりに沈む雛魅をさらに捕食しようと手を伸ばす。
彼女の頭部は、《銀血》によって再生が始まっていた。
「まだ生きてるな」
しかし、一度脳を失っている為、頭部が完治しても意識までは戻らないだろう。
ならば、都合がいい。
ここで《変位種》を退けることができれば、失神している雛魅を回収できる。
《神位種》の情報はその後に聞き出せばいい。
雛魅に利用価値があると判断した一条は、みすみす餌にさせない為にもすぐに動いた。左手の《黒刃》を発動させ、相手に向かって全力で投擲する。
高速で飛んだ《黒刃》は、雛魅を掴もうとしていた《変位種》の左腕に、深々と突き刺さった。
《変位種》は笑うのも含め、ピタリと動きを止めたかと思うと、一条を睨んだ。
「じャマ、あみゃ。ダャま?ジャマじゃぢゃだ。オミャ、おまエぎゃラか?」
低く、ゾッとするような声だ。
それを聞いても一条は怖気ずくことなく、空いた左手で代わりの《黒刃》を拾い上げた。
「そいつが食われると困る」
言いながら、周囲を確認する。
倒した《擬食者》の分だけ《黒刃》がある為、質はともかく武器に困ることはないはずだ。
「キョロづ。ぎょオス、こおうっ、コオウ!でィネッ!!」
「?・・・ああ。『殺す。死ね』って言ったのか」
こういう場合は、笑って神経を逆撫でするのがいいのだろうが、相手がそれを理解するとも、それをするのも面倒だと思い、彼は全く笑うことなく言い返す。
「お前が死ね」
「ガルァァァァァ!!!!」
《変位種》は雛魅が使っていた大剣を拾い上げると、咆哮を上げ、姿を掻き消す。
透明化したのではなく、その巨体に似合わぬ超高速移動をしたのだ。
《変位種》は一条を一瞬で大剣の間合いに捉えると、上段から力任せの一撃を放った。
⌘
(・・・重い)
何度目になるか分からないほど、一条は同じことを思った。
何が重いのかと問われれば、左肩の『お荷物』だ。
今この状態を《擬食者》に狙われたら、生き延びることができる自信は無いに等しい。
持っている武器は、左腰の直刀型の《黒刃》一本。それも十秒発動することができればいい方だろう。
他の《黒刃》はというと、全て突き刺してやった。
(あれで死なないとは、本当に化け物だな)
なんとか《変位種》を退けることはできたが、相手は予想以上にしぶとく、連戦で《銀血》と体力を消耗していた一条にとっては辛い相手だった。
下手をしていたら死んでいただろう。
(あれだけの深手だ。当分大人しくしてるだろ)
今はその辺の《擬食者》の方がよっぽど怖い。
もう少しで、戦闘があった場所から十分とは言えないものの、妥協できる程度には距離が開く。
戦闘後の様子を見に来た《擬食者》に見つかる確率も減るだろう。
《擬食者》達は《変位種》を恐れているようで、接近を察知した《擬食者》達は途中から集まらなくなった。
殺気を隠しもしないその脅威対象が突如居なくなったのだから、確認したくなるのは当然だろう。
だからさっさと遠くへ逃げたいところではあったが、 《銀血》が枯渇している為、移動方法は限られ、集中力を欠いている今、いつも通りに索敵をこなせているかは怪しい。
できるだけ早く休息できる場所を見つけたいところだった。
一条はこんなに追い詰められたのは久々だった。
装備品は全てボロボロで、唯一無事なのが直刀型の《黒刃》だ。
全身に治っていない生傷が無数にあるが、血を浴びた回数が多過ぎて、今は流血しているのかすら分からない。
(こいつ、邪魔だ・・・)
その状況で、『お荷物』を捨てたくなるのは仕方がない。
だが、ここまで来て捨てたらなんの為に命をかけたのか分からない。
自分でも引っ込みがつかない状態なのだ。
一条は今すぐ放り出したい衝動を抑え、前を見据えた。
すぐそこに、高層マンションの入り口があった。
(もう少しだ・・・)
フラグを立てるようなことを思考しながら中に入り、階段を登り始める。
《擬食者》には見られていないようだが、今の索敵能力は信用できない。油断は禁物だ。
一段登る毎に募っていく億劫さも耐えきり、入り口の電子錠が壊れた適当な部屋を選んで中に入った。どうせ《擬食者》にとっては、電子錠などあってもなくても同じことだ。
やっと休める場所に着き、一条は溜まった不満を吐き出した。
「目を覚ましたら、利用するだけ利用してやる」
捉え方によっては危ないことを呟きながら、一歩を踏み出す。
だが、その一歩は彼の体重を支えることなく、膝をついた。
「こ、いっーーーーー」
ゴンッ!と鈍い音が聞こえたような気がした。
後頭部を襲った痛みの原因を理解した一条は、言葉にならない声を発しつつ床に突っ伏した。
*
雛魅は上下に揺れる度、腹部が痛むのを感じた。
強い鉄の匂いもする。
自分が腹をくの字に折って担がれているーーーーー干された布団状態になっていると理解したのは、少し経ってからだ。
(なんで・・・?誰に・・?私、何してたんだっけ・・・?)
