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ヒロと甘奈の旅行・story97

 ヒロは布団の上で水を飲みながら、初めての子を、あまな、と名づけた。

{もしかしたらわたしが甘奈という名前になっていたかもしれない。受け継いでくれる?}

「あの。名前はどうでもいいです」

 改造された脳の性能についてヒロはホテルで説明を受けていたが、あの人が知っていた情報を、甘奈の性能ははるかにしのいでいた。

 甘奈によると、たとえ同じ父と母の子どもであったとしても、生まれてくる子どもには性能差が出るらしい。

 考えてみれば当然だった。兄弟は決して同じにはならない。

 父の遺伝子がどのように受け継がれるかは、母の自然性能、その夜の両親の体調、遺伝子シャッフルでどれが選択されるかの運、など様々な要因の重ね合いによる。

 甘奈は想像されるかぎり最高の性能を遺伝され、1分1秒ごとの経験値により、想像外の性能へ成長していた。

 コウジへ幻覚情報を送り、車道に飛び出るようしむけた。

 ヒロの自然脳を改造脳レベルへ上昇させ、実際に見ることなくコウジの死体を認識できるようにした。母体の脳を改造脳にしたり自然脳へ戻したりできるらしい。

{確かにあの時はいろいろな情報がいつもとちがって感じられた。あの感覚が改造脳なの?}

「あの。改造脳のクオリアはもっと繊細で異次元的です。急に切り替えるとわけがわからなくなると思い、33パーセントだけ切り替えました」

{今は自然脳の状態だね}

「あの。はい」

{また切り替えてよ。少しずつ慣れたい。45パーセントにして}

 甘奈は自由自在に自分と母体の脳をあやつる。

 ヒロは水のグラスをにぎりしめたまま、改造脳レベルで認識するという異次元感覚へ慣れることに集中した。水は水でなくなり、肌は肌でなくなり、地球の速度すら感じられる気がする。

「あの。水はそういうものです。液体と気体という概念はフェイク、偽造されたものです。水と空気はまったく同じです」

 ヒロはうなずいた。

{人間の知る情報はすべて自分の脳によってフェイクされている。情報と認識は対だから、情報がフェイクされているなら、認識もフェイクされたものだ。わたしたちは情報を自分勝手にフェイクする、ただそれだけの生物だ}

「あの。いずれにしろ、地球の速度は感じられません。ヒロが感じたのは建物の自然振幅です。地上は常に揺れています」

 ヒロは大きく窒素や酸素などの原子を吸いこんだ。

{疲れてくる。酒を飲んだ体では確かにこれだけの情報を処理できない}

 多くの繊細な情報が、元の自然脳へ戻っていくのをヒロは感じた。

「あの。改造脳へ興味を持つ必要はないと思います」

{どうして? 楽しいじゃない。女の好奇心は止められないよ。甘奈はコウジへどんな幻覚を見せたの?}

 瞬間的にヒロの顕在意識へ、情報の束が認識させられた。

 ヒロは水のグラスを持っていられなくなり、床へ置いた。

{すごい。わたしの撃った銃弾がコウジの耳をかすめ、髪の毛をかすめている。わたしはコウジの命と引き換えに、2億を要求した。逃げ出したコウジの背後から体スレスレに連射した。コウジは視野がせまいから、走るのが苦手。走ってくる車に気づかず、というか銃から逃げるのに必死なまま車道へ飛び出した}

 ヒロのメイクがゆがんだ。

{これじゃあ、わたしが金の亡者で、血も涙もない殺し屋じゃない。もうちょっとマシな幻覚はなかったの?}

「あの。周囲が持っているヒロのイメージは、こんな感じです」

{甘奈はわたしの本心がわかるはずでしょう。わが子にまでこんなイメージを持たれるのは、つらい}

「あの。わたしはヒロの考えや心を、わざと見ないようにしています」

 メイクが元へ戻った。

{どうして? わたしの脳が筒抜けじゃないの?}

「あの。必要な時はそうしますが、ふだんはしません。ヒロの心を知るのは、つらい」

{どうして?}

「あの。憶測したことですが、改造脳胎児は認識が強すぎるので、水中から空中へ生まれるという10カ月後の環境変化に耐えられず、発狂して死にます」

{どうして? 水と空気は一緒でしょう}

「あの。水と空気は一緒ですが、人間の器官は“水と空気はちがう”というフェイクされた情報へしたがいますので、肺も肌も血管も活動を大きく変動させます。改造脳胎児はこの大きな変動に耐えられません」

