信じる鳩と、うたがうホトトギス・story51
「ヒヒヒ。施設外で正式に確認されている改造脳はたしかに田村様だけ。だけど非正式な改造脳は存在する」
「非正式。裏社会でも改造脳を作っているの?」
「ハヒヒ。そういう意味じゃない。裏社会で生産可能なレベルじゃない。たとえば幸せくんが該当する。非正式な改造脳」
「幸せくんは変異脳だよ」
「ヒヒフ。変異脳というのは大雪の施設員が日高をバカにするため、つけたあだ名。脳の構造は同じ。もちろん性能は田村様の方が幸せくんより上。改造脳の性能差は自然脳と同じく容量と経験値のちがいで決まる」
「つまりあの人の妊娠させた胎児が非正式な改造脳としてススキノ近辺に存在しているということ?」
「ヒハヒ。脳は学習により、進化する。改造脳の進化力は「神医」と呼ばれたドクターSDの想像と計算すら上回った。田村様が大雪の施設の暴君となってしまったことを受けて、マジックPは日高の施設で作られた5体の改造脳を殺処分することにした。経験値によって田村様ほどの性能を持つ前に殺してしまわなければ、マジックPは自分たちが作った改造脳によって壊滅させられてしまう。だけどあの人の脱走は計算外だった」
「“あの人は何人を妊娠させたかわからない”と幸せくんが言っていたよ」
「フフヒ。妊娠させた相手のリストが存在するらしい。だからみりさちゃんには強い尾行がついた」
「リスト? どうしてそんなものがあるの?」
「ハヒヒ。カンで想像はつくけど、とりあえず伏せておく」
「言いなさいよ。疑問を少しでも減らさないと、脳がパンクする」
「ヒヒヒ。脳は容量オーバーが原因でパンクしたりはしない」
ランスは周囲から雪解け水が流れこんでいるのに、水面が鏡のように動かない池をじっと見つめています。
わたしは水面が動きそうなほどに、強いため息を吐きました。
「ため息が止まらないんだけど。マジックPは3つの施設を作り、じっくり計画を進めていくつもりだったのに、田村様、あの人、ランスがそれぞれから脱走してメチャクチャになったわけだよね。わたしの行く末がすごく不安。脱走3人組と会話したことのある人間は地球でわたしと咲藤さんだけじゃない? 絶対にわたしは殺される。慎重に生きてきたのに、どうしてこうなる」
何度もため息に見舞われます。自分の未来だけじゃありません。人間を生産する、実験するという話や、世界頂点という野望を持つ田村様、人を殺しても平気なうえ罪にすら問われないマジックP、どんな種類の話にも顔色が変わらないランス、エトセトラでため息の材料が多すぎます。
「ランス。わたしの未来はどうなるわけ? あんたのカンで占ってよ」
「フヒヒ。カンと占いはちがう。みりさちゃんのデータはまだ完全にそろっていないからカンが働かない。でもきっとドクターSDを目指すはず」
ため息を飲みこみました。
「そうだ。わたしには幸せくんを救ってもらうという大野望があった。もしかして鳩を飛ばしている人はドクターSD?」
「フヒヒ。ちがう。ドクターは自然脳。鳩やハチを飛ばしているのは正式な改造脳」
「田村様以外にいないはずでしょう」
「ハヒヒ。日高からの脱走成功者が1人というのは、みりさちゃんへ会った時点での、あの人の思いこみ。もう1人成功した人がいる」
「もう1人? 本当にいるの? じゃあ、もう1人の成功者が鳩を飛ばしているの?」
「ヒハハ。他に可能な人はいない。不思議なのはもう1人の成功者にも鳩を飛ばすのは不可能なはずであること。鳩やハチの脳へ情報を送ったり、光子ミラーを使ったりは田村様もできるけど、ラジコンを操るように飛ばしたいコースへ飛ばしながら、光子ミラーで鳩の脳の可視光線情報をコピーするとなると、エネルギーをたくさん消費するし、鳩との距離が相当近くなければ、さすがの田村様も不可能。田村様が見とおせる範ちゅうに敵はいない。敵が接近した場合にわかりやすいよう、田村様は誰もいない山の中へ住居トラックを置いたけど、敵の気配を見つけたことはない」
「つまり、なに?」
「ヒヒヒ。つまり敵は田村様よりテリトリーが広い。つまり田村様より脳の力が上ということ。日高の変異脳は田村様より性能が低いはずだけど、田村様がそうであったように、経験値を積んで自分の能力を上げたのかもしれない。正確な理由はわからない」
「ということは、なに?」
「ヒヒハ。田村様から組みこまれたプログラムがある場合に解除する方法、田村様から逃げても暮らしていける方法、最終的には田村様の凶暴な改造脳を殺す方法がある。田村様の敵に助けてもらう」
「どうして2人は敵対したの?」
「フフハ。頂点には1人しか立てない。ボクたちはどちらへつくか考えなきゃいけない。性能の高い方につくのが賢明」
