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ススキノゼロ丁目・story98

 ランスの運転する平ボディのトラックは、あずさを身ごもっている梓と、甘奈を身ごもっているヒロと、幸せくんを身ごもっているわたしを身ごもっている鉄の檻を載せているせいか、ゆっくりした速度で進んでいます。

 ヒロの話を聞き終えたわたしは斜めの鉄格子へ寄りかかり、呆然となりました。

{まだ3日。あの人が死んだ夜は3日前なのか}

 あの人がバイクに2度ひかれる姿を目撃したのは、ずっと過去のような気がします。初めて会った夜はもう何年も昔のような気がします。

{梓もヒロも優秀さを買われたのだから、わたしもあの時あの人から選ばれた存在かもしれない}

「ちがうね」

 長い話を終えたばかりのヒロがかすれた声で、わたしを見ました。

「あんたはただの通りすがりだよ。あの人はいろいろなタイプに種付けしたと言っていた。どんな拍子でどんな性能が芽吹くかわからないのが、生物生産の妙だからね」

 わたしは頭を両手で抱えました。

「勝手に人の脳へ入らないでくれる? わたしはヒロの脳へ入られないのに、ズルい。ヘルメットを持ってくればよかった」

 ヒロは子宮を抱いたまま、うなずきました。

「わたしたちやあずさにあの程度のヘルメットは通用しないから無意味だ。それにどっちにしろヘルメットなんか必要ない。あんたはあずさと、脳へ立ち入らない、という約束をしたんだろ。同じ車に乗ったんだから、わたしと甘奈も約束にしたがうよ」

「そうしてくれるなら、友だちになってあげてもいいよ」

 わたしがわざと偉そうに言うと、ヒロがニヤニヤかかとを揺らします。さっきまで、はいていたはずのハイヒールは情報操作だったのか、かかとの低い靴に変わっています。

「ありがとう、古い妊婦さん。なにかあったら助けてください」

{古い恋人と呼ばれていたんだ。失礼な話}

 数台の消防車とすれちがいました。火災の煙はすでに後方へ見えなくなっています。梓の手から流れる煙草の煙が、マフラーからの煙を追っていきます。春の空気は吹きさらしの荷台の上を、後ろへ向かって冷たく吹いており、スズメバチの羽がふるえています。

「あんたも子宮を抱いてやりな。羊水が冷えてしまう」

 ヒロがわたしへ忠告してきました。後輩妊婦のくせにと思いましたが、もっともな意見なので素直にしたがったわたしは眠っている幸せくんへ両手をまわしながら考えました。

{冷えるどころじゃない。幸せくんの命はこの先どうなるの?}

 疲れている状態から尾行を始め、戦ったせいか、メイクがクタクタになっている目をヒロはじっと閉じました。梓は笑顔で煙草を吸いながら、空いている指でスズメバチの頭をなでています。子宮のあずさは周囲への情報発信に集中しているはずです。

 わたしはみんなの輪の中へ言いました。

「ドクターⅡは、ドクターSなら胎児の手術ができる、と言っていたから、わたしは少し希望を持ったけど、ただの自然脳化じゃ幸せくんは死んだも同然なんだ」

 ヒロが色ムラの出ているくちびるを動かします。

「改造脳を自然脳化すると、認識できる情報のレベルが変わる。記憶とは過去に認識したもので、なおかつ保存されているものだけど、認識のレベルが変わると、過去に認識したものを再生できなくなる。レコードを何十枚保存していようと、レコードプレーヤーをCDプレーヤーへ買い替えてしまえば、もうレコードは聞けなくなるのと同じだね。意味がわかる?」

「なんとなく」

 わたしは弱くうなずいてから続けました。

「記憶を再生できないということは、記憶がないのと同じだから、新しい幸せくんになってしまうという意味になるんでしょう」

「そう。わたしのお母さんがそうだった。記憶喪失は記憶の喪失じゃなく、記憶を認識する機能の故障だから、人によってはなにかのキッカケで治る。本当に記憶を喪失すると、絶対に治らないけどね。レコードを割ってしまえば2度と聴けないのと同じ。記憶喪失はプレーヤーの故障だから、プレーヤーを修理すればまた再生可能になるという理屈。わたしのお母さんはプレーヤーの修復もならなかったみたいだけど」

 ヒロのまつ毛が風とは逆の方向へふるえました。声も風にさからい、輪の中で主役になります。

「わたしのお母さんの話はいい。問題は3人の胎児と梓。梓に関しては特殊な状態。日高の実験体は改造により情報のレベルが激変することへ認識機能が対応できるよう、過去の記憶をすべて消され、赤ちゃんからスタートした。わたしのお母さんの状態から人生をやり直したわけだ。だけど梓は元々認識能力が薄いので、過去と現在の認識ギャップに苦しまないと判断され、記憶消去なく改造脳化された。認識が薄いから、情報レベルの変化を受け流せる。逆に言えば、記憶保存なくふつうに自然脳化の手術を施しても、元の状態へ戻る。改造脳として過ごした日々の記憶は認識できなくなるけど、元からあまり認識していないので記憶も少ない。生活にはなんの影響もあたえない。だからといって改造脳のままにしておくと経験値で脳が豊かになり、認識の性能が増すことによって、将来苦しむ可能性がある。“他人の心を認識する”という地獄へ落ちる可能性があるというわけ。やはり自然脳化手術が必要だ」

