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本当とウソの境界線・story72

 脳がガタガタ揺れたせいで、わたしは目をさましました。

 開いた目にはほとんどなにも見えません。暗い景色が揺れているということだけ、わかります。

 誰かが手をにぎってくれていると、わかります。

 車に乗っているとわかってきました。大きな車の、高い座席のようです。

 ヘッドライトもつけず、闇の中を走っているとわかってきました。山中のガタガタ道を下っているとわかりました。

 穴にでもつまずいたのか、タイヤが大きくバウンドしました。

 浮き上がったわたしのお尻が硬い座席へ落ちます。

 バウンドの瞬間、にぎってくる隣席からの手に力が入り、入りっぱなしのまま、わたしへ話しかけてきました。

「sub。気絶させたりしてごめんなさい。幸せくんはまだ眠っていますか?」

 わたしはにぎられた力を、にぎりかえしていいのかどうか、迷いました。

「どうして、友だちをいきなり気絶させたの? 相談くらいしてよ」

「sub。時間がなかったので、ごめんなさい」

「幸せくんはだいじょうぶなの?」

「sub。もちろん、ただ気絶させただけです。痛くも苦しくもないはずです」

 車がまたバウンドしました。スズメバチらしい虫影が、暗さの中で黒く跳ねます。

「ここはどこ?」

「sub。山道です。もうすぐ国道へ出ます」

「どうやって、こうなったの? この車はなに?」

「sub。ランスが小屋の扉を破ったので、回り始めた火の中から鳩とスズメバチが解放されました。敵はわたしたちの五感すべてへ情報を送ってきていましたが、スズメバチや鳩は操作されていませんでしたので、わたしは自分の五感を封鎖し、鳩の視覚情報へ光子ミラーを使い、周囲の本当の様子を察知しました。鳥は夜になると目が見えなくなるという誤解も多いようですが、実際のところ鳩をふくめたほとんどの鳥類は夜目を使えます。気絶させたみりさを肩にのせ、反対の肩に夜目のきかないスズメバチたちをのせ、ランスの手を引いて池を突破しました」

「どうして、わたしだけ気絶させたの? スズメバチと同格に肩へのせたなんて、わからない」

「sub。怒らないでください。ランスは感情がないので、わたしの説明へ脳が素直に対応できます。わたしの説明へ完全に対応してくれたら、敵を忘れ、谷底を忘れられます。しかしみりさは多感です。ほんの少しでもわたしの説明を“うたがう”という不安感情が湧いてしまったら、敵の強力な操作から逃れられなくなります。つまり、みりさの脳だけ架空の谷底へ落ちてしまう可能性があったのです」

「脳だけ落ちる? あなたたちの世界は本当にめんどうくさい」

 少しずつ夜へ慣れてきた目に、車内の様子が見えてきました。運転するランスの左に梓がすわり、さらに左にいるわたしの体がガタガタと砂利の振動を拾っています。

「sub。笹薮を下って田村様のトラックを奪いました。マジックPの者が数名いましたが、ランスが小矢の飛び出る水鉄砲で撃退しました」

「ヒヒヒ。暗かったけど、相手のヘルメットに投光機がついていたから、むしろ撃ちやすかった。ヒヒヒ」

 ランスの薄ら笑いが振動を拾います。

「じゃあ、トラックで逃げている途中? まっ暗なのにライトもつけず運転してだいじょうぶなの?」

「sub。相手の情報テリトリーから抜けたのか、あるいは情報の送信を止められたのかわかりませんが、トラックの近くまでくると、わたしたちへの操作は終わりました。ですが、ふたたび情報操作で追われる可能性があります。いつ視覚を奪われるかわかりません。対応策として、鳩が2匹車外を飛んでいます。目を閉じているランスの視覚情報は鳩からわたしへ送られてきたものを、わたしからランスへ送っている情報です」

「目を閉じたまま、ハンドルを操作しているの?」

 トラックが右へカーブします。

 先入観のせいか、鳩の飛ぶ姿を見た気がします。

「馬はどうしたの?」

「sub。逃げるのに夢中で、気が回りませんでした。火から逃れているといいのですが」

 目の前に灯りが見えてきました。鈍い薄茶色をした国道の路灯です。

「フヒヒ。札幌へ戻る」

 ランスが札幌の方角へハンドルを切りました。舗装道路で安定するようになった座席へわたしはぐったり寄りかかりました。

「sub。みりさ。友だちをいきなり気絶させたこと、許してください」

 路灯の下をかすめた鳩を見ながら、わたしは梓がにぎってくる手に力を入れました。

「友だちのあずさを信頼している。ちょっとびっくりしたから、なんかイヤな声を出しちゃった。ごめん。これからも状況によっては遠慮なく気絶させて。幸せくんが痛くなきゃ、いい」

 明け方近い国道ですが意外に交通量が多く、鋭い目線のようなヘッドライトがすれちがいます。

「あずさ。このトラック、正体がバレているよね。マジックPが待ちかまえているかも」

「sub。まったくちがう車種という情報を周囲へ送り続けています」

「ごめん。作業中なんだ」

「sub。ただ、わたしより高性能の改造脳へは通用しないでしょう。相手はわたしの脳を上から見ているはずです。つまりわたしの脳からの情報には屈しません」

 梓の手を離し、両手で子宮をなでました。幸せくんは寝足りないところを起こされた直後の気絶ですから、当分起きないかもしれません。

「フヒヒ。あずさちゃんより高性能が出てくるなんて、マジックプランは順調」

 目を閉じているランスの薄ら笑いが路灯に照らされ、すぐに消え、また照らされます。

「そこが疑問だよね。ランスが持っていた情報では田村様をしのぐ改造脳の完成には数年から数十年かかるはずでしょう。梓やあずさより上の改造脳が急に登場するのはどうして? あずさはマジックPの情報をどれだけ持っているの?」

