錯覚という錯覚・story6
「どんな言葉でも載っている辞書」と聞いたので、2年ほど前に広辞苑を1冊買いました。とりあえず最初に「広辞苑」という言葉を探したのですが、載っていませんでした。
以来、ほとんど開いたことのないブ厚い辞書を二日酔いの指でめくっています。
「錯覚」①知覚が刺激の客観的性質と一致しない現象。
②俗に思いちがい。
こういうのって無断で転載してもいいのでしょうか? 罪だったら、ごめんなさい。
わたしが知りたかったのは、飲みすぎでぐるぐる回っている脳の奥で聞こえた「早く寝な。眠るのがなによりの対処だ」という言葉が錯覚だったのかどうかということ。
声はたった1度しか聞こえず、どんなに耳を澄ましても2度と聞こえず、しかしあの「早く寝な。眠るのがなによりの対処だ」という声の質感はまちがいなくわたしの奥に残っており、俗に思いちがい、では決してない。
もう1度聞きたい。聞きたいという思いのおかげで二日酔いの苦しさがやわらげられました。
でも声は2度と聞こえてこない。
そもそも聞こえるはずがない。誰もいないのに誰かの声が聞こえるのは、知覚が刺激の客観的性質と一致しない現象、となります。おかしな現象は起こるはずもなく、起こったと主張する者は錯覚をもよおしたのだと思われてしかたありません。
わたしは広辞苑の小さすぎる字を見つめました。二日酔いの目にかすむ字は意味を失い、錯覚の定義がわからなくなります。
錯覚とはなんでしょうか。
知覚が刺激の客観的性質と一致しない現象、と言うなら、わたしが聞いた声は錯覚です。誰もいないところで誰かの声が聞こえるはずはありません。
しかし人間はすべての客観的性質を説明できるのでしょうか。人間は宇宙のすべてを知り尽くしたのでしょうか。
あの声は広辞苑の説明によると錯覚です。
しかしわたしの脳には錯覚でなく、①自分に都合のいい世界の構築、でした。あの人の声調にどこか似ていたあの言葉はわたしの脳にとってとてもうれしい声だったのです。