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雨の中の信頼度・story57

 雪解けのひんやりした気温がこもっている笹薮の中へしゃがみこみ、鳩と目を合わせてみました。白い羽毛のあちこちに泥や森汚れがついていますが、鳩はしっかり胸を張り、見返してきます。

 人間以外に自分の容姿を気にかける生物はいるのでしょうか。

 猫は自分の体をなめ回して身づくろいをしますが、顕在意識で容姿を気にしているというより、潜在意識で自動的になめているような仕草です。

 容姿を気にかけるのが人間だけなら、それは進化だということなのでしょうが、進化にしては不便な感情です。

「幸せくん、耳をさわらせて」

「耳なんか気にしている状況じゃないだろ。それよりメッセージを早く開け」

「それより耳。女の心がわからないの?」

「わかるわけないだろ。早く梓という人の所へ行って、身の安全を確保しろ。着替えを借りて体を温めろ。食事と睡眠、今後の相談、やることはたくさんある。みりさの耳の止血や、組織が腐敗しないための処置に使っているエネルギーは残りわずかだ。早く病院へ行くメドをつけないと、耳が腐って異臭が出るぞ」

 伸ばした手で鳩の土汚れを払ってやろうとしましたが、土の色が伸びただけで、毛なみはむしろ汚くなりました。スキを突いて自分の耳をさわろうとしましたが、幸せくんがぎりぎりで全自動制止します。

「ヒヒヒ。みりさちゃん、なにをしているの? 幸せくんと話す時は手をふり回すの?」

 言い終わった直後、ランスのくしゃみが鳩へ飛びました。びしょ濡れの少年から流れてくる空気が周囲より冷たくなっています。

「みりさ。子宮の水温維持のために、みりさの体温を調節しているから気づかないかもしれないけど、濡れた体で歩ける季節じゃない。ランスは風邪をひくかもしれないぞ」

「そういうの、早く言いなさいよ。つまらない講釈ばっかりで、肝心なことを言うのがいつも遅い」

「言っているだろう。急いで梓という人を探して、着替えと食事だよ。俺のエネルギーが切れたら、みりさは寒気と耳の激痛で、ギャーギャー騒ぎ出すことになるぞ」

「急いで梓という人を探して、泡風呂と化粧と鏡だね。いや鏡は怖いかな。ギャーギャーと声が出そう。腐敗、って、つまり、悲しいわけでしょう」

 耳のない鳩の頭を見つめていると、悲しいという感じのクオリアが広がってきます。

「みりさ。耳のことは忘れろよ。メッセージを開け」

 悲しい指で紙をめくろうとすると、ランスがまた質問してきました。

「フヒヒ。みりさちゃん、右耳、どうしたの?」

「耳のことは忘れなさい。見ないようにして」

 メッセージは前回と同じく、本当に女か、という武骨な筆跡がありました。

“もうすぐ雨が降ります。光子情報の精度が落ち、鳩を飛ばせなくなるので、自力でここへたどり着いてください。情報テリトリーの外へ出てしまった田村様の現況を知りたいので、鳩へ話してください”

