火事場の力関係・story87
「この部屋は斜めばっかりでイライラする。逆入場料をもらいたいくらい」
わたしは、金の話ばかり出てくる美しいくちびるを見つめました。
「あなた、パシオンのナンバー1のヒロでしょう。ナイト情報誌にわたしの5倍の大きさで、グラビアが毎週載っている。あの美人様が改造脳だったなんて、びっくり。ここにいるということはマジックPの一員なの?」
ヒロは倉庫の天井近くにかけられている時計を指さしました。
「見なさい。あんな高いところの時計が乾電池式だから、もっとびっくり。秒針が9のところより高く登りたいけど、電池切れそうだから登れなくなって、ピクピクしている。死んだばかりの人間の体みたいだ」
わたしは大声を出しました。
「不謹慎なことを言わないで。場の空気を見抜けないわけ? あなた評判悪いホステスだよ。きれいなのは顔ばっかりで、お金の話しかしないんでしょう」
「人間の評判はアテになるの?」
ヒロの笑顔がくやしいほど明るく、火を反射します。
わたしはツバを吐きたくなりました。
「あれだけみんなが言っているのだから、アテになるでしょう」
「みんなが言うとアテになるの? じゃあガリレオのころは太陽が動いていて、コペルニクス以降地球が動き出したの?」
「話が古すぎる。関係ない」
「一緒。昔も今も人間は一緒。わたしはパシオンだけじゃなく、ススキノで1番になった。努力や苦労は並大抵じゃなかった。だけど1番になったとたん、悪い評判しか聞こえなくなってきた。わたしはなにも変わっていないのに、評判は悪くなるばかり。ありえない風評をたくさんネットに書きこまれた。書くヤツもバカだけど、読んだヤツみんながそれを信じてから店へやってきていろいろ言うんだから、もう全員がバカ。まともに相手する気もなくなった。さっさとススキノからさよならしたいんだけど、こうなったら慰謝料代わりに稼げるだけ稼いでおかなきゃ損。せっかく手に入れた改造脳も遠慮なく使わせていただく。助けてもらうために200万払うか、金がないから死ぬか、早く決めてくれる? 火のせいで暑くなってきたし、この倉庫は斜めばかりでイライラする。高性能の改造脳には居心地が悪い」
美容室で仕上げてきたような美しい髪形をイライラふりながら、ヒロがヒールのかかとで田村様の檻の鉄格子を蹴ります。
「この状況で髪形を観察してもしかたないし、頭を外側から見たって脳の性能なんかわかるわけない。リックスシィのナンバー5はのんびり屋だね。早く大金を手にして、あんたのような、のん気な性格になってみたい」
ヒロが鉄格子の上から床へ降りました。
わたしはヒロの子宮のあたりを見ます。
{幸せくん、どうなの? この女はどんな感じ?}
「光子情報を完全にブロックされている。俺にもみりさと同じ情報しかわからない。高性能の改造脳だ」
{子宮に胎児がいるバージョンなら、高性能にはならないでしょう。梓とあずさのような母子共に改造脳というバージョンは2人もいないはずだから、自分自身が改造脳だ。どんなバージョンか知らないけど、マジックPの女ということだね}
「じゃあどうして200万で助けてくれるんだ?」
{マジックPは意外にお金に困っているとか}
ヒロがつま先でわたしたちの檻をけります。
「あんたたち、のん気でバカで、心からうらやましい。コソコソ話をしたって筒抜けに決まっている。面と向かって聞けばいいのに」
わたしは自分をのん気でバカだと思ったことは1度もありません。言われたことだってありませんでした。バカ呼ばわりされるようになったのは改造脳の人たちと出会ってからです。手術で脳の性能がアップしたからといって、偉そうにされたくありません。
「気軽にバカと言わないで。自然脳をバカにしているけど、改造脳のあなたはいずれ自分に耐えられなくなって、死にたくなるはずだから」
ヒロの完璧なメイクがあきれたように崩れました。
「あんたは本当にバカだね。死にそうなのは自分たちでしょう。ガソリンの勢いがわからないわけ?」
鉄板製の壁の下から出ていた火は四方へ回ったようです。壁を支える木材も少しずつ燃え始めているようです。
