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2人のAZUSA・story59

「はい。スズメバチからのご飯。赤ちゃんへ、はい。ハチだとしても甘くない。スズメバチは怖いけど、怖くない」

 肩にのっているスズメバチは顔をキョロキョロさせますから、まちがいなく生きています。完全木造の部屋へ慣れてきた目で見ると、壁や天井にも何匹かハチがとまっています。巣の周囲で飛び回るものもいます。生きているスズメバチを鳩のように飼い慣らしているのですから、床に置いた灰皿へ煙草を押しつけているこの女性がハチを操作する梓という人でしょう。

 わたしより一回りくらい年上に見えますが、画素数の高い白肌をしています。ファンデーションを塗っていない自然な白のようです。目もまゆ毛も素ですし、すぐに次の煙草をくわえたくちびるも生き物の色をしています。メイクをまったくしていないのに、顔が輝いているのです。視線も女らしく控えめで、手先も爪も光っています。

 これだけ女性らしい女性ですが、言葉が上手ではありません。

「はい。なにか食べなきゃ、食べられない。はい。食べられないと、お腹がすく」

 意味はぎりぎり伝わるものの、まったく流暢さのない口調のまま、梓は右手でゼリーをつかみました。左手に小さすぎる目玉焼きをにぎっており、くちびるの先から煙草の灰が飛びちります。

「ありがとうございます」

 固辞するのも申しわけないと思ったわたしは指先でゼリーをつかもうとしましたが、予想以上につるつるした感触をつかみきれず、ゼリーが床に落ちました。

「はい。ゼリーは落ちても割れない。はい」

 梓はゼリーを床から拾い、わたしの手へ持たせます。

 わたしも彼女も靴をはいていますし、鳩やハチが暮らしているのですから、床が清潔とは思えません。

「外国の方ですか?」

 不自由な言葉と靴を脱がない作法から、わたしは推測しました。

 梓はにっこり笑いました。煙をともなう笑顔は、ドライアイスに浮かぶ笑顔モデルさんのように輝きます。

「はい。梓。今日初めて出会いました。外国はまだ初めてがないです。はい。梓です」

 わたしは大きくうなずきながら、「鏡を下さい」

 梓が急に立ち上がったので、肩にいたスズメバチが床へ落ちました。ハチは頭でも打ったのか一瞬だけピクついてから、梓を追うように床を這っていきます。梓は隣の部屋へ行きました。ドアを閉められたので、立ち止まってしまったハチはしかたなさそうに巣へ飛びました。

{改造脳というから、田村様や幸せくんみたいに難しいことを早口で言うのかと思っていたのに、びっくりした}

 幸せくんは冷静です。

「びっくりする前に、お礼くらい言え。外国人だろうと宇宙人だろうと助けてくれただろ」

{どうして、いつの間に部屋の中にいるの? ここはどこ?}

「悪いけど、俺にもみりさと同じ記憶しかない。みりさと同じクオリアしか感じられない。梓に関しては、田村様へもそうだったように体の中を見抜けない」

{やっぱり改造脳なんだね。幸せくんより、いや田村様よりも優秀な改造脳のはずだね}

 ランスの方を見ると、いつもと同じ笑顔です。

「フヒヒ。ゼリー食べないの?」

「食べない」

「ヒヒフ。じゃあボクが食べる」

「床に落ちたの。汚いよ」

「ヒハハ。日本人は問題点の多い加工食品を気にせず食べる。だけど床に落ちただけで気にする」

 ランスが鳩を肩にのせたままわたしのそばへ来ました。少年のほほに赤みが戻っています。

「ランス、濡れたまま歩かせてごめんね。寒かったでしょう」

「ヒヒヒ。濡れたけど、濡れていなかった」

 ランスは着替えをしていないようです。

「暖炉で乾かしたの?」

「ヒヒフ。濡れていなかった」

 ランスはゼリーを噛まずに丸飲みしました。暖炉をよく見ると、火はついていません。火に似せた赤い電灯がゆらゆら揺れているように見えるインテリア細工です。考えてみれば真冬ではないのですから、まともに暖炉を燃やすと暑いでしょう。

「ランス。池でおぼれたのを、おぼえている?」

「ヒヒフ。ボクは泳いだことがないから泳げない。おぼれた」

「おぼれてからどうなったか、おぼえている?」

「フハハ。ここに寝ていた」

「ここ? わたしのすわっている場所?」

「ハヒヒ。梓ちゃんに起こされて、暖炉の前でゼリーと卵と山菜を食べた。気づいたら、みりさちゃんがどこかから来て、ここで寝ていた」

 梓が閉めたドアの向こうから、大きな音が聞こえてきました。なにかをたたくような音、なにかをこするような音が交替で鳴っています。

「幸せくん。なんの音?」

「はっきりとはわからない。ドアの向こうだから明確な光子情報は入ってこない。立っている梓がなにか大きな物を引っぱっているのは感じる。いや押しているのかな」

 たたくような音が一段と大きく鳴りました。

 天井から下がっている小さなランプが左右へ揺れます。つられて、室内の様子も左右へ揺れるような感じに見えます。ハチの巣も少し動きます。

「全然わからない。1つも理解できない。池でおぼれたはずなのに、どうしてここにいるの? ここはどこ?」

「わからない。みりさの疑問は当然だ。田村様に海やライオンを見せられた後だから、不思議な池でおぼれたくらいじゃおどろかない。でもみりさの髪の毛は大雨で濡れていたから、脳は正確な光子情報を受信できない、つまりだまされないはずだ。なのにどうして操作されたのか」

