2つの羽根・story89
檻の中で身がまえるわたしの目に見えたのは倉庫の荷物を積み下ろしする時に使う、2枚の羽根、というか腕のようなものが前へ突き出た機械車輌です。
ヒロがヒールのかかとを鳴らします。
「フォークリフト、っていう名前くらい、ホステスならおぼえておきな。いろいろな会話に対応するのが仕事でしょう」
わたしも充分に心得ているつもりですが、さすがはナンバー1、知識が豊富です。
新鮮な酸素と一緒に飛びこんできたフォークリフトは2枚の羽根をわたしの檻の下へ刺し、檻をゆっくり持ち上げました。
フォークリフトの運転手を見たわたしの目に涙がにじみます。
「ランス」
「ヒヒヒ。義手と義足を作っていたら、遅くなった」
「梓とあずさはどうしたの?」
「フヒヒ。隣の倉庫の人たちを情報操作している。まだ誰も火事へ気づいていない。Dドールが帰ってくる前にここから脱出する」
フォークリフトは平時のわたしのような慎重さでバックすると、倉庫の外へ出ました。
太陽が貴重な輝きに思えます。空気の匂いが感じられます。周囲の森を色づくる緑も風も、倉庫前に敷かれた砂利をフォークリフトがきしませる音も、感動的に響いてきます。
{すばらしい情報ばかり。この情報をすばらしいと認識する、認識もすばらしい。どっちがすばらしいのか、両方ともすばらしいのか、幸せくんにはわかる?}
「なにを言いたいのかよくわからないし、油断は早い。ヒロが一緒に歩いてくる」
{ヒロはわたしたちを本気で助けてくれたでしょう。金にしつこいけど、きっといい人}
「火をつけたのはヒロじゃないのか?」
倉庫から少し離れたところにトラックが停めてあります。山への往復で乗った箱型ではなく、荷台が青空型の車輌です。
フォークリフトと同じ速度で歩くヒロが酸素マスクを捨てました。
「青空型じゃなく、平ボディ、っていうの。幸せくん、放火犯扱いはやめてくれる。荒っぽい手口を使ったのは運転手のお兄さんだから」
お兄さんと呼ばれたランスが照れ笑いします。
「ヒヒハハヒ。他の方法を思いつかなかった。火は水と同じように光子情報を屈折させるから、一か八か勝負してみた。こんな強い味方がいるとは思わなかった」
強い味方が子宮をなでながら、首をふります。
「光子情報が屈折するほど本物の火にかこまれたら、もはや脳は無力。改造も自然もなす術がなくなる」
檻が平ボディの荷台へ乱暴に載せられました。衝撃で体が浮きます。
ランスはフォークリフトから飛び降りると、トラックの運転席へ乗りこみましたが、エンジンはまだかけません。
檻が着地した時に、子宮の天井へ頭でもぶつけたのか、幸せくんが不機嫌です。
「強い味方はいいが、ヒロに聞きたいことがある。ヒロはどうしてCドールたちと互角の性能があるんだ? 誰に手術されたんだ?」
ヒロは荷台へ上ってくると、鉄格子へ寄りかかってすわりました。
「わたしは改造脳じゃなく、完全な自然脳。改造脳なのは子宮にいる幸せくんの妹だけ」
「それじゃあ、梓とあずさより性能が低いはずだ。俺たちと互角じゃないか」
激闘で薄くなったヒロのメイクが、ランスのように小さく笑います。
「宇宙は単純な理屈が通用しない場所。“こうなったら、こうなる”という理屈どおりにはならない。だけど人間の脳は弱い。みんな、“こうなったら、こうなるはずだ”という言葉を尊重したがる。あるがままを感じたらいいだけの話なのに」
「光子ブロックをかけられたままじゃ、感じられない」
「妹はとても無口なのに、お兄さんはうるさい。“こうなったら、こうなる”という理屈を信じたい心はわかるけど、実際はちがうという一例だね。兄妹は似ないもの。口数も、性能も、理屈どおりには遺伝しない」
「もっと詳しく話せ」
「50万追加してくれたら、話し相手する。無料で話す気分にならないほど、疲れた」
ヒロは本当に疲れているらしく、子宮をいたわる仕草を続けたまま荷台の上へ横たわりました。
わたしは鉄格子の扉を閉ざしている南京錠をにらみました。
