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光子がなくても相互作用する心・story70

 ランスは濡らしたティッシュペーパーで水鉄砲をみがき始めました。

「フヒヒ。ボクが信じるのは水鉄砲とデータ。信じるも感情なら、ボクにも感情がたくさんある」

 梓がランスの手つきをマネて、ハチを1匹みがき出します。

「sub。感情は失われることなどありません。友だちと長い時間一緒に過ごせば、今は発火しない感情も、発火するようになるはずです」

「ヒヒヒ。友だちのあずさちゃんに質問がある」

 ランスが水鉄砲を引っくりかえすと、梓もハチをあお向けにします。

「フフヒ。田村様を突き落としてから、みりさちゃんもボクも体が濡れていた。大雨が降って、さらに濡れた。池の中でおぼれた。水びたしだったのに、あずさちゃんはどうしてボクたちを情報操作できたの?」

 ランスは言ったあとで、水鉄砲を口にくわえました。

 梓はスズメバチをくちびるへ近づけましたが、あずさに指の力を抜かれたのか、ハチを落としてしまいました。

「sub。光子は水分へふれると屈折しますので、髪の濡れている人へは情報を強力化して送信します。空中でははっきり聞こえる音も、水中へ潜ると聞こえにくくなる。しかし音量が大きければ聞こえます。原理は同じですね。田村様は髪の濡れた女性へ光子情報を送るのが困難ですが、わたしにはできます。ただし池の中へ潜った脳は操作できません。みりさもランスも最初からおぼれてなどいないのです。雨も降ってはいません」

「ヒヒヒ。雨からだまされていた」

 ランスが水鉄砲を指で回すと、梓が指先へのせたゼリーを駒のように回転させます。器用な指は琥珀色のゼリーを落とすことなく高速で回しながら、小さな灯りをくるくる反射し、わたしの目を奪いました。

「梓、手先が器用なの? あずさがやっているの?」

「sub。梓が自分で回しています。梓は器用ですね。味にこだわらないので料理は苦手ですが、このゼリーも梓が作ったものです。大好きなスズメバチを1匹犠牲にしました。スズメバチは体力が強いので、抽出したエキスには栄養があります。これを食べて、今日はもう休んでください」

 ランスがあくびをすると、梓も笑いながらあくびをします。

 わたしは梓の指からゼリーをもらい、口へ入れました。ウイスキーとハチミツと塩の味がします。後味が少し生臭いです。

 幸せくんの声が高鳴りました。

「いい栄養分だ。妊婦には最高の食事だよ」

「あまり混ぜないうちに固めたみたいね。もう少し味が混合するといい。生臭さがなければなんとかいける」

 偉そうに言ったわたしですが、すべて食べました。胃に力がたまり、肩の力がホッと抜けます。

「トイレとシャワーを借りたい。あの人のダンボール箱には生活用品がぎゅうぎゅう詰めだったみたいだけど、化粧品はあった?」

「sub。ありません。リンスとカミソリもありませんでした」

{幸せくん、聞いた? 情報操作じゃなくても男にされるよ}

「大げさなことを思いこむな」

 幸せくんはさっそくゼリーの栄養分を補給したのか、声が元気になっています。

 わたしは心が沈みます。

{大げさじゃない。6週間もリンスなしの女なんか札幌にいないよ}

 ランスがゼリーを指にのせ、梓のマネをしようとしています。

「ヒヒヒ。人数が増えても食糧や水はだいじょうぶ?」

「sub。ぎりぎりでしたから補給の必要があります。雪が解けたので、山菜を採ったり山鳥を捕まえたりして、しのぎましょう」

 わたしは両手を打ち鳴らしました。

「あずさ。トイレットペーパーもなくなるでしょう。街へ買出しに行った方がいい」

「ヒヒヒ。リンスが欲しいだけ」

「黙っていなさい。ランスだってトイレへ行くでしょう」

 梓の笑顔が小さくなっています。体の奥であずさが考えごとをしているのでしょうか。

 テーブルや壁へ散っていたハチが巣へ戻り始めました。2羽の鳩が擬似暖炉の前で寄り添います。

 静かになった部屋へかすかな物音が聞こえてきました。

 幸せくんが教えてくれます。

「馬が隣の部屋にいるみたいだ」

 ランスが水鉄砲を下駄へかたづけます。

「ヒヒヒ。でもボクも買出しに行きたい。みりさちゃんがなくした水鉄砲を買いたい」

「いやな言い方しないで。しかたなかったんだから」

 梓が立ち上がり食器をかたづけ始めました。

「sub。マジックPの人間が山中へ大量に入ってきています。みりさが河原で会った者たちは武装しているだけでしたが、水を内蔵したヘルメットをかぶっている者もいます。田村様にだまされないための対策だと思います。わたしたちへは通用しませんが、しかしわたしたちへの対策もしてくる可能性があるということです。マジックPはあの人が妊娠させた相手をまちがいなく把握しています。梓の存在は最も注目されます。池から離れるのは危険です。買出しとなると遠くへ行く必要がありますから、馬に乗らなきゃなりません。3人騎乗するのは無理ですので離れ々々になる。やっぱりダメです」

