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止められない時間・story73

 山の中を縫う国道にはいくつもトンネルがあります。トンネルを抜けるたびに夜明けが進んでいるのを実感します。

 梓が、池を横断した時に濡れたらしいジーパンの水分を、ちぎったシートカバーでふいています。

「sub。本当かウソかを気にしていたら、情報戦時下では前へ進めなくなります。まず自分を信じましょう。自分の選んだ情報を信じましょう。そして自分の選んだ情報が本当かウソかを確かめるために生きていきましょう。ウソだったならその時に考えればいいのです」

「あずさはランスの言葉を信じたから、札幌へ向かっているの?」

「sub。友だちの言葉です。ドクターSDは札幌にいると信じます。田村様が居場所を知っているというなら、田村様を探します。それに、わたしより高性能の改造脳と山中で戦うのは不利です。市街戦になると、わたしたちだけでなく、周囲にいるたくさんの脳をごまかす必要が敵に生じます。エネルギーを早く消耗させられます。ランスが馬券を買えますからお金の調達にも苦労しませんし、みりさが市内の地理に明るいのも心強いです」

 わたしは力強い手つきでシートカバーを引きちぎり、梓のジーパンをゴシゴシふいてあげました。平凡脳のわたしでも戦力になれるのが、うれしいです。ここ一番のたびに気絶させられるしか役がないようでは気が引けてしまいます。

 それに札幌へ戻られたなら、マンションへ帰るチャンスがくるかもしれません。金魚へエサをあたえたり、化粧品や着替えやもう2枚あるクレジットカードを持ってこられたりすると、テンションが上がります。

 考えただけで、早くも上機嫌になったわたしは頭の回転まで良くなりました。

「田村様のいる場所が想像ついたよ」

「sub。本当ですか? 心当たりがありますか」

「ランスが気づかなきゃならないところだね。田村様は咲藤さんのところへ行くよ。札幌へ行くたびに寄っていたわけでしょう」

 ランスが目を閉じたまま左カーブへハンドルを合わせます。

「ヒヒヒ。みりさちゃんはバカ。田村様が咲藤さんのところへ行く確率は2%以下」

「バカとはなによ。どうしてそんなに低いの?」

「ハヒヒ。“あの人”が店の前でバイクにはねられている。咲藤さんは“あの人”との関係などについてマジックPから詰問されたうえで、厳しくマークされているに決まっている」

 占ってもらうために店へ行った時、別の妊婦とその尾行者が来ていたことを、わたしは思い出しました。咲藤さんは“言葉を話す胎児”が存在する話を聞いており、聞いた事実をマジックPに知られています。

「確かに咲藤さんはマークされているかもしれないけど、田村様はマジックPを恐れていないはずでしょう」

「ヒヒヒ。マジックPは投光機のついたヘルメットをかぶっていた。ヘルメットを見た田村様はすぐに逃げ出すはず」

 言い合いのまん中にいる梓がわたしの視線をさえぎるようにシートカバーをふりました。

「sub。ランス、田村様が川でおぼれた可能性はどれくらいですか?」

「ヒヒハ。とても低い。1%以下。田村様の運動神経はみりさちゃんより上」

「わたしを引きあいに出して、どういうつもり?」

 梓の手がまたシートカバーをふります。

「sub。どうぞ煙草を吸ってください。落ちついて話し合いましょう」

 ライターの小さな火が、薄暗い席で大きな明かりに見えます。

 煙を吐き出すと、スズメバチたちがわたしから遠ざかります。

「sub。札幌市街へ着く前に、状況を整理しておきましょう。幸せくんと梓は寝ていますが、幸せくんは後からみりさの記憶を開けますので、起こさなくてもいいでしょう。梓はどっちにしろ議論に参加できませんから、同じことです」

「フヒヒ。ボクも寝顔だけど、起きている」

 わたしの言葉が煙を引き連れます。

「わかっているよ。そんな風にヘラヘラ眠っていたら気持ち悪い」

 あずさの声がわたしとランスの下らない会話間で壁になります。

「sub。田村様はおぼれることなく、わたしたちと同じように札幌市街を目指していると仮定しましょう。田村様とわたしたちはどこかでまた会う可能性があるということです。田村様の能力で相手の五感すべてを操作するのは大きなエネルギー損失になります。したがって視覚のみを操作される可能性が高いです。みりさは目を閉じても幸せくんに誘導してもらえますね。また反射神経統制を奪われても、幸せくんが主導権を奪いかえせます。田村様とばったり会ったとしても心配いらないでしょう」