「ランスがいるから、もうお金の心配はいらない。わたしがヒロをお金で操作してあげる」
「そう。本望。バッグも弁償してもらえる」
「とりあえずカギをとってきて。檻から出してくれたら、100万払う」
「口約束では操作できないと言ったはず」
「動物じゃあるまいし、こんな状態で道路を走らせないで。檻から出して」
「どうせ情報操作で、周囲へは見えなくする。なんなら100万で檻から出た気分を味あわせてあげるけど。もちろん現金ね」
「胎児の性能を金儲けに利用するなんて、最低」
「少年に金を稼がせようとするのは、いいわけ?」
わたしは鉄格子のすき間から、背を向けながら寝ているヒロの背中をつつきました。
「あなたが寝たら、誰が周囲へ情報操作するの? お願いだから、こんな姿で道路へ行かないで」
「sub。カギはこれしかありませんでした。ドクターⅡはこれ1本ですべての檻を開閉していたようです」
不意に登場した梓の右手に、さびた針金がぶら下がっています。
「梓。あずさ。来てくれて、ありがとう」
「sub。みりさと幸せくん。無事でよかった。火をつけたりしてすみません」
「針金で檻のカギを開けられる?」
「sub。その前にここから脱出します」
梓の体は運転席へ行きました。
ヒロが姿勢を反転させ、目を閉じたまま、わたしたちの方を向きます。
「周囲への情報操作はあの子に頼みな。わたしの胎児ほどじゃないけど、幸せくんよりずっと優秀。兄妹は本当に似ない」
幸せくんが言いかえそうとした時、エンジン音が鳴りました。梓の体が荷台へ飛び乗りますが、トラックはまだ走り出しません。
「sub。針金でエンジンがかかりました」
トラックのマフラーから濃い煙が上がりますが、倉庫から湧き立つ黒煙は何百倍もの威力で空の青へ刃向かい、空気の清々しさへ敗れたように消えていきます。
「田村様が燃えてしまう」
「sub。もう隣の倉庫のガソリンへも燃え移ったころです。全員焼死します。燃えつきたら出発しましょう」
「どうして燃えつきるのを待つの?」
「sub。火事の煙が道路から見えないように操作しています。倉庫の中の人たちも操作しています。燃えつきるまで消防車を呼ばれないためです」
「隣の倉庫の人や周囲へは火が見えていないの? 消防車は来ないの? ドクターⅡも焼け死んじゃうの?」
わたしは手の中でしわくちゃになっていたハンカチを落としました。
「あずさ、聞いて。みんな本当はいい人なの。だから殺さないで。田村様も本当はいい人だった」
「sub。わたしにはとっくにわかっています。すべての人間がいい人だと、すべての人間がわかっています。だけどこれは戦争です。戦時下では善悪を考えているヒマはありません。勝敗だけ考えていなければ、死ぬのはこっちです」
「だけど」
わたしの反論はヒロが鳴らしたヒールの大きな音で黙らされました。
「あんたの言うことも正しいけど、お姉さん胎児の言うことも正しいよ。だからあんたは今まで生きてこられた。お姉さん胎児が強い姿勢でなければ、あんたはとっくに死んでいたはずだ」
わたしは山中でマジックPの追っ手にかこまれ、あずさに救われたことを思い出しました。
ヒロが閉じていた目を開け、わたしの心を見ます。
「わたしだってCドールが悪い子どもだと思っていなかった。現にあんたを焼こうとした火は簡単に消えるほど弱かったから、Cドールに本当の殺意はなかった。だけどわたしはCドールを殺した。そうじゃなきゃ、あんたが死んでいた。本当の殺意ではなくても、戦時下の殺意は人を殺してしまう。敵か味方、どちらかが必ず死んでしまう」
幸せくんが声でうなずきます。
「みりさ、みんなの言うとおりだ。1人だけ、善悪を論じている場合じゃない」
わたしは首を落とし、目を閉じました。スズメバチの羽音が心へ刺さってきます。羽音の合間から、煙草の臭いと、ヒロの声が聞こえました。
「無口な甘奈がめずらしく強い口調だったから、この2匹を尾行したんだ。おかげで迫力のある時間を過ごせたし、金にもなった」
「はい。ハチさん。2つの羽根をヤケドしている。誰のせい? はい」