 大通公園にいる鳩は首を上下に動かしながらぴょこぴょこ歩き回りますが、目前の鳩はじっとわたしを見つめています。

「この鳩、言葉がわかるの?」

 一緒にメモを読んだランスが首を左右に動かします。

「ヒヒヒ。みりさちゃんはバカ。鳩が言葉を理解するわけない」

「みりさはバカだな。鳩が言葉を認識するわけないだろう。光子情報を中継するだけだ」

 2人の子どもの口調を聞いていると悲しかった感情が消えてなくなります。

「横と中から同時にバカにしないでよ。鳩は耳がないけど大丈夫かな、ってちょっと思っただけでしょう」

「ヒヒフ。耳がないのはみりさちゃんだけ。鳩の聴覚は人間より優秀」

「みりさだけだ。わけがわからないのは。早くさっきの話をしてやれ」

 笹の中にいてもはっきりわかるほど、空が暗くなってきました。春の山は天気が急変することがあると山菜採りの好きなお客さんから聞いたことがあります。

「じゃあ鳩ちゃん、話すから聞いてね。人間より聴覚が優秀ということは、ふつうの声で話すと、うるさいかな?」

「ヒヒヒ。感覚のすべてを光子情報にすると、鳩を操作している人は疲れる。視覚情報だけを受信して、読唇術を使うはず」

「じゃあ、口パクでもいいの?」

「フフヒ。ボクも話を聞きたい。田村様はどこへ行ったの?」

 ランスが気絶してから起こったことを、鳩とランスへ話しました。海を見てから2時間も経っていないと思います。腕時計はしませんし、携帯もないので時刻がまったくわかりませんが、おそらく午後3時か4時ごろでしょう。朝まで自分のベッドにいたことが信じられません。山奥の笹薮にいることが信じられません。耳が欠けたなど信じたくありません。全部がウソ話であってほしいとも思いますが、田村様のおかげで幸せくんが死なずに済んだのは事実です。しかし田村様のせいで耳が欠けたのも事実です。

 雨が笹の葉へ当たり始めました。まだ小さな雨のようですが、笹は雨音を大げさに伝えます。

 増水した川に流されて田村様がおぼれるかもしれないという大げさなオチにして、わたしは話を終えました。

 鳩はうなずくように首を上下すると、雨へ向かって垂直に飛び立ちました。

 ランスが鳩の飛んでいく方向をじっと見送ります。

「フヒヒ。水鉄砲を使ったら、元の場所へ戻してほしい。大切なものがなくなる気持ちは今のみりさちゃんに、よくわかるはず」

「ごめんね。夢中だったから」

 雨が強くなってきました。薄っぺらい笹は傘の役にならず、冷たい春雨がわたしたちの冷たい体へ直接当たります。

「話だけ聞いて、さっさと飛び立つのは薄情だね」

「ヒヒフ。鳩は雨が苦手。羽毛は水を弾かない」

「自力でたどり着け、とか言ってくれるけど、こんな山の中でどこにいるのかもわからないんだから、絶対無理。紙に場所を書いてくれたらいいのに」

「みりさ。これだけおぼえておけよ」

 エネルギーが足りなくなってきたのか、幸せくんの声が小さく感じられます。

「紙に書き残すと、誰かに見られる可能性があるから、わざと書かない。川岸で死者が出たのを見てもわかるように、これは戦争なんだ。情報を使って相手を攻撃し、情報で自分を守る新しいタイプの戦争だよ。武器弾薬による旧タイプの戦争方法で相手を殺すのは非経済的だし、奪った物が焼け野原じゃ意味がない。地球も黒焦げになる。いいのか悪いのかわからないが、情報だけで人を殺せるなら、戦争の手段に選ばれるだろう。田村様はそれをやってみせた。みりさも兵士の覚悟をしていないと簡単に殺される」

「兵士には味方がいるでしょう。梓という人が味方なら早く居場所を教えてほしい。紙なんか誰にも見せないよ。信用してほしい」

「情報戦争はなにかを信用したら負けだ。人間は今まで肉体で戦争してきた。肉体戦争の悲惨さを嘆いてきた。しかし情報戦争は精神戦争だから、場合によっては嘆きじゃ済まないくらいの悲惨さになる。敵だろうと味方だろうと人間の脳のように曖昧で気まぐれでいい加減なものは信用ならない、という事実が真に迫ってくるからな。信じられるのは正確な情報だけだ」

「梓という人も、信用してはいけないの?」

「改造脳でも、変異脳でも、人間にはちがいない」

 雨が濡れた土へたまるようになりました。ランスがわたしの手をにぎってきます。

「ヒフフ。幸せくん、なんて言っているの?」

「ランスはわたしを信用してくれる?」

「フヒヒ。信用したら負け。慎重なみりさちゃんでいてほしい」

 ランスはわたしの手を引っぱるように歩き出します。

「フフ。今までの経験とさっき鳩が飛んでいった方角から、梓という人がこっちにいる確率94%」

 雨のせいでさらに滑りやすくなった斜面を歩きながら、覚悟を決めました。

「こんな状況だし、わたしはランスと幸せくんを信じるから。よろしく」

 幸せくんの声がますます小さくなりました。

「つまり“なにも信用するな”という俺の言葉を信用しないわけだ。いいことだ」

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