朦朧とする意識の中に疑問が浮かぶが、それが解けることはなく、痛みと共に揺られていると、突如揺れが止まった。
ドアが開く音が聞こえ、また揺られ始めるとドアが閉まる音が聞こえた。
「目を覚ましたら、利用するだけ利用してやる」
最後に危ない発言を聞き、ようやく危機感が出てきたのか、彼女の脳は覚醒を始めた。
(私・・・、ッ!?)
雛魅は意識を失う直前に何があったのか思い出し、一気に顔を上げる。
結われていない、垂れていた髪のカーテンを突き破って確保された視界には、閉まっているドアが映る。
すぐに自分の状態を確認するように、後ろを首だけで振り返る。
自分を担いでいる人物は、長めの銀髪を襟足で束ねている《擬食者》だった。
躊躇はしなかった、というより考えるより体が先に動いた。
背筋を使って上体を跳ね上げ、一条の後頭部に本気の肘鉄を見舞う。
ゴンッ!と鈍い音が鳴り、頭部を変形させた感じがした。
「こ、いっーーーーー」
脳を揺さぶられ、脱力した一条の左腰の《黒刃》を奪いながら距離をとる。
油断なく《黒刃》を構えるーーーーーが、床に突っ伏した彼は動かない。
油断を誘っているのかという読みが彼女の警戒心を高め、少しの間様子を見ていたが、動かない。
《銀血》を全身に巡らせ、《黒刃》を発動させながらそっと近づくが、動かない。
ものは試しとばかりに腕を切り落としてみるが、動かない。それどころか、塞がらない傷口から赤い血が溢れてくる。
「っ!?」
まずい、と彼女は自分の過ちに気づくと、大急ぎで一条の腕を縛ることで止血をして、部屋の中へ運んだ。
*
壁に背を預けて立っている一条の視線の先に、アホ毛が生える頭頂部がある。
床に正座し、顔を俯かせている少女の心情を表すかのように、そのアホ毛は萎れていた。
「ごめんなさい・・・」
「・・・」
「わざと・・・ではあるけど、悪気があったわじゃない・・・と思う」
「・・・」
終始無言の視線を受け、雛魅の声は最後の方には消えそうになる。
怒っていると思っているのだろう。
確かに一条は怒っているが、怒鳴る気はない。彼女が怒りの度合いを見誤っているのは、彼の目つきが悪く、睨まれているようにしか見えないからだ。
だからと言って、一条は怒っていないと言うつもりはなかった。
できるだけ立場的な優位を確保しつつ『神』の情報を聞き出す、という打算を脳内で働かせていた。
「助けてもらった礼に、楽にしてくれるとは気がきくな」
「うっ・・・」
適当に皮肉ってみたが、存外効果があるようだ。
「肘鉄で頭蓋骨が陥没したのは初めてだな」
「うっ・・・」
「寝てる奴の腕を切り落とす趣味でもあるのか?」
「うっ・・・」
「《第二都市》で窓際で寝ることがどれだけ危険だと思ってる」
「そ、それは善意でやった過ちだから許しーーーーー」
「なにか言ったか?」
「なんでもありません」
この状況での口喧嘩なら負ける気がしないのは、一条の気のせいではないだろう。
肘鉄をくらったことと、頭蓋骨が陥没したことを知っているのは、気絶する直前のことだったからだ。
腕を切られたことを知っているのは、玄関に自分の腕が落ちていたからだ。
雛魅は気を失わせた一条の《銀血》が回復されるまで、ベッドで治療を行ったらしい。部屋のカーテンも閉めずに。
カーテンが閉まっていない窓際で寝ていれば、《擬食者》に襲われる確率が高いのは当然だ。
