マジックPⅡ・story40
第二段階は外科手術というより、人体実験だった。
経験の継続によって結びつけられるはずの神経細胞を、人為的に接続する。神経細胞は緊張状態でしか発火しないので、脳を常に緊張状態にする。
樹海捕獲という方法で連れてこられた人たちが実験体として手術台へのせられた。初期の実験体は手術の失敗や不慮のトラブル、副作用データ取得のためわざと術後処置をほどこさないなどの理由で、ほとんどが命をなくした。
しかし実験体に不足したりはしない。バブル景気が終わってからは樹海人口が増え、実験体も増えた。
多くの犠牲を払うことへ権力的研究者はためらいを持たない。「進歩に犠牲はつき物である」という言葉が研究を支え、手術は毎晩執刀されることで徐々に進化していき、改造脳を持つ人間たちが続々生産されるようになった。
人間の脳には基本能力として、話し相手の表情や仕草で、ウソをついているか、心からの笑顔か、真剣に取り組んでいるかなどといったことを、ある程度予想する力が備わっている。
改造された脳の持ち主は話し相手の肌にうっすら浮かぶ汗や、細かい手のふるえなども察知し、クオリア化できるため、ある程度の予測ではなく、物理的確信によってウソをついているかどうか判断できる。
改造脳となった実験体から証言を得る研究者たちはさらにおどろくことになる。人間の体は内臓に腫瘍ができたり、妊娠したり、悩み事を持ったりした場合も体の表面のどこかへ必ず信号を出しており、改造脳の持ち主は信号の意味を学習すれば他人の体内の様子がすべてわかるという。ふつうの脳を持った人間が、ほほの腫れている他人を見て虫歯や打撲を想像するのと同じような気軽さで、他人の体内の詳細をすべて把握する。
改造された脳は経験の継続という時間を省き、手術によって作られるわけだが、術後より経験の継続が始まる。スタート地点が高いレベルにあるため、継続のゴール地点も研究者の想定を超えた高い場所となった。
建物の陰に人が潜んでいても、呼吸による気流の乱れや熱エネルギー代謝などを感知し、どんな姿勢で何人いるかを読みとる。同じように、暗闇で可視光線情報を遮断=視力を奪われても、空気と熱の流れで物体の配置がわかるので、苦労しない。
光子は抵抗や屈折を受けやすいので、液体や固体に囲まれた場所からは情報を受けにくいが、気体でつながっている体積が広いと精度がほとんど落ちず、やがて換気口などのわずかな気体ルートからも建物内の光子情報を取得できるように進化していく。
通常の潜在意識なら視界にあるものの中から、現在必要なものだけをクオリア化する。たとえばパソコンの画面を読んでいる場合、モニターの外の風景も視界に入っているはずだが、必要な情報ではないためクオリア化されず、記憶にも残らない。
改造脳を持つ者は同時にいくつもの視界を持つに等しいため(目前と、建物の陰と、建物の中が同時に把握できる)、クオリア化する必要部分が多いので、クオリア化機能が急激に発達する。当然クオリア化するための情報も多いから情報処理機能も発達し、記憶を貯蔵する機能も発達する。
しかし研究が進むにつれ、改造脳の弱点も露呈した。
改造された脳は常に緊張状態にあるうえ、神経細胞活動が活発なため、多くの栄養を必要とするが、血中酸素が脳で大量に使用されてしまうため消化器官の機能が低下するので栄養補給が追いつかなく、内蔵などの弱い者は体調を崩すようになった。体全体の活動を活発にするため、休養や睡眠時間も長くとらなければならない。
改造脳は強靭な血管と内臓を持つ者でなければ維持できないということがわかり、実験体の対象者を限定するようにした。
だがどんなに肉体が強靭であっても、フォローできない改造脳の弱点がある。
クオリア化の能力を強くした実験体たちは進化を遂げたあげく、やがて精神破綻の症状を見せるようになった。
クオリアだけが発達しても顕在意識が元のままなので、多くのクオリアを以前と同じ精神容量で処理しなければならない。他人の心が見え透いてしまい、他人の体内まで感じられてしまい、音、におい、味などが度を超えて感じられる。直線という概念は失われ、美しい風景を見ようとしても、風景との間にある空気の成分が感じられてしまう。彼らには“なにもない部屋“という概念がなく、れっきとした質量を持つ空気に満ちた部屋という感覚が起こる。
実験体は過去の感覚と現在の感覚とのギャップに耐えきれず、やがて精神を失うか、自ら命を絶つかを選ぶようになってしまった。
このような結果を受け、マジックプランは改造脳に対応しきれない顕在意識をどうするか考えなければならなくなる。
3つの研究施設のうち、大雪山系に作られた施設と、日高山脈に作られた施設では改造脳に関する同じ研究を行っており、同じ壁へぶつかった。
北海道の背骨のような連山によって結ばれている2つの山脈だが、両研究所にはライバル関係のムードがあり、情報交換は相手の研究の進み具合を探るためだけにしか行われなかった。
日高山脈の研究施設では「顕在意識問題」を遺伝によって解決しようとした。顕在意識は先天的なものより、生後の環境から大きな影響を受ける。人生の途中から脳を改造されたなら、顕在意識は手術の前と後とのギャップに苦しむだろうが、クオリア化の能力が生誕時から強ければ、顕在意識が適応していくものと判断した。もちろん誕生後まもない乳児へ脳の手術をほどこすのは難しいので、改造脳の遺伝力を高め、生まれながらにして改造脳を持つ人間を生産する計画だった。改造脳を持つ者同士の子ども、改造脳を持つ父と自然脳の母、その逆、と3パターンが試みられた。
しかし計画は失敗する。
改造脳を受けついだ胎児の妊娠こそ成功したが、改造脳は受精と同時に急な速さで進化し、子宮にいるうちからクオリア化が始まり、顕在意識も急成長に追いつく形で発育したため、胎児でいる段階から幸せくんのような超能力的な言動を見せるようになった。顕在意識の強化は期待されたとおりになったため狙いは正しかったと言えたが、最終的にはすべて破綻する。
改造脳は著しくエネルギーを使用する。胎児は子宮内で胎盤を通じて栄養摂取できるうちこそよかったものの、生まれてからはみるみるやせた。脳ばかり高性能でも肉体は乳児であり、改造脳に必要なエネルギーを代謝することができない。脳の成長に体がついていかない形で、乳児たちは生誕後1年以内に全員死んだ。