「フヒヒ。ボクもだいじょうぶ。田村様のデータをたくさん持っているから、対応できる」

「あっさり気絶させられたくせに」

 わたしは窓から吸殻を捨てました。かなり明るくなってきた国道のすぐそばを川が併走しています。田村様の巨体が泳いでいないか、思わず視力をこらしてしまいます。

「sub。ただし、改造脳は経験値によって性能を自然上昇させます。あるタイミングで急に強くなる可能性があります。田村様がわたしより高性能になることだってありえます。油断しないようにしましょう」

「じゃあ、池に現れたのも田村様かな?」

「フヒヒ。みりさちゃんはバカ。小屋にこっそり油を塗ったり、火を放ったり、田村様の行動パターンじゃない。それにトラックがヘルメットの戦闘員に囲まれていた。すべてマジックPの仕業に決まっている」

 わたしは梓の手から煙草をもう1本とりました。ライターの炎が指先でメラメラ燃えます。

「sub。田村様が強くなることへの警戒心は必要ですが、同じことは田村様側にも言えます。田村様も警戒しているはずです。おびえているかもしれません。幸せくんの若い能力が田村様を大きく超える可能性は充分です」

 子宮をなでたわたしは長い吸殻を窓外へ捨てました。川はいつのまにか国道から遠ざかっており、夜明けに浮かびきれない暗い木々がならんでいます。

「sub。マジックPがかぶっていた大きなヘルメットには田村様対策の水が入っていたようです。昼間の追っ手は帽子だけでしたが、水ヘルメットをかぶっていれば田村様に幻を見せられたあげく、殺されることはなかったでしょう。ただし水ヘルメットはわたしや、池へやってきた高性能には効き目がありません」

「高性能に勝つ方法はある?」

「sub。ないでしょう」

 あずさは素早く返答してから、美しいあくびをしました。梓の顕在意識が目ざめたのかもしれません。

「sub。あえて探すなら、どうにかしてエネルギーを消費させることです。相手は情報戦に優れているというだけで、古典的なケンカまで強いとはかぎりません。エネルギーをうしない、情報操作できなくなれば、ただの人です」

「どうやったらエネルギーを消費させられるの?」

「sub。無駄な情報をたくさん出させたり、体力を使わせたりすることです。激しいセックスをさせるのは非常に有効です」

 わたしは窓ガラスへがっくり、ほほを押しつけました。

「悪いけど、妊娠中なの。ほかにいい方法を見つけたら教えてね」

「フヒヒ。でも手段を選んでいる場合じゃない。もうマジックPの追っ手に死者が出ている。マジックPはボクたちを殺したいはず」

 暗くてよく見えませんでしたが、ランスは義手を使って少年の腕の短さをフォローし、大きなハンドルをにぎっています。

「sub。わたしたちは全員、マジックPからの脱走者です。つかまったら確かに殺されるでしょう」

 わたしはあなたたち脱走者とはちがう。言いかけた声で窓ガラスが小さく曇りましたが、言葉にはしませんでした。友だちへ向けられるセリフではありませんし、いずれにしろわたしだって、つかまれば殺されるでしょう。

「sub。マジックPは田村様も殺したいはずです。田村様はマジックPもわたしたちもすべて壊滅させたいでしょう。つまり三つ巴戦争です」

「フヒヒ。ボクたちが1番不利だ。ボクたちは別に相手を殺したいわけじゃない」

「sub。そうです。わたしたちの目的は相手を殺すことではありません。不利な条件がもう1つあります。わたしとみりさの目的には時間的制約があるのです。人間は時間を延ばしたり、急いだりする方法を多く持っていますが、臨月を先へ延ばしたという前例はありません」

 ランスの義手がハンドルを回しました。

 フロントガラスの風景絵が一変します。市街地の雑色が夜明けを浴びています。久しぶりに出会った信号が黄色になりましたが、ランスの義足はブレーキを踏まずに、赤信号の下をくぐって街へ入りました。

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