しかもそんな危険な場所に、気絶して無防備な彼を放って置いて、自分はシャワーで血糊を流していたときた。
一条の皮肉と嫌味は、それらに関する不満の表れだ。彼なりの文句やクレームと言ってもいい。
それを使って、このままいじめ続けてもいい。
だが、そういう趣味があるわけでもなければ、いじめるのも面倒くさくなってきた。
気絶している間に回復した《銀血》の影響で、既に腕も頭蓋骨も元通りの為、それ以上いじめることなく、本題に移ることにした。
「・・・『神』について何を知ってる」
唐突に話題が変わり、雛魅は困惑したような雰囲気を出したが、皮肉&嫌味地獄から逃れられると判断したのか、顔を上げた。
その顔はマスクで隠されていない。
《変位種》に、一度頭部を丸ごと噛みちぎられ、マスクやインカム、髪留めなどは失われていた。
ポニーテールだった髪は結われておらず、戦闘では邪魔になりそうな長い髪がそのままの状態になっていた。
一条はどうも思っていないようだが、露わになっている顔はかなりの美少女だ。
「『神』っていうのは、《神位種》のことだよね?『ラストイヴ』を引き起こした」
「『ラストイヴ』っていうのは?」
「?《第二都市》が滅ぼされた日のことだけど・・・」
そう呼ばれてるのか、と一条は理解を示しながら先を促す。
「知りたいのは、ここ三年以内の情報だ」
「『ラストイヴ』以降は出現してないって聞いたけど。深手を負ったとか、死んだとかっていう噂もーーーーー」
「世間の希望的観測はどうでもいい。他にないのか?」
雛魅は、話し出した情報を一蹴されると、首を横に振った。
「《神位種》だって断定された情報どころか、それらしい個体の出現も確認されてないよ」
「外れだったか・・・」
都市の生存者なら何か知っているかもしれないと期待したが、あてが外れたようだ。
一条は、無理をして《変位種》を退けたことが徒労に終わったことにげんなりした。疲れが一気に増した気がする。
「・・・でも」
そんな彼の様子には気にも留めず、雛魅は続けた。
「私が乗ってた飛行機は、翼を持った《擬食者》に落とされたの・・・」
「・・・それが《神位種》だったと?」
「わからないけど、私じゃ手も足も出なかった」
どのような状況だったかは分からないが、彼女が手も足も出なかったとなると相当な強者だろう。《優位種 上位》以上かもしれない。
(翼、か。飛べる《擬食者》・・・、『龍』と同類か?)
考察している間、雛魅は言うか言わないか迷う素振りを見せた。
「それに・・・」
「?」
一条は怪訝そうな顔をしたが、急かさず待つ。
彼女は、思い切って告げた。
「擬態した姿は君に似てた気がする」
予想外の言葉だった。
一条自身、心当たりはある。
だが、まさかそこまで決定的な証言が出るとは思っていなかった。
「・・・そうか」
生返事になるほど、頭はそれどころではなくなっていた。
(墜落地点から考えて、襲撃地点は《第二都市》上空か・・・。
今はどこに居る。何を考えてる。何を狙ってる。
待てよ、なんでこいつは生きてる?襲撃しておいて殺さないってことは、こいつは邪魔な存在じゃないのか?
そもそも、飛行機に乗っていた連中のうち、誰かが邪魔だったから落としたんじゃないのか?
《変位種》もそうだ。何か狙っているなら、あんな狂獣をなぜ消さーーーーー)
次々と疑問が湧いていくうち、ある結論にたどり着いた。
(俺とこいつを引き合わせる為か?)
