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ドクターⅡ・story79

 少年Dは部屋を出ていきました。

“ドクター”と紹介された白衣の男が椅子から離れ、赤ワインの入ったグラスを持ち、わたしへ近づいてきます。

 わたしは上半身だけ起こしたまま、白衣の男を見つめました。

「ここは、枝を組んだ小屋ですか?」

 立ち止まったドクターはワイングラスへ近づけたくちびるを離し、大笑いしました。

「枝を組んだ小屋か。Dドールはとっさに思いついたのだろうが、下らないウソだ。もっとおもしろい話を思いつけないようではCへ昇格できん」

 ドクターは少しだけワインを飲むと、グラスの残りを床へ捨てました。

 赤ワインは黒い床の上を流れ、わたしへ向かってきます。

 誰かの血がせまってくるような気がしたわたしは手のひらとヒザを使って少し左へ移動しました。

 ドクターが今度はワイングラスを床へ置きました。転がったグラスがわたしの手へぶつかります。

「この部屋の床は少しかたむいている。もちろん、枝を組んだ安物だからではない。人間の脳は平らな場所にいない時、体を安定させるために尽力する。容量をうばわれた分だけ情報処理能力が落ちるから、高性能を発揮できない。改造脳の連中と向き合う時はいろいろ神経を使うよ。生みの親が情報操作されては笑い話だからな」

 ドクターはヘンテコなヘルメットを脱ぎました。蒸れた長髪がだらりと垂れます。

「だが自然脳同士なら、つまらん小細工はいらん。お互い、人間らしい会話は久しぶりになるな。ゆっくり語らおうか」

 わたしは手にぶつかったままのワイングラスをよけようとして、やめました。

「幸せくんが口を開かないけど、寝ているだけですか?」

「Dドールは気絶させたと言っていた。なかなか鋭い感性の胎児だとほめていた。死なせるのが惜しい逸材なら、寝ているだけだろう」

「あなたがドクターSDですか?」

 ドクターは少し悩むような目をしてから、首をふります。

「とりあえずドクターⅡと名乗ろう。少なくともドクターSDではない」

「わたしは幸せくんの脳を自然脳に変えてほしいだけです。ドクターⅡには可能ですか?」

 突然、ドクターのくちびるがゆがみ、ヘルメットを床へたたきつけました。ヘルメットがごろごろ転がり、わたしのヒザにぶつかります。

「ドクターSDなど、この世には存在しない。貴様の安い脳にはまちがった情報がたっぷり詰めこまれている。新聞で読んだ情報、テレビで見た情報、教科書で知った情報、どれもゆがんだまちがいだ。貴様など、俺の目からは、脳の狂った虫にしか見えん。壊れた機械に等しい。実験台になるのが、ちょうどいい死に方だ。貴様らの実験手術は俺がしてやるから、安心しろ」

 わたしはワイングラスを床へたたきつけて割り、破片を指にはさめました。汗の臭いが死ぬほどイヤですが、思いきってヘルメットをかぶりました。立ち上がると足元がふらつきますが、気にしている場合ではありません。バッグが見当たりませんが、それどころではありません。

「わたしは実験台になる気なんかないの。あなたのように乱暴で短気なお医者さんに用はない。ここから出させてもらう」

 また突然、ドクターⅡは笑顔に戻りました。

「なるほど。凶器とヘルメットがあれば自然脳へも、改造脳へも、勝算を持てるか。なかなかいい判断だが、見落としている点が1つある」

「なによ」

「貴様は出口がどこか知らんだろう」

 わたしは周囲を見わたしました。部屋は職員室くらいに、声が響くほどの広さがあります。斜めの床は黒く、壁はうす暗く、頭上には小さなライトがいくつもあり、唯一白い天井を浮き立たせています。ドクターⅡのすわっていた椅子、ワインボトルの置かれているテーブル、小さな木目調の棚があるだけで、ほかの家具はありません。室内に見えるものはこれだけです。もう1度壁を見回しましたが、ドアはどこにもありません。

「さっき、アルファベットバカが出ていったはず」

「後を追いかけたらどうだ」

 わたしの動揺を見て機嫌が直ったのか、ドクターⅡは笑いながら椅子へ戻りました。

 わたしは必死に言いかえします。

「誰かが入ってくるのを待てばいい。出入口がどこかわかれば脱出できる。わたしにヘルメットを取られたままだと、ドクターはアルファベットバカに操作されるかもね」

 ドクターは笑顔を大きくすると、椅子の陰から別のヘルメットを出しました。

「そのヘルメットは長い間使っているせいか、かぶるたびに髪が汗臭くなる。そろそろ新しいものと換えようと思っていたところだ」

 わたしはすぐにヘルメットを脱ぐと壁へ近づき、硬い材質をヘルメットで叩きまくりながら壁づたいに歩きましたが、出入口らしい手ごたえはありません。壁の感触がずっと続くだけです。

「うるさい女だ。無駄なことはやめて、そこへすわれ」

「どうしてなの? わたしはどうやって入ってきたの?」

「じゃあ取引だ。今の質問に答える代わりに、俺の質問へ答えろ」

 部屋を1周したわたしはドクターの正面に立ちました。

 ドクターは新しいグラスへ赤ワインを注いでいます。

 わたしの指にはさまれているグラス片から出血が床へ垂れます。

「質問、ってなに?」

「俺の手術の腕を貴様はよく知っているはずだ。Dドールはよくできているだろ。あいつの同期生は5人おり、うち2人の脳を俺は改造した。残りのうち2人はまだ適正がないので、もう少し脳が成熟してから執刀する」

