夏休みの学校
この作品は、うさぎサボテンさん企画の「テーマ小説or漫画書きませんか?企画」に参加させて頂いたものです。
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企画概要→ http://7822.mitemin.net/userpageblog/view/blogkey/5460/
お題イラスト→http://7822.mitemin.net/i119390/
あと、自分ルールとして、「登場人物の心理描写はしない」という縛りを付けてます。
夏休みでも学校の予鈴は鳴る。部活動の終了時刻を知らせる予鈴が16時半で、下校の予鈴が17時に鳴り、17時15分に校門の扉が閉まる。野球部もサッカー部もバスケ部も吹奏楽部も、そして、文藝部も。学校中の部活動の全てがその日の活動を終える。
遠藤は本から顔を上げ、彼の制服のポケットに入っていた懐中時計に目をやった。そして、本に栞を挟み、手に持っていた本を机の上に無造作に置いた。部室には、彼一人だった。窓を閉めても響いてきた不快な金属音はしなくなっている。彼は、締め切っていた窓を開けた。もう夕方だと言うのに、生温く、首回りにべと付くような風が、冷房の効いた部屋に入ってきた。
「こんなに暑いのに、野球とか、馬鹿じゃねぇの」と、遠藤は呟いた。かつての仲間達が、球を拾い集め終わりグラウンドをトンボで平していた。グランドから舞い上がっている土埃は、薬缶から沸き立つ水蒸気のようだ。
「甲子園でも見てろよな」と遠藤は言って、窓を閉め、カーテンを閉めた。野球部は、遠藤が右足の靱帯を痛めて退部してから、部員が8人になっていた。「集合」という野球部の部長の声が、文藝部室の中まで響いてきた。遠藤は一瞬足を止めたが、すぐに動き出し、空調を切り、灯りを消し、部室の鍵をかけた。
廊下の空気もグラウンドの空気と同化していた。廊下に響いているフルートの音が、より一層汗をかかせる。廊下の窓は全て解放されており、文藝部室の前の窓も開けられていた。
「誰だよ、窓なんか開けた奴」と言いながら遠藤は部室の前の窓を閉めた。隣の化学部の部室の扉が開いていた。遠藤が化学部の部室を通り過ぎ様に見ると、山崎が化学部の部室の中にいるのを見つけた。山崎は、どこで買ったかは知らないが、白衣を着ていた。山崎と遠藤は同じ学年だ。
「おい、山崎、廊下中の窓を開けたのお前か? 」と遠藤は言った。
山崎は、ガスコンロの火を止め遠藤を見た。化学部の部室は、うっすらとアンモニアの匂いが残っていた。
「お前も来てたのか。ご明察。犯人は俺だ」と山崎は言った。化学部の机の上の試験管スタンドには、試験管が5本立ててあり、試験管の中には紫色の液体が入っていた。その横のペットボトルにも、同じ色の液体が入っていた。そして、マヨネーズも机に置いてあった。
「お前、何やってんの? 」と遠藤は聞いた。
山崎は、試験管を右手で振りながら「青森のばあちゃんに頼んで送ってもらった紫キャベツが届いたから、試験液作ってた」と言った。
「それって、高校生が夏休みにやることか? 小学生か中学生の自由研究じゃん」と遠藤は言った。遠藤は、紫キャベツ試験液を使って、アルカリ性と酸性を判別するという理科の授業を受けた記憶があった。
「その通り。だから明日、近所のガキンチョ集めて実験よ。持ち寄った物の属性を調査すんだよ。お前の妹も、詩織の弟も参加予定だぞ」と、山崎は言った。山崎は、近所の小学生に自分を、マッド・サイエンティスト・ヤマサキと呼ばせていた。
「お前も良くやるなぁ。まあ、子供に危険なことは教えんなよ。あと、廊下の窓、閉めてけよ」と遠藤は言った。
「おい、遠藤。手伝っていってくれよ。試験管洗うか、鍋の中の試薬をペットボトルに入れてくれ」と山崎は言った後「手伝ってくれたら、詩織の家が、アルカリ洗剤と中性洗剤、どちらを使っているか、分かったらだけど、教えてやるぞ」と山崎は言った。
遠藤は、山崎の言ったことを無視して、化学部部室を通り過ぎた。フルートの音は、まだ鳴っている。
遠藤は3階から2階へ、そして2階から1階へと降りようとして、2階で足を止めた。2階と1階の階段の踊り場に、詩織がいた。階段の踊り場に置いてある鏡と向き合いながら、フルートを吹いていた。
「おーい。もう部活動終了の予鈴はとっくに鳴ったぞ」と遠藤は言った。声が、コンクリートの階段を上り下りして、踊り場の詩織の耳にも届いた。