そこまで考えて、顔に手を当てる。
自分は今どんな顔をしているのだろうか。
客観的に見ることで、冷静かどうか確かめたくなった。
(冷静じゃないな。『あいつ』にこだわりすぎだ)
意味のない憶測を展開していたことに、今さら気がつく。
「大丈夫?」
「大丈夫だ・・・」
不安気な問いかけに適当に返し、壁から背を離す。
状況がどうあれ、まずは装備を整えるのが先だろう。
現在一条が身につけている服は、治療の為に気絶している間に下着以外は全て脱がされ、洗濯機の中に放り込まれていた。
血などの汚れは落ちたものの、お蔭で『ボロボロ』という状態に一層磨きがかかっている。
とはいえ、治療については随分丁寧に行ってもらったようだ。
大きい負傷がないか確かめる為、体を汚していた血糊のほとんどが拭われ、治っていない傷口は消毒したらしい。
(雑な扱いを鑑みなければ、ありがたいの一言に尽きるが・・・)
治療してもらったことは事実だ。
それはそれ、これはこれ、と割り切ることにした。
「治療してくれたことには感謝してる。助かった」
「い、いいよ別に。私の方こそ、助けてくれてありがとう」
雛魅が礼を言うと、一条は玄関に向かいながら本音を言った。
「俺は、お前に利用価値があったから助けただけだ。礼はいらない」
「それなら私も当然のことをしたまでーーーーー、って、どこ行くの?」
「帰る」
立ち止まることもなく返された答を聞き、雛魅は慌てて立ち上がった。同時に、アホ毛もピンッと直立した。
「待って、私の《黒刃》は!?」
「大声を出すな。《擬食者》にみつかる」
「ご、ごめんなさい・・・」
たしなめられ、アホ毛がまた萎れる。
一条はそれを見て溜息を吐いた後、誤魔化すことなく告げた。
「あの大剣なら《変位種》に突き刺した」
「えぇ!?じゃあどこにあるのかは・・・」
「知るか」
「私ほぼ丸腰なんだけど・・・」
またアホ毛がピンッと直立したかと思えば、また萎れる。忙しい少女である。
直刀型の《黒刃》は、一条の左腰だ。それ以外の《黒刃》は彼も持っていない。
「予備の《黒刃》と銃があるだろ。まあ銃なんか《第二都市》で使えば、どうなるかは目に見えてるけどな」
「知ってるならついて行ってもいい?小刀型の《黒刃》だけじゃとても・・・」
「・・・」
その言葉を聞いて足を止めた一条は、一瞬面倒くさそうな顔をしたが、すぐにその申し出に利益を見出した。
「なら、あの大剣を探すのを手伝ってやる」
「本当!?」
雛魅の顔がパァっと輝いたのは気のせいではないだろう。
「ただし、条件がある」
「な、何?」
一転し少し身構えたのも気にせず、条件を提示した。
「《変位種》を殺すのを手伝え」
「なっ!?ほ、本気!?」
一条は驚愕する雛魅とは対照的に、《平位種》や《劣位種》を殺すことと変わらないかのように続けた。
「別に不可能じゃない」
「それはそうだけど・・・」
「動きは力任せで、《優位種 上位》の方が知能がある分技量があって厄介だ」
「《優位種 上位》と戦ったことあるの?」
「ある」
「結果は?」
「辛勝」
雛魅は呆れたようだ。
「一人で倒すなんて勲章ものだよ・・・」
「貰っても嬉しくないな」
目的が果たせなかったのだから意味がない、と内心自嘲する。
「脅威的なのは回復力だ。《変位種》とは初めて実際に戦ったが、簡単には死なない」
彼は妙な言い方をしたが、雛魅はそれどころではなかったのか気づかなかったようで、話の腰は折らなかった。
「『共食い』もするしな。で、どうする?のるのか?のらないのか?」
そう言って、協力を持ちかける。
説明するのも面倒くさくなったようで、所々説明を省いたのは言うまでもない。
「なんで《変位種》を殺すの?」
その疑問はもっともだ。
回復力も含めれば《優位種 上位》より厄介な《変位種》を、リスクを冒してまで殺そうと言うのだ。
一条はそのもっともな疑問に、ただ一言で答えた。
「邪魔だからだ」
なんで?とは言わせない威圧感があった。
雛魅は思わず別のことを訊いた。
「大剣の回収は先にしてくれるの?」
「ああ」
「大剣を取り戻した後、私が逃げたら?」
「捕まえて、《擬食者》の群れの前に放り出す」
「・・・」
冗談に聞こえないのが怖いところだ。
気になって訊いてみたが、聞かない方が良かったと、今更ながらに後悔しつつ、雛魅はその提案に乗ることにした。
「のるのはいいけど、私も手伝って欲しいことがあるの」