「あんな子どもに、よくそんなこと」

「貴様はそう言うが、もっと小さい子どもの脳を手術できるヤツもいる。おそらく世界でも類を見ないほど完璧な自然脳だ。あいつは完璧な神だ。貴様が目指すべきはそいつだな。胎児の脳を手術できる、地球唯一の存在だ」

 わたしはグラス片をにぎりしめました。

「その人はどこにいるの?」

 ドクターⅡはワインを口にほんの少し入れます。

「たどりつくためには、生きていなきゃいかん。いくらあいつでも死んだ脳の再生はできん。生き延びるために、俺の質問へ答えろ」

「なにを聞きたいの?」

「俺が日高で作り出した最初の成功作品が梓だ。おまえの愛人は失敗作だが、梓は成功といえる。もちろん山中でCドールの情報を防げなかったように、最新型であるCドールとDドールにはかなわんがな」

「梓がどうしたの?」

「梓だけじゃない。CドールとDドールの同期生には5人の中で最も優秀な素材であるAドールがいる。コードはALNC。こいつの脳を執刀するのは、俺の夢だ。ワインを飲むより楽しそうなことは、この夢以外にない」

「まさか。ランス」

 ドクターⅡは定番の手つきでワイングラスを揺らします。

「Dドールは睡眠中の貴様の脳を誘導し、梓とランスの隠れ場所を読みとった。2人とも日陰生活が長いせいか、薄汚い橋の下でもよく眠れるらしい」

「やめてよ。2人はわたしの大切な友だちなの」

「落ちつけ。友だちと呼ぶのは貴様の勝手だが、あの2人は貴様のように浮かれたりはしない。DドールとマジックPの者が橋を包囲した時、もう誰もいなかった」

「逃げたの?」

「あの2人が居眠りしながら、うっかり川へ落ちて、おぼれたと思うか?」

 わたしは握力の緊張を解き、グラス片もヘルメットも床へ落としました。ヘルメットは数回だけ転がり、止まりました。

「よかった。びっくりした」

「安心するのはまだ早い。さっきDドールが戻ってきたのは、貴様の潜在意識へ再アクセスするためだった。貴様が第2の隠れ場所を知っているなら、梓とランスの情報へ意識を誘導させることで、つまり梓とランスの夢を見させることで、2人に関する情報が浮かび上がり、Dドールにわかるはずだからな。しかし隠れ場所は潜在意識へ浮かんでこなかったらしい」

「当然よ。次にどこへ行くかなんて話さなかったもの」

「貴様は単独行動をとった。ふつうなら万一の時の集合場所を打ち合わせておくだろう」

「そんな話は一切しなかった。わたしに梓たちの居場所を聞きたいなら無駄よ」

 ドクターⅡはワイングラスを揺らし続けています。

「さすが梓とランス、というべきか。それともウソをついているのか」

「ウソ、ってなに? アルファベットバカがわたしの脳内を見たわけでしょう。ウソのつきようがないじゃない。根拠もなく、うたがわないでよ」

 ワインをラッパ飲みしたくなるほどイライラしてきた時、幸せくんの声が目ざめました。

「みりさ。ドクターⅡはアルファベットバカがウソをついている可能性を心配しているんじゃないか?」

「アルファベットバカがウソ?」

 わたしが大きな声を出すと、ドクターはグラスの揺れをとめ、笑いました。

「胎児が目をさましたのか?」

 わたしがうなずくと、またワイングラスが揺れ始めます。

「胎児の指摘どおりだ。俺は優秀な改造脳を生産した。しかし彼らを信用する心は持てなかった。彼らと話す時は、この特殊な高性能ヘルメットが必要だ。俺の心をのぞかせるつもりはない。つまり我々には信頼関係がない。情報は常にうたがい、吟味するものであり、我々がコミュニケーションを築くためのものにはなっていない」

「そんな。アルファベットバカは、ドクターSDを親と思う世代、とか言っていたけど」

「ウソに決まっている。情報とはそういうものだ」

 ドクターⅡはグラスの残りを一気に飲み干しました。

「貴様のように純朴な自然脳と会話するのは久しぶりだ。悪い気分ではないな。お礼というわけではないが、いい情報をいくつか教えてやろう。まずは“情報をすべて信じるな”」

「なにそれ。矛盾している」

 ドクターⅡはワインボトルの上下をまっさかさまにして、豪快に次の杯を注ぎました。

「確かに矛盾しているな。“情報をすべて信じるな”という情報を信じるべきか、どうか。とりあえず、貴様には胎児がいる。俺がウソを言っているかどうか、鼓動や脈拍から読みとれるはずだ。体にはヘルメットをかぶせられないからな。俺の話にウソがあったなら遠慮なく指摘していいぞ」

 わたしは脳の中でつぶやきました。

{幸せくん、なんか滅裂な展開になりかけてない? わたしたちをどうこうするのではなく、とりあえず話をしたいみたい。もしかしてこの人酔っている?}

「自然脳と話しこむのは久しぶりなのか、緊張がゆるみ、脈がとてもリラックスしている。改造脳と関わり続けるドクターの生活は厳しいものなんだろう。こっちは確かにウソと本当をかぎ分けできる。ドクターの言葉がウソなら、みりさへすぐに伝えられる。とりあえず情報を聞いておこう」

 ドクターⅡのこぼしたワインが床を流れ、止まりました。黒い床に浮かんだ赤い池が、天井のライトを反射します。

 ドクターがグラスを大きく揺らすので、なみなみと注がれたワインが滝になってあふれます。

「教えてやれる2つ目の情報だ。貴様はドクターSDに手術を申しこみたいそうだが、さっきも言ったとおり、そもそもドクターSDなどこの地球に存在しない」

 幸せくんはなにも言いません。

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