「でも、6週間後には同じ悩みを抱えるよね。どうするか考えはある?」

 わたしが立ち上がり食器重ねを手伝うと、梓は入れちがうようにすわってしまいました。

「sub。急な展開だったので、先のことは考えていません。正直に言うと、途方に暮れています。ドクターSDがどこにいるのか、まったく見当がつかないのです。先ほど現れたマジックPの者を1人捕まえて、尋問しようとも考えましたが、追っ手として派遣されているような者はドクターSDの隠れ場所など知らないでしょう。知っている人間をわたしたちへ近づけるほどマジックPはバカじゃありません。6週間後に胎盤がつながったとしても、小屋から1歩出て、馬の首をどちらへ向けたらいいのかわかりません」

 梓がまた笑います。化粧品もリンスもないのに、どうしてこれほど美しく笑えるのか、ねたましくなります。三十代半ばとは信じられません。ルージュをのせ、ダイヤのピアスを刺せば、ススキノのどこへ立っても通用するでしょう。目をとめない男はいないはずです。

「ヒヒヒ。ドクターSDが札幌にいる確率95%」

 ランスがわたしたちの視線を吸い寄せました。

「ランス。深い分析なしで言ったらダメよ。ドクターSDのデータなんかあるの?」

「フヒヒ。ドクターのデータはない。でも田村様のデータがある。田村様は釧路からまっすぐ札幌へ来た。ドクターが大雪山系にいるならまっすぐ大雪へ行く性格。どこにいるかわからないなら、とにかく探そうとする性格。でもまっすぐ札幌へ来て手下を集めたり細かい情報を集めようとしたりしただけ。田村様がドクターの隠れ場所をある程度知っている確率93%」

 わたしと梓は顔を見合わせました。ランスがデータを基に出した確率は信用できます。

「田村様を見つけて場所を聞き出そう。あずさなら勝てるでしょう」

「sub。でも田村様がどこにいるかわからなくなってしまいました。マジックPの人間を見ただけに、田村様も山へ戻って来ないでしょう」

「じゃあ、札幌へ行って探そう」

 わたしの前向きな意見へ幸せくんがケチをつけてきます。

「みりさ。札幌は広いし人が多い。あんなデブでもなかなか目立たないぞ。元より目立たないようにするだろうし」

 梓がまた立ち上がって食器を持ちました。

「sub。とりあえず、1晩休んでからゆっくり考えましょう。今はみんな疲れているし、急な環境の変化で脳が落ちつかない状態です。明日また話し合いましょう。みりさ、シャワーを浴びてください。わたしはここへ布団を敷いておきます」

 食器を運ぶ梓の後ろをついていくと、隣の部屋で馬が人参をくわえていました。

 トイレの臭い、馬の臭い、なんともいえない臭いが充満しているスペースで、馬の気配を感じながら、ぬるくて勢いのないシャワーを浴びました。

{幸せくん、やっぱり長居はできないよ。こんな臭い場所で体を洗っても、逆に汚くなる。石鹸は固いし、お湯はぬるい。たっぷりの熱い泡へ入らないと、お風呂の気分が出ない}

「ぜいたく言うな。命がけで逃げている途中だぞ」

{ここの中を洗っている時は話しかけないで}

 シャワーを終え、用意されていた梓のTシャツとロングスカートをはきました。

{故意にスカートで寝るのは初めてだと思う}

「マンションでの最後の夜がそうだっただろ」

{自分のベッドが恋しいよ}

 馬の部屋からみんなのいる部屋へ戻ると布団が1枚敷いてありました。

「sub。布団は1組しかないので、ごめんなさい」

 ランスがシャワーへ行きました。

 わたしは布団の端へ寝転がり、子宮をなでながら、椅子にすわる梓を見ました。

「今はどちらと話せるの?」

「sub。どちらでもどうぞ。わたしも灯りを消すまで起きていますから」

「日高の施設で、手術や検査を受けていた最中の話はなかったけど、話したくないの?」

「sub。記憶がほとんどありません。ドクターⅡは部屋から梓を連れ出す時、目隠しと耳栓をしていましたので、光子情報すら残っていません。麻酔を受けている間ももちろんです」

 わたしは子宮から手をよけました。

「あずさは光子ミラーを使えば、幸せくんと直接話ができるよね」

「sub。みりさへはミラーを使わないと決めました。約束もしました」

「兄妹だから、話をしたいでしょう」

「sub。血縁関係はあまり感じません。情報が細かすぎると、人と人とはどこも似ていませんから」

「俺もだ。ついでに言うとみりさを母親とは思わん」

 わたしは子宮をたたきました。

 梓の笑顔がわたしと幸せくんを見下ろします。

「sub。ミラーを使わなくても、幸せくんの発言がわかります。わたしも梓を母親とは思えません」

 梓の体が、わたしの横へ寝転がりました。梓の手がわたしの子宮をなでてきたので、わたしもなでかえしました。

「わたしたちは、あずさも幸せくんも、みんな友だち、でいいね」

「sub。はい」

 梓とあずさの声が同時に聞こえたような気がしました。

 開けていた目がぼんやりしてきます。ここ2晩満足に眠っていない目へ、天井の灯りが乱視ブレして2つに見えます。

「梓とあずさ。もう眠くなってきたから、もう1つだけ言って寝るよ」

 言いかけたわたしのくちびるを梓の器用な指が押さえました。

「sub。ミラーを使わなくてもわかります。でもお礼はいりません。助けてあげたなんて思っていませんから。わたしたちは友だちです」

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