「なんだ?」
「君は今まで《第二都市》に居たんだよね?」
「ああ」
「中央ビルまで安全なルートで連れてってくれる?できるだけ早い方がいいんだけど」
中央ビルは、《第二都市》の中心に建っている巨大なビルだ。
行政、立法、司法のそれぞれの機関を詰め込んだビルーーーーー政府の本部と言っていい。『元』がつくが。
「別にいいが」
「うん、ありがとう」
ここで理由を知ることはできないだろう。
『手伝って欲しい内容と理由』は、そのまま『自分の目的』に繋がることだ。
会ったばかりの相手に助太刀を依頼し、目的を邪魔されたのでは堪らないだろう。
自分の目的が、依頼する相手にとって不利益にならないというのは必須だ。自分の不利益の為に動く者など物好きだけだろうし、最悪邪魔される。
相手にとって不利益かどうかが分からないなら、最低限信用できるかどうかだけでも知る必要がある。
もっとも、一条は自分がどう思われていようが気にしていない。
彼が《変位種》を倒そうとしている理由は、『神』の情報を持っている《擬食者》が食われないようにする為だ。
それを防ぐ為に、《変位種》を早めに倒すのに協力してくれればそれでいい。
(一人で殺るのは骨が折れるしな・・・)
思考しながら部屋を出ようとする。
それをまた雛魅の声が引き止めた。
「そういえば、君の名前は?」
「一条 拓海だ」
「私はひなーーーーーた。そうっ、日向 友火!」
(名乗るとき、普通『そうっ』とか言わねえよ)
名前すら偽るとは、『偽りに抗う者』が聞いて呆れる、と一条は内心皮肉ったことを隠しもせず言いながら部屋を出た。
「よろしく、日向」
「う、うん、よろしく」
今度こそ止められることなく部屋の外に出る。
その後ろをついて歩く雛魅の顔には、後ろめたさが滲み出ていた。
それは、名前を偽ったことだけではないことを表していた。
*
人数が七人に減った黒尽くめの部隊は、逸れてしまった際の合流地点に向かっていた。
周囲の警戒は怠らず、静かに、ただ早く移動を続けている。
彼らは《偽抗者》だ。
《擬食者》達が跋扈する《第二都市》で問題なく活動できると判断された精鋭達で、実力はなかなかのものだろう。
事実、これまでに何度か《擬食者》と戦闘になったが、苦戦することなく殲滅してきた。
その中の一人の男が、隣の男に唐突に会話を振った。
「雛ーーーーーストラも無事だといいな」
「大丈夫だろ。あいつは、俺らより強い」
「だな」
『お前達、極度に緊張しろとは言わんが、無駄口はたたくな』
二人とは少し離れた所にいた黒田が、すぐに無線でたしなめる。
男達も大人しく従った。
「「了解」」
静寂に包まれた移動が再開する。
だが、少し進んだところで部隊は足を止めた。
『全員止まれ』
黒田の指示で全員足を止める。
「なんだ、これは・・・」
呆然と呟いた黒田の目の前の道に広がっていた光景は、大量に転がる《擬食者》の死体と、道を汚す大量の『墨』。
そこいら中に深々と刻まれた破壊の爪痕から、戦闘があったのは明らかだ。
そんな場所で、部下の一人が何かを見つけた。
「隊長、これを」
それは、鋭利な刃物で切り裂かれたようにバラバラになった、自分達が使用しているものと同じ軍用ベストだった。
「ストラの・・・」
間違いない。
この軍用ベストは『ラストイヴ』以降に製造されたもので、そんなものが《第二都市》に落ちているはずがない。
「ここで大規模な戦闘があったのか・・・」
死んでいる《擬食者》の数からして乱戦になり、その際に切り裂かれたのかもしれない。
軍用ベストには人の血がついていなかった。
つまり、斬られたのはベストだけだということだ。
その事実に黒田は安堵するが、道を少し進んだ場所でそれは潰えた。
「これは・・・」
見つけたものは、時間が経ち変色した赤黒い血溜まりの中に落ちている茶色の髪だった。
その髪の長さは、丁度雛魅のポニーテールと同じぐらいだ。
「ストラ・・・」
血の量が尋常ではない。
髪も落ちていることから、髪ごと首を刎ねられたと黒田は予想すると共に、頭の中に最悪な状況も浮かぶ。
死体が無いのは、首を刎ねられ意識を失った後、捕食されたからかもしれない。
だが、《擬食者》が肉片を全く残さず捕食できるとも思えない。
決めつけるのはまだ早い、と自分に言い聞かせながら、重くなった部隊の空気を払拭しようとした。
『死んだとは限らないぞ。遺体も《黒刃》も無い』