「田村様より、梓の方が脳の力が強いからかな。梓の光子情報は水もドアもかんたんに通せるの?」

 なにか大きな物が床を引きずってくるような音で近づいてきます。

「今度はなに?」

 ドアが開きました。

 梓は看板のような、薄っぺらいけど大きな物を引きずりながら歩いてきます。

「はい。鏡。これしかないから、鏡。はい」

 洗面化粧台の鏡を壁から無理やり、はがしてきたようです。

 大きな鏡がわたしの目の前へ置かれました。

 まっ青なわたしの顔ですが、左右のバランスは保たれています。

「耳たぶは怪我なんかしていない。幸せくん、どうして」

「わからない。気づかずに処置情報を流し続けていた。いつのまに治ったんだ? いったいどういうことだ?」

 幸せくんの声が止まりました。

 ランスが笑います。

「ヒヒフ。みりさちゃんの耳はさっき治った」

「どうして? 耳たぶがなくなったわけじゃないの?」

 梓が煙草に火をつけましたが、すぐに灰皿へ押しつけたかと思うと、猛烈なせきをしました。苦しそうな梓の肩へ鳩が飛んでいきます。

 せきを終えた梓は深呼吸でのどを整えると、突然流れるように話し始めました。

「sub。本当はわたしがみなさんを迎えるべきでした。しかしみなさんへ大きな光子情報を飛行させたことで疲れてしまったので、眠っていました。非礼をお詫びします。ご容赦ください」

 完全にわけのわからなくなったわたしは脳の中でつぶやきました。

{どうして急に日本語が上手になったの? もうついていけない。夢だ。幸せくんと出会ったところから全部夢だ。あの人に会ったのも夢だ}

 すると幸せくんが答えるより早く、梓が答えました。

「sub。夢ではありません。納得できるように、わたしからすべて説明いたしますので、どうか聞いてください」

{わたしの脳内が伝わっている。当然か}

 わたしは大きく息を吸ってから、吐き出すようにしゃべりました。

「納得させてください。ここはどこですか? わたしたちはおぼれたはずですけど、ちがうのですか? 髪が濡れている相手でも脳をあやつれるのですか? わたしの耳はどうして治ったのですか? あなたは急に話が上手になったけど、どうしてですか? subってなんですか?」

 幸せくんは黙っています。わたしと同じクオリアしか発生していないなら、湧く疑問も同じなのでしょう。

 ランスも黙っています。笑顔こそ絶えませんが、梓を見る目が鋭くなっています。梓に関するデータを少しでも多く収集したいはずです。

 梓は鏡をよけると、テーブルへわたしとランスを誘いました。

「sub。食事をしながら聞いてください。幸せくんはあなたが想像している以上に疲労をためています。エネルギーと休養をあたえましょう」

 わたしは立ち上がりながら、はかされているジーパンの前ボタンが外れていることに気づき、さらに別のことへ気づきました。

「もしかして、わたしのスーツパンツを、あなたがはいている?」

 梓は深く頭を下げます。

「sub。申しわけありません。梓がどうしてもはきたいというので、わたしたちの衣服と替えさせていただきました」

「わたしたち、ってなに? 梓がどうしても、って、あなたが梓でしょう」

 テーブルの上にはハンカチが何枚かかぶせられてあり、ハンカチをよけると、パンやサラダや卵料理が登場しました。

「sub。温め直しますので、すわってください」

「すわるのはいいけど、疑問だらけでお尻が落ちつかない」

「sub。わかりました。自己紹介だけさせていただきます」

「自己紹介はさっきしたでしょう」

「sub。先ほどの自己紹介は梓の自己紹介です。わたしはあずさです。よろしくお願いします」

 イライラしたわたしは怒りかえそうとしましたが、全自動で口をふさがれました。

「みりさ。梓とあずさ、微妙にイントネーションがちがう。2人は別人だ。同じ体に2人の脳が入っている」

{どういう意味?}

「自己紹介として、あずさが光子情報のブロックを解除し、俺に体内を見せてくれたよ。日本語の上手じゃない人が梓。流暢な人があずさだ」

{でも1人でしょう}

 梓なのか、あずさなのか卵料理の皿を持って先ほど出入りしたドアへ向かいます。

「sub。温め直してきます。すべてお話します。すわっていてください」

 ランスが木の椅子へすわりました。

「フヒヒ。梓ちゃんは二重人格の確率65%。でもいい人だから、みりさちゃんのズボンを勝手にはいたことには悪気がない確率94%」

 ランスの隣へすわりかけたわたしに、幸せくんが言いました。

「ランスへ伝えてくれ。彼女は二重人格とはちがう。もう少しデータをとってから予測した方がいい。だけどズボンをはいた理由は悪気がこめられたものじゃない。94%の方は正解だよ」

{いったいなんなの?}

「持っているズボンはウエストがきついものばかりなんだろう。だからみりさが今はいているジーパンはボタンが届かずに開いたままだ。彼女はウエストの大きなみりさのスーツパンツをはきたかっただけだ」

{失礼な女だね。すぐに返してもらう}

「失礼という意味じゃない。胎児に負担をかけたくないからだよ。梓は妊娠している。あずさは胎児だ。あずさの脳は胎児の脳だよ」

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