{つまり?}

「あの。胎児は死にます」

{いや。ちょっと待って。あきらめないで、方法を考えたら? 甘奈はわたしの脳を見ないようにできる。わたしへ対して自然脳的になれる。なら、すべてへ対して自然脳的になるといい。産まれる時は自然脳になって、生まれておいでよ}

「あの。無理です。ヒロの心を見ないようにする方法は、他の情報を強く認識するという初歩原理的なものです。一般的に、気を紛らわせる、という方法です。認識能力には容量があるため、他のものを認識することで、ヒロの心を見えなくできます。でも全身からの情報をすべて無視するわけにはいきません。重度の痛みや嘔吐感など生命維持に必要な情報は最優先で認識されてしまいます」

 ヒロはまた口元のメイクをひねった。

{重大な問題だ。あの人はそんなことを言わなかった。知らなかったのか、わざとなのか。このままだとわたしと甘奈は悲しい別れへ直面する}

「あの。別にいいです。覚悟しています。ヒロの心を見ないようにするのは、母の苦しみを見たくないからです。ヒロをヒロと呼ぶのは、母と認識したくないからです。母とは別れたくありません」

 自動的に、初めて母と呼ばれ、初めて母であることを認識したヒロはルージュを輝かせた。

{フェイクしよう。どうせフェイクなら、とことんフェイクだ。甘奈が死ぬしかないという現実をフェイクする}

「あの。意味がわかりません。だいじょうぶですか?」

{こういう時こそ、母の脳をのぞいたら? いい考えが浮かんだよ}

 甘奈は本当にヒロの脳を見たようだった。

「あの。なにも浮かんでいません。ただ盛り上がっているだけです」

{そう。具体的な方法はこれから考える。とりあえず心を盛り上げるのが大切。10カ月あるのだから、必ず方法は見つかる}

「あの。それより、地球のことを考えましょう」

{地球? あの人の子どもらしく、大げさな発想をする}

「あの。マジックP壊滅のために受胎された胎児としての義務を感じます。改造脳の胎児が言うのもヘンですが、脳を改造するという行為は非地球的です。だからまず、マジックP壊滅を目指しましょう」

{そう。カギはそこにある}

 ヒロは立ち上がり、身支度を始めた。

{ナンバー1ヒロは一身上の都合により、ドレスを脱ぎます}

 脱いだドレスを床へ捨て、動きやすい服装を選んだ。大きなカバンに着替えと通帳やキャッシュカード、化粧品などを詰めこみ、バッグから名刺を捨て、代わりにちぎりきれなかった写真を入れた。