希望的観測に過ぎないが、間近に死を突きつけられて指揮が下がるのは、何としても防がなくてはならない。
『ひとまず、合流地点の中央ビルに向かうぞ』
無線から響く彼の声を聞いた部隊の空気が少し軽くなる。
だが、その空気をもう一度重くするかのように、男の声がした。
「それは不可能だ」
黒田達が進もうとしていた方向から聞こえた声は、黒田の言葉を最後に再び静けさを取り戻したその場では、大きく響く。
全員が一瞬で戦闘態勢に移行した部隊に向かって、声の主は、《擬食者》の死体が散らばる道を悠然と歩いて来た。
その姿は、ボロボロの衣服を身に纏った青年。長年放置したかのような長い銀髪に、右手には一振りの《黒刃》を持った彼の顔は、歪んだ笑みを浮かべていた。
「お前らはここで死ぬ」
突如そう告げられ、黒田は《黒刃》を発動した。
「何者だ?」
「呼び名は色々だ」
足を止めた青年はつまらなそうに返す。
「悪魔、堕天使、使徒、死神、怪物、化け物、捕食者、《擬食者》」
「・・・!?」
最後の言葉を聞いて、警戒心が跳ね上がる。
それに気づいても、青年は態度を変えることはなかった。
「まあ、お前らに一番馴染み深いのは、《神位種》とか『神』って呼び名か」
「《第二都市》では、冗談一つでも殺されるということを理解しているのか?」
「お前らじゃ遊び相手にもならないな」
青年はさも当然のように言うと、それぞれ《黒刃》を構える黒田達へと歩み寄る。
その足取りは普通の歩行となんら変わらない。
黒田はそれを好機とみて部下達に指示を出した。
『相手を《擬食者》と断定。合図したら『A-13』だ』
『A-13』は攻撃のフォーメーションだ。この場合、隊長の黒田ともう一人の隊員で先陣を切り、二人の隊員が後に続く。残った三人の隊員はフォローや援護にまわることになっている。
青年は《擬食者》、それを否定する者はおらず、命令に逆らう者もいなかった。
《第二都市》、強いて言うならば『外』はその『否定』を許さない場所である。
黒田は青年との距離を測りつつ、《銀血》で身体強化をした。影響で、の左眼の瞳孔が縦に裂け、銀色に輝く。
部下達も同じことをしているはずだが、青年は無用心に接近を続けている。
そして彼が、一歩を踏み出そうと足を上げ始めた瞬間。
『ゴーッ』
ブンッッッ!!!!
合図と共に青年の元へ踏み込んだ黒田は、駆け出した直後に自分の横を何かが通り過ぎたのを理解した。その正体を確かめぬまま、間合いに捉えた青年に《黒刃》を振るった。
「シィッ!!」
「ツーストライク」
馬鹿にしたような声。
振るった長剣は、黒田自身の胸を貫いていた。
「!!??」
「言っただろ。遊び相手にもならないって」
長剣を持っていたはずの両手の感覚が無くなり、手首と胸が熱くなった。
すぐに両手が斬り落とされたと理解すると、痛みが湧き、心臓が貫かれたせいか、一気に脱力し膝をついた。
「ぐぅおッ」
血を吐き出しながら呻く。
どうやって腕を斬り落とされ、いつ奪い取られた《黒刃》を刺されたのか、全くわからなかった。
攻撃は完全に知覚の外で行われた。
目を白黒させる黒田を嘲笑うかのように、青年は胸に刺さした長剣を引き抜いた。
「がはっ!?」
「仮にも《偽抗者》か」
道を染める鮮血が溢れるが、すぐに止まる。両手もほとんど治っていた。
青年は、黒田が動くより先に背後に回ると片足に長剣を突き刺し、道に縫い止めた。
「ぐッ、アァァァッ!!」
「それにしてもお前の部下は薄情だな。一人負傷したのを口実に、誰も助けに来ない」
黒田は痛みを堪えつつ、首だけで後ろを振り返る。
そこには、ピクリとも動かない一人の隊員の姿があった。
他の部下は何が起きたのか理解できていないのか、困惑し足を止めていた。
倒れた隊員の近くには、彼のものではないーーーーーそれどころか、この調査部隊内の誰のものでもない《黒刃》が落ちていた。
「まさか・・・、私が踏み出すのと同時に横を通過したのは・・・!」
青年の手から《黒刃》が消えていることに今さら気がつく。
「投げたというのか・・・!?」
「お前ら相手じゃ野球もできないな」
青年はふざけたことを言うと、残った五人の方に歩み寄る。
「こいつはやばいッ!!。お前達、逃げろぉッ!!!!」
その命令が、遂行されることはなかった。
読んでくださってありがとうございました。
次話は再来週(12/26)の同時刻の予定です。