「つくのはいいけど、その人がどこにいるかわからないし、携帯を捨てたから電話もできないわけでしょう。番号も知らないけどさ。方法は考えているの?」
「ヒヒヒ。ボクはあまり考えない。ひらめくのを待つ」
「詰めが甘い。がっかりさせないでよ」
池の水を手ですくい、飲みました。冷たい雪解け水は新鮮な味がします。
水がおいしいのは良いのですが、脳が冷やされたせいか大きな不安要素へ気づきました。
「すごく不安なことへ気づいたんだけど、聞いてくれる?」
「ハハヒ。聞こえるに決まっている」
「いちいちうるさい。田村様はわたしたちの脳をのぞけるわけでしょう。わたしが田村様を“あのデブ”と思い始めたことへ気づかれるよね」
「フフヒ。どこが不安?」
「不安以外にどんな日本語があるの? バレたなら殺してしまえホトトギス、とか思われたらどうする?」
「ヒヒヒ。ホトトギスなんて田村様は思わない」
「いちいちうるさい。わたしの言いたいことはわかるでしょう。あんただって、正体を見抜いたことがとっくにバレているはずじゃない。よく無事でいられるね」
「ヒヒヒ。つまりだいじょうぶということ。田村様は脳の奥底まで見えるから裏切りすら怖くない。裏切りは意表を突いた時、初めて成功する。田村様はみりさちゃんの考えがわかるから平気でいるはず」
わたしの指先が知らないうちに笹の葉を折りたたんでいます。こんな時でも勝手に遊び始める潜在意識がにくたらしいです。
「あんたは感情がないから平気かもしれないけど、こっちは気まずくてしかたない。トラックへ戻る気がしない」
「ヒヒハ。もっと大きな不安要素はないの?」
「なに? わたしなにかを見落としている?」
「ハハヒ。もしかしたらボクがウソをついているかもしれない。ボクはみりさちゃんをだまそうとしている悪人で、田村様は善人かもしれない。もっと慎重になった方がいい」
「言われなくても慎重な方のはずだけど。急にミステリーゾーンみたいな所へ放りこまれたから、なんか頭がおかしいよ。あまり深く考えられない。あんたの話がウソなら、わたしはどうしたらいい?」
「ヒヒヒ。だいじょうぶ。こんな長いウソを人間はつけない」
「田村様も同じことを言った」
「ハハヒ。田村様の話にウソはなかった。マジックPの説明は正しかった」
「わたしと幸せくんを守ってくれると言った」
「ハヒヒ。きっと短い言葉だった」
またハチが飛んできて魚へかぶせている笹の葉に着陸しました。ランスが水鉄砲をちらつかせます。
「トラックの中でハチが即死したよね。水鉄砲にはなにが入っているの?」
「ヒヒハ。不幸の水は殺虫剤。だけどこの水鉄砲は幸運の水」
「幸運の水はなに?」
「ハハヒ。純粋な真水。あまりに純度の高い水には消毒作用すらある。羊水の次に優秀な水」
わたしはハチからかばうように、子宮を大きく抱きしめました。
「ハチを早く不幸にしちゃいなさいよ。威嚇するだけじゃ意味がない」
「フヒヒ。威嚇のために水鉄砲をちらつかせているわけじゃない。カムイッシュから脱走した水鉄砲のランスであることを、田村様の敵=ボクたちの味方へアピールしている」
「田村様とちがって、ずっと檻の中に閉じこめられていたなら、ランスを知らないでしょう」
「ヒハハ。田村様の敵は優秀。きっと多くの情報を収集している。でも善人か、悪人かは不明。田村様と同じ野望を持っても不思議ない」
「それじゃあ、田村様の敵=わたしたちの味方になるかどうか、わからないでしょう」
「ハハヒ。いずれにしろボクたちは弱者。誰かが味方になってくれないと、殺されてしまう。味方探しの旅。敵と味方を嗅ぎ分けながら進むしかない。頭を整理して、今までどおり慎重なみりさちゃんでいてほしい」
「あんた、わたしのデータをどれくらい持っているの?」
「フヒヒ。咲藤さんの店で半分くらい聞いた」
ハチが舞い上がり、ランスの周囲を飛び、わたしの周囲を飛びます。
「ヒヒ。刺さない。ボクたちを見ている」
下駄をはいたランスが魚を持つと、ハチはいなくなりました。
「田村様は幸せくんを簡単に気絶させた。でもランスは幸せくんのために炭火を起こしたり、魚を獲ったりしてくれた。今はランスを信用するよ」
「ヒヒハ。幸せくん基準」
「もちろん。母親だからね」
「ヒヒ。お母さん」
母のクオリアを知らないランスに申しわけなかったかと後悔するわたしの手を、少年は力強くにぎってきました。
「ハヒ。とりあえず田村様のところへ戻る。みりさちゃんのデータがまだ不足しているからカンがひらめかないけど、どうしてなのか“母はドクターSDのところへ幸せくんを連れていく”というイメージは湧く。98%たどり着けるはず」