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命の価格・story86

 あお向けの田村様がふたたびぎゅうぎゅうと動き出しました。反対側を向き、わたしたちへ背を見せるつもりのようです。

 斜めでつかみにくい鉄格子をわたしはにぎりしめました。

「舌を食べてどうするの? 田村様、やめて」

 回転の途中で田村様が一休みします。鉄格子へぶつかるヘルメットに、鉄の色が斜めにこすられています。

「ドクターD野郎は俺様の死体を処理しなきゃならん。死んだばかりの改造脳という希少な実験体で、いろいろ調べたいこともあるだろう。かなり時間を稼げたら、俺様の命にも少しだけ値段がつく」

「脱出の方法はほかにもあるはず。命を捨てないで」

「脱出のためだけではない。疲れた。情報を知りすぎる心に疲れた。ドクターS野郎は膨大な光子情報の認識へ、耐えられるだけの顕在意識を作ってくれたはずだが、神のミスか。それともこれも計算の内か。とにかく疲れた。もうラクになりたい」

 幸せくんの声が高ぶります。

「みりさ、なにがなんでも説得しろ。あずさたちが来てくれたとしても、ドールたちと互角には戦えない。田村様は必要な存在になる」

「田村様、お願い。こっちを向いて」

 田村様の回転が再開しました。方向は変わってくれません。

「俺様は心を鬼にして大雪の施設内で人を殺したが、やはり疲れた。コンプレックスを感じる小魚野郎を情報で制圧しようとしたが、苦しい戦いだった。改造脳で世界の頂点を極め、国境すら意のままにできるかと思ったが、結局は改造脳に殺されることになる」

 田村様の背中の汗模様がわたしたちを向きました。

 わたしは声の力を最大にしました。

「お願い、田村様。こっちへふり向いて」

「みりさ。もうちょっと大人っぽい説得はできないのか」

「うるさい。黙ってないで、幸せくんもなにか言いなさい」

「俺の声はヘルメットをかぶっている田村様へ聞こえないだろ」

 田村様の回転が止まりました。波を打っていた巨体が静まります。

「田村様。田村様」

「みりさ野郎。小魚野郎を救ってやれ。あずさ野郎と力を合わせろ。俺様が受けとった情報によれば、マジックP野郎共は“あの男野郎”が種付けした変異脳胎児を追いかけ、見つけた者を監視し、やがて処分している。しかし“あの男野郎”が咲藤野郎へ残したリストの中で、3人の胎児が所在不明のままだ。マジックP野郎共がこれだけ探しても見つけられないのだから、3人はすでに改造脳としての自我に目ざめ、潜伏しているはずだ。見つけ出し、兄弟全員で力を合わせ、ドクターS野郎のところへ到達しろ。小魚野郎の自然化はドクターS野郎ならできる。みりさ野郎ならできる」

「田村様がいなければ無理。わたしたちのために生きて」

 深呼吸しているのか、田村様の体が大きくふくらみ、しぼんでいきます。

「貴様たちのために、自分のために、死ぬ。ドクターS野郎と咲藤野郎によろしく伝えろ」

 田村様の体がケイレンを始めました。鉄格子をぎすぎす揺らしながら、鼓動のように言葉のように、現在生きていることを表明します。もう死んでしまうことを表明します。

「田村様。口を開けて、歯を開けて」

「みりさ。もう無駄だ」

 ケイレンがゆっくり鎮まってきました。大量の汗が衣服の色を変えています。

 舌の切れる音は聞こえませんでした。心臓の速度が落ちていく音も聞こえません。血が出る音も2つの脳が停止する音も鳴りません。わたしには人が死んでいく音など聞こえず、ほこりが積もる音も聞こえず、乱視のせいか、涙が出たのか、にじんでいる視界で、黒いじゅうたんがさらにドス黒くなっていく様子が見えるだけです。田村様の檻の床はわたしたちへ向かって斜めに下がっているようで、黒い血がどんどん厚くなるのが見えます。