 梓は煙草のボックスから残りの煙草をとり出し、冷たそうにふるえている2匹のスズメバチをボックスへ収納しました。手つきが赤ちゃんのように初々しく動きます。

「はい。ハチの檻。はい」

 ヒロのアイラインが梓を見守っています。

「梓は自然脳化されると1人じゃ生きていけないけど、わたしたちという友だちができたのだから、問題じゃない。大問題は甘奈、あずさ、幸せくんの3人。大きな工夫をこらした手術が必要になる。単純にプレーヤーの入れ替えだけを行えば、過去の記憶は2度と再生されず、別人になってしまう。周囲から見たら同じ肉体であり、むしろ同じ人間にしか見えないのだけど、本人にとっては死んだクオリアと、新しく生まれたクオリアが発生する。もちろん人間は自分たちの根源とも言うべき、死ぬクオリアと生まれたクオリア、この2つは発生しても絶対に認識できないけどね。3人の胎児手術に必要な工夫は記憶のバージョン適合化。改造脳の録音機で保存された記憶を、自然脳で再生できるようにするため、手術で工夫を1つ加えなければならない」

 梓のくちびるが、あずさの口調で動きます。

「sub。障壁が大きいです。ドクターSを見つけるのがむずかしい。とにかく見つけてしまえば、彼女の本心を知りながら会話できるはずですが、わたしたちからの脳への情報干渉をドクターSに拒まれた場合、自然脳レベルのやりとりをしなければならないでしょう。機嫌を損ねるわけにはいかないですから、ドクターSの意向にしたがうしかないです。ドクターSが高性能のヘルメットをかぶっている場合もあります。そのような状況で交渉が成立しても、ドクターSが本気で手術をしてくれるかどうかわかりません。麻酔をかけられたら、わたしたちはドクターの人形でしかないですから、手術を受けることがむしろ危険になるかもしれないのです。胎児だけでなく母体にも麻酔が及びますから、胎児に訪れている危機が母体へ拡大するわけです。危機以前に、手術へ同意してくれない可能性、技術や設備的理由で拒否される可能性もあります。高い障壁です」

 ヒロがかかとを軽く鳴らします。

「障壁が高いということは、可能性はゼロじゃないという意味になる。ゼロなら障壁という単語は使わないからね。こっちは高性能だ。順番に手術を受けたら、誰かが見張りになれる。情報干渉を拒否されたなら、こっそりやればいい。ヘルメットだって簡単には作られないはず」

「sub。相手はわたしたちの産みの親です。軽く考えるべきではないでしょう」

「甘奈の親はわたしで、わたしの親はお母さん。ドクターSはただの神様だ。人間の親にはなれないよ」

 ヒロはかかとを荷台の床へたたきつけ、結論を言いました。

「とにかく、先の心配は先にしよう。まずはドクターSを見つけること。まだ3日しか経っていない、なんてのん気なことを考えている人もいたけど、月日の流れは速い。10カ月なんてすぐに来る。ドクターSを見つけるための議論に集中しよう」

「sub。同意します。ゼロから情報収集しましょう。ドクターSDは札幌にいるという情報に高い信憑性を感じていたのですが、ドクターDだけがいたのかもしれません。またゼロからやり直しです」

 ヒロがかかとを何度もたたきつけます。

「精度のあやふやな情報相手に、丁寧なやり直しをしている時間はない。ドクターSに関する情報はマジックPの中枢へ1番精度よく集まっていると思う。どうせマジックPの壊滅という題目も果たさなきゃならない。マジックPの総首が札幌にいるというのだから、見つけたい」

「sub。同調します。ヒロと甘奈がDドールと拮抗できるなら、正面からのぞめます」

 ヒロがかかとを安定させました。

「決まったね。まずはマジックPの総首に関する情報を探して歩こう」

 わたしは鉄格子をにぎりしめ、のん気、古い妊婦、低性能、などと先輩妊婦へ失礼を言ってくる輪の中に、精一杯近づきました。

 檻の動物でもながめているような軽い視線がヒロから飛んできます。

「心配しなくても、ススキノへ戻ったら檻から出してあげるよ。あんたにも歩きまわってもらわなきゃならない」

 わたしは胸を張りました。情報は認識によっていくらでもフェイクできます。わたしが檻の外にいて、地球のすべてが檻のなかに閉じこめられているという解釈も可能です。

「ヒロもあずさも大したことないね。歩きまわっている時間はないでしょう。ゼロからやり直している余裕もない。正確な情報源へまっすぐ向かうべき」

「正確な情報源がわかれば、苦労しない」

 わたしはヒロや梓に比べて苦労の足りない目で、檻の中の改造脳たちを見下ろしました。

「田村様の持っている情報はいつも正確だった。だから田村様はランスにも、あの人にも、梓にも、ドクターⅡにも、わたしにも会えた。田村様に情報を提供していた情報屋のところへ行けばいい」

 ヒロのアイラインにしわがならびました。

「行けばいい、なんて簡単に言うけど、田村様との檻の中の会話で、情報屋の住所でも聞いたのかい?」

 わたしは鉄格子スレスレに首をふりました。

「初めて会った時に聞いた。田村様に情報を提供していたのは咲藤さんよ。あなたもススキノのホステスなら住所くらい知っているでしょう」

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