マジックPⅠ・story39
田村様がマジックPの説明をしてくれました。田村様の言葉をそのまま引用すると、野郎という敬称がやたらに出てくるので、簡潔な文章に直します。
マジックPとは極秘に脳の特殊研究開発をする国家機関をいう。元はマジックプランという計画名からスタートしたが、現在はマジックPがそのまま機関の通称になっている。
マジックプランを提唱したのはFという男だった。
Fの素性については詳しくわからない。
わかっているのは西アジア人と日本人の混血だということ。数十年前に、北半球のどこかで生まれ、幼少期からゲリラ戦闘兵としての訓練を受け、青年期はどこかの紛争へ参加し、壮年期へ入ろうとするころに戦場で両脚を失ったということ。どういうルートをたどったのか在日米軍基地から日本政府へ引き渡され、どうしてなのかやがて極秘の軍事参謀としての地位をもらい、マジックプランを提唱したということ。
Fは戦場で奇妙な感覚を手に入れていた。未来を予知するという不思議な感覚。
すべての物事を予言できるわけではなく、極度の緊張状態に置かれる戦闘中においてのみ、戦場でなにが起こるかを予知できた。
予知と呼ぶべきではなく、経験からくる“カン”、もしくは察知というレベルかもしれない。長年にわたって同じ仕事をしていけば、誰しもが“カン”をみがく。Fにしても戦闘以外の場所では未来予知などまったくできないが、戦場では本能的に次の展開を察知できた。考えて得られる結論ではなく、脳の奥でひらめく“カン”だった。
“カン”で何度も仲間の、そして自らの命を拾ってきたFが戦場で初めて油断をした日、両脚の下で地雷が鳴った。地雷原を歩いたことは何度もあったし、歩くたびにまるで地面の下を透視するかのように地雷の潜置場所を“カン”で察知できたFだったが、なぜかその日は油断が先に立ち、“カン”もまったくひらめかないまま、いつのまにか気を失っており、3日後気づいた時には両脚を失っていた。
車椅子へ固定される人生にFは失望せず、緊迫続きだった半生でつちかった精神力を読書と構想へささげる。
Fは“カン”を人間、もしくは生物の当然能力と決めつけた。ある緊張状態へ脳が置かれた時、“カン”が冴え、未来の展開を知ることができる。あるいは見えないはずのものを見ることができる。
地中に隠されている地雷は人間に見えない、という常識は、人間の感覚が視覚、嗅覚、聴覚、味覚、触覚の5つしかないという常識を前提にしている。可視光線による光子情報を視覚で、音波による光子情報を聴覚で、というように感知先を分けていくと、地中の地雷を五感で感知するのは確かに不可能だ。
しかし脳が五感に達するもの以外の光子情報を受信していても、不思議はない。
受信していても、受信したというクオリアがはっきり発生しなければ、受信に気づかないし、話題にもならないが、脳は“経験と学習により持ち主の意思に関係なく成長する器官”という特徴を持つ。成長した脳が新しいクオリアの発生する能力を無意識にみがいている可能性はゼロと言いきれないはずだ。
Fは何度も“カン”を認識した。“カン”が働いた時のクオリアをはっきりとおぼえている。未熟な時期にはクオリア化されなかった光子情報が経験を積み重ねることで、経験に関してのみ顕在意識へクオリア化され認識されるという可能性をFは決めつけ、研究対象とする“マジックプラン”を日本政府へ提唱した。
“マジックプラン”は予想以上の成果をあげた。人間の脳はどのような経験や鍛練を積んでも潜在意識が送受信する光子情報に変化がないが、顕在意識へのクオリア化は経験を継続することで成熟し、進化した。
地雷埋設部分の地面におけるわずかな地質模様変化や地下の微妙な熱分布不均等などといった光子情報は潜在意識でまちがいなく受信されている。
これらの情報は小さすぎるので凡人にクオリア化されることはないが、経験を積んだ者には、地雷が埋設されているという潜入知識と情報が結びつき、脳内で地雷の位置がクオリア化される。はっきりとここにあるという質感とはちがい、“カン”という言葉でしか表現できない独特の質感=クオリアが発生する。
質感を言葉や文字に変換できないことを“クオリア問題”と称することもあるが、まさに体験した者にしかわからない最終質感。出産の痛みは出産を体験した者にしかわからず、睾丸を踏まれた痛みは女性に決してわからず、生理痛は男性に理解できないのと同じように、最終質感は言葉へ変換して未体験者に理解を求めるのが不可能になる。したがってFのクオリアを説明するにしても“カン”という言葉しか使えない。
マジックプラン第一段階は成功した。徹底した経験の継続を積むことで、人間の脳は常識内では察知できないはずの物を“カン”で察知できるというデータが得られた。
しかし経験の継続には労力と時間がかかり、不経済的だった。マジックPも了解しており、メカニズムをつかんだ時点でマジックプランは第二段階へ移行した。
経験の継続をせずに“カンのクオリア化”を成熟させる方法として脳外科手術の試行を計画したマジックPは北海道の大雪山系、日高山脈、摩周湖中島の三箇所に研究施設を建設した。