 わたしにはなにも聞こえませんでしたが、幸せくんにはすべて見えたはずです。

「もっとラクに自殺できたらいいな。改造脳には情報自殺という装備がないから、自然脳と同じように苦しむ」

「不謹慎を言わないで」

 わたしは子宮を大きくたたきました。

「田村様はいい人だった。でも気づけなかった。情報と認識しかない宇宙で情報の本質を見誤れば、いい人が悪人に見えたり、あるわけない国境があるように見えたりする。でもわたしたちはまちがいに気づかず、偉そうに暮らしている。これから気をつけなきゃ」

「とりあえず時間稼ぎはできた。だけど田村様の自殺体を見たら、相手はみりさの体から自由を奪うだろう。みりさまで自殺されたら、困るはずだから」

「幸せくん、いいかげんにしなさいよ。時間稼ぎのことなんかどうでもいいでしょう。田村様はわたしたちのために死んだんだよ。脳の底から冥福を祈りなさい」

「みりさの気持ちはわかるが、死んだ田村様の魂が1番に悲しむことは犬死にだろう。俺たちだって結局はそれが1番悲しい。つまり俺たちがここで死んでは絶対にダメだ。脱出するためには冷静になるのが第一だ」

「魂? 幸せくん、小むずかしい話をするくせに、魂なんか信じているの?」

「まだ死んだばかりだ。田村様は四十九日まで俺たちの会話を聞いているよ」

{そんなわけないでしょう。田村様は死んだの。もう声なんか聞こえないし、ヘルメットをかぶっているから幸せくんの声は元々聞こえない}

「じゃあなんで口から声を出すのをやめて、心の会話になったんだ?」

{下らない話をしている場合じゃない。脱出方法を考えなきゃ。田村様を犬死にさせるわけにはいかない}

「みりさ、なんかヘンだ。ヘンな気配がする」

{下らない冗談やめてよ。わたしは魂とか幽霊なんか信じない}

「そうじゃない。まじめな話だ。火だ。火が近づいている。ふりかえって倉庫の壁を見ろ」

 わたしは田村様の遺体から目をそらし、ふり向きました。壁の下が赤く揺れています。ほこりが火圧に押されて舞い上がっています。

「みりさ。誰かがガソリンを壁の外側づたいにまいたらしい。放火だ。誰かが火をつけた」

{幸せくん、気づくのがおそい。誰?}

「田村様に気をとられていた。誰なのかはわからない。背の低い人間がいるという光子情報は感じる。幽霊じゃなく、人間だ」

{あたりまえだし、この場合は人間の方が怖い。きっとCドールだね。わたしたちをどうするつもり?}

 ガソリンの臭いが檻までやってきました。火勢は強く速くたくましく壁の下から吹き出ています。

「壁は鉄板だから燃えないが、壁を支えている下地に木が使われている。このままじゃ倉庫は崩れてしまう」

{田村様の自殺に気づいて、火葬するつもり?}

「まさか。理由はほかにある。とりあえず理由はどうでもいい。田村様が燃えるなら、俺たちも燃える。鉄格子は燃えないが、俺たちの体は可燃性だ。急いで脱出方法を考えよう」

{急に思いつくなら、苦労しない}

 わたしは火の動きを見つめながら舌の歯ざわりを確認しました。

{生きたまま焼かれるなんて、絶対にイヤ}

「もしもの時は痛みを止めてやる」

{ドクターⅡはなにをしているの? 本当にヤケになったのかな。あずさとランスはなにをしているの? 消防車を呼んでくれるかな}

 田村様のいる方角から、突然肩をつつかれました。

 驚愕したわたしの体は勝手に飛び上がり、天井の鉄格子へ頭をぶつけました。

 しかし痛みはすぐに飛びます。初登場の女性は梓よりも顔立ちが美麗で、肌は火を反射するほど輝いており、ブランドの高い化粧品と衣裳、バッグに靴で身を飾っています。

「ずいぶんほめていただいて、うれしいね」

 女性のルージュ線が笑いました。

{脳を読まれた。幸せくん、どうなっている}

「今さら驚くな。誰か知らないが、敵か味方か考えている猶予すらない。土下座してでも檻から出してもらえ」

 女性は田村様の遺体が寝ている檻の上へすわりました。

「土下座なんかいらない。200万円で助けてやる。命の値段にしては格安だ。初対面だから安くしておくよ」

 わたしの記憶装置が初対面の笑顔を見ながら作動しました。

{この人、知っている}

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