マジックPⅢ・story41
田村様の話の途中で、わたしは子宮を抱きしめました。
「幸せくんも、死んじゃうの?」
濡れてしまったわたしの声を聞いた田村様が脂のついているくちびるをナメまわします。
「初期の乳児野郎共が栄養失調により全滅したので、日高山脈の野郎共は第二期の乳児野郎共を保育器へ入れて点滴漬けにしてみた。肉体面の問題はそれで解決したな。しかし今度は精神面が崩壊した。羊水から急に空気中へ出てくるというのは想像以上に厳しい体験らしい。それこそ脳を改造される前と後のような大きい変化を感じる。ふつうの乳児野郎共の未熟な顕在意識だからこそ耐えられるが、発達してしまった顕在意識では耐えきれず、まさに気が狂う。宇宙飛行士になる野郎共が肉体だけでなく、精神面でも厳しい訓練を受けなければならない理由がわかる。“日高で作られたのは改造脳ではなく、変異脳だ”大雪山脈の野郎共は失敗続きを笑っていたよ」
笑っていたよ、という言い回しが気になり、口を開こうとした時、田村様の目が遠くを見ました。
「笑っていたよ、ということは大雪の野郎共は成功したということ。そして俺様は大雪の研究檻で40キロ以上太らされたということだ」
大雪の研究所では脳を2つにするという奇策に出た。
まともに脳を2つ積めば、2人の人間が合体する理屈になり、目的へ反する。脳を2つにするとは、1つの脳を2つに分けるという意味だ。
脳を潜在意識活動部と顕在意識活動部とへ切り分け、前者を頭蓋骨内へ戻し、後者を子宮に設置し、脊椎に沿って埋めこんだ管でつなぎ、光子が往来するようにする。脳を置くことよりも、脳同士の光子情報交換や体の各所への神経接続に苦労したようだが、外科手術は成功した。
当然女ばかりの実験体は子宮をあらかじめ妊娠晩期のように膨張させられ、顕在意識活動部の脳が置かれた。広いスペースをあたえられた脳は期待どおりに成長した。過剰に細かく、量も増えたクオリアを、成長した顕在意識は流れるように認識処理しながら、精神状態としてはまったく乱れない。見る、聞く、味わうといった感覚が今までとはまったくちがうものになったというのに動揺が起きず、新しい環境へ適応進化した。
計算外ももちろんあった。
顕在意識を切り取られただけ、頭蓋骨内に成長スペースを与えられた潜在意識も肥大した。
相手や周囲の光子情報を繊細に読みとるだけでなく、顕在意識でクオリアイメージしたことを情報化し、潜在意識からの光子で相手の脳へ送り、送った先の顕在意識へ意のままのクオリアを発生させるという能力が術後1年で会得された。
さらに光子ミラーと名づけられた能力が術後2年で会得される。顕在意識はクオリア化された情報を脳内のごみ箱へ処理するが、まさに処理されようとするところへ、こちらから送った光子がぶつかると、相手の情報をエネルギーとして吸収し、はね返ってくる。復路を移動する際のエネルギー損失分だけ情報にノイズが混じるが、移動損失や感情の附帯によるノイズと同等であるため、問題にしない。
実験体は第一から第五まで作られたが、うち4体は死んだ。肉体は肥大した2つの脳を養う必要があるため、大量のエネルギー代謝をこなさなければならない。
耐えられたのは強靭な内蔵や血管を持つ第一実験体だけだった。
一口サイズに切り分けられた鳩の肉がテーブルへのせられました。湯気の上から塩コショウをぶっかけた田村様が肉を手でつかみ、口へ放りこみます。
「人間の感覚は慣れる。悪臭も嗅ぎ続ければ慣れるし、どんなにひどい男野郎でも毎日一緒にいると慣れる。味覚もそうだ。ビールでもなんでも一口目がうまいが、徐々に慣れて味が落ちるように感じる。逆もしかり。脳を改造されてから味覚は大いに変貌したが、すぐに慣れた。慣れたからとにかく食べた。体力がなきゃ、この脳は維持できん。体もどんどん変化したな。子宮の周りはよく脂肪がつく。脳を守ろうとしているのかもしれん」
「ヒヒヒ。慣れすぎて、なんでも味わうことなく食う」
ランスがまっ黒に焦げたハチを投げると、田村様が口で受け止めました。虫へ食いつくカエルを見たようなクオリアがわたしの脳で発生します。
「みりさ野郎。見てばかりいないで、食え。小魚野郎がどれだけ栄養を必要とするか、わかっただろう。胎盤がつながっていないなら、羊水の栄養分を取りこむ以外に小魚野郎が生きる方法はない。羊水を色濃くしてやれ」