詩織はフルートを慌ただしく口元から離し、踊り場から2階を見上げた。詩織の長い髪は、彼女の首の動きに引っ張られて、少しだけ波打った。踊り場の窓から差し込む光が、うっすらと詩織の影を作っていた。その影は、短く、階段までは伸びていない。
「なんだ。遠藤じゃん。驚かせないでよ。先生かと思ったじゃん」と、詩織は言った。
「すまん、すまん」と言いながら遠藤は階段を降り始めた。そして、「予鈴が鳴ったの気づいている? 」と言った。遠藤は、ゆっくりと階段を降りる。
「もちろんだよ。吹奏楽部員の耳をナメないでよね。あ、いま何時か分かる? 時計、音楽室に置いてきてやった」と言った。遠藤は、懐中時計を取り出し、「4時、43分」と言った。
「あ、その時計、使ってくれてるんだね。あ〜、あと7分か。今日も掴めなかったなぁ」と詩織は言った。詩織は、課題曲の特定のパートで息が漏れたような音を出してしまっていて、それを旨く吹けるように此処数日練習をしていた。
「詩織、帰るなら、一緒に帰るか? 少しくらいなら待つぞ」と、遠藤は言いながら懐中時計をポケットにしまった。この懐中時計は、去年の商店街の年末福引きで、この町唯一の時計店が景品として出したものを、詩織が引き当てたものだった。詩織の家族も要らなかったようで、遠藤が遅めのクリスマスプレゼントとしてもらったものだった。詩織は、自転車屋が景品に出した、電動自転車が欲しかった。遠藤は、電気屋が出したウインドウズ95が搭載された新型のパソコンが欲しかったが、彼の当たったのはティッシュだった。
「ごめん。友達と一緒に帰る約束しちゃってるんだ」と、詩織は言った。フルートを両膝の前に置き、詩織は軽く頭を下げた。耳に引っ掛かっていた髪が最後にふわりと落ちた。詩織が一緒に帰る約束をしていたのは、詩織が1ヶ月前に付き合い始めた吹奏楽部の先輩とだった。彼女の初めての交際相手だった。
この町は、小さい。高校も、公立の高校が1つあるだけで、クラスも学年に1つだけだった。デートをする場所も、駅前のカラオケ店かゲームセンター、神社の境内くらいしかない。当事者達が明言しなくても、噂はすぐに確証へと変わる。
「それなら別にいいんだ。そうそう、妹が昨日、夕食までご馳走になったらしいな。お邪魔しました」と、遠藤は言って、頭を軽く下げた。
「私は何もしていないし。こちらこそ、有樹が勉強教えてもらっているらしく」と詩織も会釈をした。有樹は、詩織の弟だ。
「じゃあ、俺、帰るわ」と言って1階に向かった。だが、1階へ続く階段の手前で、遠藤は足を止めて振り返った。踊り場の鏡に映った詩織と目が合った。詩織は、フルートを吹こうと、唇にフルートを近づけているところだった。振り返った遠藤に気付いた詩織は、フルートを降ろした。そして、鏡越しに首を少し左に傾けた。
音楽室から、シンバルの音が聞こえた。シンバルの音は、踊り場をぐるぐると回っていた。
「そういえば、詩織の家、洗濯洗剤って何使ってるの? 」と、遠藤は聞いた。シンバルが鳴ったのは1度だけだった。2度は鳴らなかった。
「え? 」と言って、詩織は振り返った。そして「何使ってたか、憶えてない。特に決まってないんじゃないかな。無くなりそうになった時、スーパーで特売セールしてるのをお母さんが買ってくるから」と詩織は言った。
「あ。部室に忘れ物した。じゃあな、詩織」と言って、遠藤は、階段を駆け上がった。
3階の廊下では、山崎が廊下の窓を閉めているところだった。
「山崎、やっぱ手伝ってやるよ」と遠藤は言った。
「もう片付け終わったよ。窓閉めて、帰るとこだよ」と、山崎は言った。
「じゃあ、窓閉め手伝ってやるよ」と遠藤は言って、山崎を手伝い始めた。遠藤は、窓を閉めながら、中庭の飼育小屋の中にニワトリがいないことに気がついた。
「山崎、あそこにいたニワトリ、何処行ったの? 」と遠藤は言った。
「現国の山田が、夏休みだけ世話するって言って、連れて帰ったらしいわ。山田の家って、ニワトリをたくさん飼ってるらしいし」と山崎は言った。
「ずいぶんあっさり連れ去られたな。あと、俺にくらい本当のこと言ってくれてもいいじゃんよ」と遠藤は言った。
「は? ニワトリ、お前も飼いたかったの? 自由研究か? 」と山崎が言った。遠藤は答えなかった。
彼等の夏休みは、始まったばかりだ。
読んでくださりありがとうございます。
実は、3人称小説を書いたのはこの作品が初めてです。記念すべき3人称処女作!
ご感想お待ちしております。