幸せくんが当然のことを言います。
「みりさ。とりあえずここから出よう。この女がどうして改造脳なのかは後から考えよう」
わたしも同意しました。
「わかったよヒロ。200万払うから、脱出させて」
ヒロのメイクがさらにあきれます。
「誰が口約束を信じるわけ? 現金を出しなさい」
「今、この状況で、大金なんか持っているわけないでしょう。バッグがなくなったから、通帳もキャッシュカードもない。でもまちがいなく400万貯金しているから、必ず払う」
「バカ。そういう問題じゃない。せめて誓約書ぐらい書いてくれないと、すぐに踏み倒される」
「あなたはなんのための改造脳なの? わたしの本心がわかるでしょう」
「いくら改造脳でも未来はわからない。あんたが心変わりしない保証はないでしょう」
幸せくんが割って入ってきました。
「保証の話なら立場は逆じゃないか。いったいどうやってこの檻から脱出させるつもりだ。200万払ったとたんに逃げられたら、こっちが困る」
「胎児までバカ。200万持ってもいないくせに、よくそんなことが言える。煙が出てきたから、もうタイムリミットだ。悪いけど時間切れ。善人の田村様と一緒に幽霊でも魂でもなりなさい」
ヒロは歩き出そうとしましたが、目を閉じて立ち止まりました。ヒールのかかとを斜めの床でコツコツ鳴らしながら、少しずつただよい始めた煙にまつげを伏せています。
わたしは呼吸を浅くすると姿勢を少し低くしました。
ふりかえったヒロが、檻の中のわたしを見下ろします。
「“どうしてもお兄ちゃんを助けてほしい”と妹が言っている。直接話せるくらいに性能が上がったらお礼を言いなさい、幸せくん」
幸せくんの声がせきこみます。
「なんだ。妹、ってなんだ?」
わたしは浅い声を出しました。
「妊娠しているの? 幸せくんの妹を? リストの不明者3人のうちの1人? わたしと同じ状況なら、どうして高性能なの?」
ヒロがハンカチを出すと、わたしの檻の中へ押しこんできました。
「詳しい話をしている時間はないの。床へはいつくばって、ハンカチで口をおさえておきなさい。幸せくん、母体の呼吸を調節しなさい。5秒に1呼吸で充分。一酸化炭素をなるべく脳へ入れないように」
ヒロのヒールが歩き出し、立ち去ろうとします。
「どこへ行くの? わたしたちはどうなるの?」
ヒールが立ち止まり、イライラと床を踏みます。
「ようやく焦ってきたわけ? あんたたちといるとヒールのかかとがすぐに減ってしまいそう。隣の倉庫にドクターⅡやCドールたちがいる。わたしが情報操作しているから火事にも気づかず、田村様の脳を切開する実験手術の準備をしている。わたしの存在情報を消したまま檻のカギを盗んでくるよ。改造脳が透明人間になれることは知っているでしょう」
「Cドールのエジキにされる。性能が高い相手へ情報操作は通用しない」
「そんなことはあんたに言われなくてもわかっているし、Cドールはすでにわたしの情報操作下へ入っていると言ったでしょう。わたしの性能はCドールと互角。だから先手をとった方が必勝する」
「どうしてそんな高性能になれたの?」
「うるさいね。場の空気を見抜きなさい。早く口にハンカチを当てて黙りなさい」
「Cドールは火事に気づいていない、ってどういうこと? 火をつけたのはCドールじゃないの? もしかしてヒロが200万欲しさに、Cドールと見せかけるため背をちぢめながら放火したの?」
「幸せくん。母体の呼吸を止めちゃいなさい」
ヒールが大きな音で1度床を踏んでから歩き出しました。そしてまたすぐに立ち止まりました。
わたしはハンカチを指から落としました。
「Cドールだ」
ヒロが、横へ向けたメイクの中央からツバを吐きました。
「残念。先手をとったつもりだったけど」
山中でわたしが使ったものと同じマジックP特製の酸素マスクを持っているCドールの低すぎる背の上を煙が流れます。
「C。ここはCドールの倉庫という通称を持つ。田村様が死んだなら、斜めの空間でボクに勝てる者は地球にいない。ボクの必勝だ。ULAS」