柚子への恋
風呂場の柚子が恋しくなった。その日は冬至であった。
朝からめっきり冷えた風を受けて帰って来た身体に、風呂の温かさが身に染みる今日この頃。
だが今日は一つ違う事があった。先客が居たのである。
柚子だ。
風呂の湯に柚子を入れるのは日本の冬至の慣習とされているが、実際その慣習に真っ向から楽しもうと思う人は居ないわけで、私の周りにはそのような人は居なかった。少なくとも冬至までは私もそうだった。
それが、一体今日はどうしたというのだろう。
風呂に入り体を暖めていると、普段よりも彼女――もとい、柚子――は、色気をまとい、その存在を私に感じ取らせてくるのである。誘っているかのようにも思えた。疲れて余りものを考えられず、風呂に癒され快楽の真っ只中にあったからなのだろうか。私はその誘いにのった。
私は思いのままに乱れた。彼女に手を引かれるがまま、彼女を浮かばせ、手で掴んではそのままぐっと抱き寄せ、彼女の匂いを堪能した。
甘美でいて、どこか、ものたりない。
ものたりないからもっと嗅ぎたくなる。存在を感じていたくなる。
へたの先から強く香るつーんとした甘さと、黄色い表面からただようほんのりとした甘さに、私は戸惑い、正気を失いそうになり、より切なくなっていった。
こんな恋をするのはいつ振りだろう。もしかしたら今まで一度も無かったのかもしれない。ただのちっこくて丸っこい形に、独占欲がわきそうになる。他の柑橘類にはない、少しの青臭さが私を刺激し、かき立てる。
これ程素朴な果物に、ただの冬の風物詩に、私は躍りたくなり、叫びたくなり、泣きたくなる。どうかしている。変人と勘違いされるかもしれないが、そう思ってしまったものはやめられない、止まらない。貪欲にまみれ、風呂で堕ちつづける。
しかし、長くしていたいものの、体には限界があるわけで、彼女にも限界はくるのだった。形あるものが壊れるのだから、恋はどれほど悲劇的だろう。一度恋をすれば、果てるまで続き、そして果てる。自ら死を望むようなものだ。季節の分かれ目は恋の分かれ目とは言い得て妙で、彼女の場合はたった一日の、いや、ものの十数分の、儚い花火のようなものだった。
だが、悲観することはない。冬はまた来る。柚子もまた作られる。毎年この日を待ちわびて過ごせるのだから、幸せである。そう思うことにした。
こうして私は一つ、冬の楽しみを見いだし、そして失恋した。
読んでいただき、ありがとうございました。