「あの。外に男たちが来ています。たぶんマジックP」

{コウジが不可解な死に方をしたから、わたしを改造脳妊婦とうたがうはずだよね。わたしと甘奈は抹殺対象だ}

「あの。男たちはヒロの裸を見せられ油断したところを絞め殺される、という幻覚を送っていいですか?」

{あんたね。もうちょっと品のある幻覚を思いつきなさい}

 玄関の施錠をたしかめようとする小さな物音が聞こえた。

{甘奈の性能をわたしに操作させなさい}

「あの。でも」

{甘奈の高性能ならできるでしょう。自然脳のわたしが時として自由自在に改造脳になる}

「あの。あまり長い時間改造脳でいると危険ですから、操作はやはりこちらの方で行った方がいいと思います」

{だいじょうぶ。わたしはナンバー1のヒロ。甘奈が高性能になれたのも、わたしの肌が優秀だったおかげ}

 専用の道具があるのか、カギが自然な音で開けられた。

 ヒロはあえて玄関へ行き、かかとのない靴をはいた。

{時間がない。わたしに操作させなさい}

「あの。切り替えるクオリアとかが、わからないと」

{早く}

 玄関の扉が開いた。

 入りこんでこようとした3人の男たちが大きな声で立ち止まった。

「おいおい。なんだこのガスの臭いは」

「自殺じゃねえか。化け物を妊娠したせいで、気が滅入ったんじゃねえか」

「すげえ、臭いだ。早く逃げろよ」

 男たちは退散した。

 車の音が去っていくのを聞き届けたヒロは壁へもたれ、手をにぎりしめた。

{こうやって、スマートにやるの。わかった?}

「あの。だいじょうぶですか?」

{すごい脱力感。甘奈、コウジを撃退する時、よくがんばってくれたね}

「あの。慣れると、そうでもないです。人間の脳の“慣れ”という作用は宇宙でも一級のものです」

{大げさすぎる。10カ月の旅、という大げさな題名が甘奈には似合う}

 ヒロは疲れた体でバッグと大きなカバンを持ち、6畳間から出発した。

 地球がさらに回り、空が明るくなるまで、大通公園のベンチにすわりながら、自分の存在情報を消したり出したりする練習を続けた。

 疲れた体へ栄養ドリンクを飲みこむと、子宮にしみわたっていく感覚を思いこんだ。

{甘奈。おいしい?}

「あの。ふつうです」

 ビジネスホテルの5階へ荷物を置き、窓を開けて地面を見た。

{お母さん。わたしも母になりました。この子の肉体も記憶も必ず産んでみせます。絶対に死なせません}

 ヒロと甘奈の旅は主に夜のススキノを歩きまわり、情報収集に専念するところから始まった。

 マジックPの男たちを幻覚で誘惑し、もだえさせ、得た情報を母子の記憶にインストールしていった。

 ドクターS。

 ヒロがたどり着いた名前は神の手を持つ女だった。

{ドクターSなら甘奈の記憶だけを残したまま、自然脳へ戻せるかもしれない}

 甘奈は懐疑的だった。

「あの。無理だと思います。非常にむずかしい手術です」

{無理だと思う。ということは完全な否定じゃないね}

「あの。完全に無理です。ドクターSがそこまでの技術を持っているなら、マジックプランはちがう展開になっていたはずです。胎児の脳を手術するのは無理なのでしょう」

{ということは、早くドクターSを見つけてもっと勉強させたらいい。10カ月後までに胎児手術の技を習得するかもしれない}

「あの。ドクターSはマジックPから追われています。つまり日本中から、追われています。きっと深く潜伏しているでしょう。もしも会えても、手術する設備があるような場所にはいないはずです」

 ヒロはすぐに解決策を見つけた。

{金を稼ごう。今の地球には、なんでも金で解決できるという進化的で平和的なルールがある。大金があれば海外へ脱出する方法を探せる。施設をどこかへ新築してもいい。2億もあればできるでしょう}

「あの。2億もどうやって?」

{改造脳を金儲けに使っちゃいけないという法律はない。あるのは、違法じゃなきゃどんな手段で金を稼いでもかまわないというルールだけ}

「あの。良心とか」

{わたしの基準は甘奈なの。良心の基準もね。どっちにしろドクターSは見つける必要がある。甘奈の手術が終わったら指でも落とさせなきゃ、改造脳手術の可能性は残ってしまう。マジックPだけ壊滅させても、意味がなくなる}

 旅が始まって3日後、あの人が即死したという情報を得た。

 ヒロは透明な姿で現場へ行き、透明な花を大げさな色で飾った。

{お母さんはどこでどうやって死んだのかな? いつか赤ちゃんの甘奈を抱きながら、小さくてもいいから本物の花を飾りに行かなきゃ}

 さらに3日後の早朝だった。

 甘奈が初めて自分から口を開いた。

「あの。ハチ。スズメバチを見てください」

 ヒロは夜中じゅう歩きまわったせいで疲れ果てていたため、自然脳の状態でぼんやり歩いていたが、すぐに自分の情報をフェイクすると、スズメバチに気がついた。

{情報操作で飛んでいるね。ここは誰か他の改造脳のテリトリーだ}

「あの。わたしの兄弟ですか? それとも大雪か日高出身の改造脳ですか?」

 甘奈は兄弟という部分で、声をふるわせた。

 ヒロはわが子の心を抱きしめたくなった。

{どっちにしろ、接触する価値があるね}

「あの。尾行しましょう。ヒロが疲れたら、代わりにがんばります」

 ヒロは子宮を抱きしめながら歩き出した。

{体は1つなんだから、疲れもわかち合っている状態でしょう。わたしたちの旅は1本道だよ}

 自分の母とは途中ではぐれてしまった。

 ヒロは子宮をしっかり抱き、かかとを地に着けながらゆっくり歩いた。

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