わたしはランスにもらったフォークを使って鳩の肉を口に入れました。炭火焼きの香ばしさというクオリアが少し、塩コショウというクオリアが少し、そして初めて感じるクオリアが大半で発生しました。大半のクオリアをあえて言葉にするなら、生臭いというか、腐りかけているというか、なんとも表現しづらいものです。
「フフヒ。みりさちゃん、満足した?」
わたしはなんとか表現しました。
「まずい。食べられそうにない」
「バカ野郎。無理にでも食え。小魚野郎にどれだけ負担をかけているか考えろ」
言ったくせに、田村様は皿の上の肉を次々とほおばり、全部食べてしまいました。
「ランス野郎。次の皿を出せ」
「ヒヒヒ。あと一皿分しかない。ボクとみりさちゃんの食事を残してほしい」
「早いもの勝ちだ」
お代わりの皿を食べ続ける田村様へ、わたしは質問しました。
「話は本当なのですか? 田村様は脳が2つあるのですか?」
「これだけ長い嘘があるもんか。脳が2つなきゃ、こんなに食うか。俺様は女だぞ」
「でも、信じられません」
「大脳皮質だの、なんだの、っていう具体的な話をしてやれんからな。俺様にもよくわからん。記憶の容量は増えたが、膨大なクオリアを貯蔵するので精一杯。改造脳の研究がさらに進めば、知識吸収に優れた脳が開発されるだろう。もちろん研究者野郎共なら具体的な技術の話ができる。みりさ野郎が生き延びたなら、いつか必ず会う運命になる。じっくり教えてもらえ」
「運命?」
「生き延びた場合だ。今は生き延びることだけを考えろ。生き延びるためには体力をつけ、敵を知れ」
わたしは皿に残った最後の肉へフォークを刺し、質問を続けました。
「どうしてマジックPは脳を改造したのですか? ただの研究ですか?」
「ただの研究でこんな体にされてたまるか」
肉をかみちぎる歯の間から田村様の声が脂にまみれて出てきます。
「マジックP野郎共はおまえさんたち日本国民野郎共のために、やっているつもりらしい」
人間は地球の頂点に立つ。
しかし肉体上、人間がナンバー1を誇る箇所はない。空で鳥にかなわず、海で魚にかなわず、地で猛獣に勝てない。
人間が誇る唯一の輝きは脳だ。脳を駆使することで初めて、鳥を魚を獣をしのぐ。
ある民族の脳が決定的な発展を見せたなら、その民族は人類の中で頂点に立てる。真の意味で文字通りな地球の頂点に立てる。
Fは歴戦の中で学んだ。地球に引きこもって生きる限り、人間同士は絶対に手を結ばない。人類が本当の同盟を結ぶためには、宇宙での暮らしが可能になるか、異星人が侵略してくるか、2つの道しかない。どちらかの道を歩き出せば互いの肌の色を見なくなるだろう。
しかし2つの道へのしるべは今のところ見えない。
人間はこれからも戦い続けるはずだ。戦うしかないなら、勝たなければならない。決定的な勝利を得る方法は脳の飛躍的発展だけだ。地球がそういう惑星であることに気づかない者はいないはずだ。
マジックプランは日本国民を勝利させるために作られた計画だ。正義と愛国心に満ちているため、手段を選ばない。犠牲に心を痛めない。
マジックPは正統な正義だ。
どんなに強い悪が相手でも、それが悪なら、全力で戦えるのが人間だ。しかし相手が正義だと戦いは厳しくなる。
正義に狙われた者は悪だ。罪などない妊婦や胎児だとしても、正義に狙われたなら悪になる。
田村様の目がまた遠くを見ました。
「悪の身分のまま、正義から逃げ回ってばかりではいずれ力尽きる。みりさ野郎が生き延びるためには、正義と悪を反転させるしかない。マジックP野郎共は脳のすべてを見抜いてはいない。実際に改造された者として言わせてもらう。脳は光子情報だけを交換したり、処理したりする器官ではない。情報処理に優れているから人間が地球の頂点に立っているわけではないということだ。脳は感情を生産する。感情は必ず骨格クオリアへ附帯して発生するクオリアだ。骨格がゼロなら、感情は生まれない。しかし100の骨格へ20の感情が附帯することはある。保存法則上の言い回しなら、100が120になる、保存法則に矛盾する脳の生産力こそが地球の頂点に立った原動力なら、マジックP野郎共の路線はまちがっていることになる。みりさ野郎が正義へ転じるチャンスはここにある。運命もここにある。脳の最大の長所は感情生産にあり、感情に最も優れた者が地球の頂点に立つのだと証明してみせろ」