 わたしの手から離れた梓の指がスズメバチをのせます。スズメバチの黄色い体が路灯を浴び、すぐに闇へ沈みます。

「sub。わたしの情報は“あの人”からの手紙でドクターSDの存在を知ったことと、梓の記憶に残っている日高の施設の様子ぐらいです。あとは田村様とランスの会話を鳩の視覚に偵察させ、読唇術で知った情報しかありません。だからランス以上の最新情報はないのです」

「じゃあ、さっきの高性能改造脳はみんなが知らない超最新情報に出てくるのかな。ドクターSDが超級にがんばったとか」

 自分の目で運転していないせいか、元々下手なのか、ランスは大きなカーブを少し不器用な急ハンドルで曲がり、梓の指からスズメバチが落ちました。

「sub。ドクターもがんばってはいるでしょうが、それよりランスの情報をうたがいましょう。ランスをうたがうという意味ではありません。情報戦時下では本物の情報より、ウソの方が圧倒的に多く配信されます。田村様がランスへ不正確な情報を話したか、あるいは田村様もウソをつかまされていたのか、いずれにしろ情報戦ゆえに、情報へ頼るよりは、現実に見たものを情報化する方が正確でしょう。わたしより高性能の改造脳はまちがいなく存在するのです。人間の脳は思った以上の進化を遂げることがありますから、決して不思議ではありません」

 わたしの足をつたい、スズメバチが子宮まで昇ってきました。幸せくんのそばへじっとしがみついたかと思うと、すぐに飛び立ち、梓の頭へとまります。梓の美しい顔は目を閉じながら、交互に浴びせられる外灯と闇へ、浮き沈みしています。

 わたしはなんとなく明るくなってきたような気がする景色を眺めました。同じ1つの景色でも、人間の目、犬の目、スズメバチの目、それぞれにちがって見えるそうです。届く光子情報は同じなのでしょうが、解析の能力に差があるため、ちがう風景になるのです。

 では、いったい誰の目に映る景色が“正しい”のでしょうか。人間は地球で最も脳が発達していますが、視覚に関しては人間より優れているものがたくさんいるはずです。だから人間に見える景色が正しいというべきではないでしょう。わたしたちはいつもウソを見ながら生活しているのです。ウソの情報を本当と信じこみ暮らしているわけです。

 人間に見える景色がウソなら、誰の景色が本当なのでしょうか。

 神様でしょうか。

 しかし神様はこの宇宙にいないはずです。

 神様がいないなら、“本当”という言葉は定義をうしなうのでしょうか。“本当”が存在しないのなら、情報の戦時下をどう戦えばいいのでしょう。

 自分のひとさし指を目の前に持ってきました。立てたひとさし指へスズメバチが飛び移ってきました。目を閉じると、スズメバチの重み、細い虫手のふれてくる点感覚が、脳へ“見えてきます”。

「sub。幸せくんと会話中ですか?」

 あずさの声が見えます。

「あずさ。たしか“日高の実験体は術後の新しいクオリアへ無理なく対応するため、古い記憶を切除された”って言っていたよね。どうして梓の記憶はすべて残っているの?」

「sub。“日高の実験体は古い記憶を切除された”という情報はウソではありません。ただし梓は例外でした。梓には記憶が残っていても、ほとんど認識できないわけですから、切除の必要なし、と判断されました。妊娠するなんてマジックPの計算にはありませんでした」

「あの人は記憶を切除されたのに、どうして街を歩けたの?」

「sub。切除後の経験値です。改造された脳なので、急速に進化し、1年ほどで大人の人間生活が可能になります。ただし古い記憶はありませんので、自分の故郷へ帰るといった行為はできません。街を歩き、次々と妊娠させていくだけでした」

 ハチがいない方の手で、幸せくんの感触をなでます。

「情報が本当かウソかを決める神様はどこにいるの? 本当とウソの定義はなに?」

 空が少しずつ明るくなってきました。おそらく光量は変わらないのでしょうが、路灯が暗くなってきたように見えます。すれちがう車のヘッドライトも暗くなったように見えます。

 対向車の目からはこのトラックがちがう車に見えているはずです。

 その情報は“ウソ”なのでしょうか。

 もしもウソだと言うなら、わたしが見ている情報もウソではないでしょうか。本当の夜明けはもっとちがう色や形なのではないでしょうか。少なくとも鳩やスズメバチはまったくちがう夜明けを見ているはずです。

“それぞれに見ているものが、それぞれの本当だ”というのなら、対向車が見ている“ちがう車”という情報は本物のはずです。

 あずさが目を開けました。

「sub。本当もウソも宇宙にはないのかもしれません」

 わたしは目を閉じました。

「それは本当なの?」

 目を閉じたわたしはなにも見ていないのでしょうか。それとも暗闇を見ているのでしょうか。

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