小さな星の深い森・story38
後方から見た放置トラックの箱の中は右側に流し台とガスコンロと換気扇という台所があり、奥には冷蔵庫とガスボンベが置かれており、左側に小さすぎる平テーブルが1つ、その奥に大きすぎるベッドが1つ、天井の中心に電球が1つ、窓はゼロでした。
後部扉からよじ登るように入ると歩く場所はほとんどなく、自然とテーブルの前へ正座する姿勢になりました。
田村様はテーブルの向かい側で壁へ寄りかかってすわり、大きすぎるあくびをします。
あくびから目を逸らすように扉の外を見たわたしはスズメバチの羽音へおどろきました。ハチはすぐにいなくなりましたが、市内では絶対に見かけない大きさです。
「ここはどこですか?」
田村様はめんどうくさそうにまたあくびをします。
「定山渓の近くだ。夜のススキノが仕事場なら、山奥へ遊びに来ることなんかないだろう。いい空気を思いきり吸え。羊水の栄養が増す」
ランスが首を落とした鳩の体から毛をむしりながら、換気扇を回し、火の点いていないガスコンロの上へ七輪をのせ、七輪の中で炭火を起こし始めます。
「ランス野郎。腹が減っているんだから、ガスでさっさと焼け」
「ヒヒヒ。みりさちゃんと幸せくんにおいしく食べてもらう。じっくり炭で焼いた方がいい」
「おまえの保護責任者は俺様だぞ。俺様の都合を優先しろ」
「フフヒ。炊事責任者はボク。せっかくのいい肉だから、炭の方がいい」
田村様が不機嫌そうにあくびをします。
「山の地鶏野郎は野臭くってマズいヤツばかりだが、誰かが筋肉の締まった鳩を飛ばしてくれるから、助かる。しかし今は腹が減ったから、味にはこだわらん。とにかく早く食いたい」
不機嫌そうな目がわたしへ向きました。
「みりさ野郎も腹が減っただろう。それとも睡眠不足か?」
食欲や睡眠欲よりも、教えてほしいことがたくさんあります。時間が経つほど増えてしまいます。
「誰かが鳩を飛ばしているのですか? 伝書鳩ですか?」
「伝書鳩と言えば、そうかもしれんな。高性能の伝書鳩だ。マジックP野郎共は人も鳥も進化させる」
「マジックP、ってなんですか?」
「マジックP野郎共を知らんのか。小魚野郎はなにも教えていないのか」
「いろいろ教えてくれたけど、マジックPという言葉は初めて聞きました」
「最初に言わなきゃならんことだ」
ランスがテーブルへ食卓クロスをのせます。
「ヒヒヒ。鳩の脳」
置かれた皿には血まみれになった鳩の生首がのっていました。
わたしはテーブルから後ずさり、流し台の角へ頭をぶつけました。
「バカ野郎。妙な物を見せるな。イタズラにもほどがある」
田村様がクロスを引っぱりましたが、ランスは一瞬早く皿を持ち上げます。
「フヒヒ。鳩の脳を説明したかっただけ」
「口で言え」
「ヒヒフ。改造脳の持ち主は他者の脳内をミラーへ映して受信できる。鳩を神経操作で飛ばしながら、鳩の脳に映る景色を受信することも可能。偵察用の鳩が毎日やってくる。今日はみりさちゃんにたくさん食べさせてあげる」
わたしは首をふりました。
「もう、いらない」
空っぽになったテーブルの上へため息が出ます。
「鳩で偵察されているのですか? わたしを殺そうとした人たちですか?」
「あいつらは鳩のクソみたいに青白い野郎共だ。鳩の脳を使いこなせるほど器用じゃない」
「じゃあ、誰ですか?」
「みりさの野郎の敵は鳩のクソだが、俺様の敵は手ごわい。改造脳は人為的に作られたものだが、脳は自然的に進化する性質を持つ。したがって改造脳は作った者の計画以上に性能を増している」
「“あの人”がいた実験棟ではあの人だけが生き残った、と幸せくんは言っていたけど、田村様は他の場所で実験されたのですか? 田村様だけじゃなく、他にもたくさん改造脳がいるのですか?」
「疑問ばかり、よく浮かんでくるな」
「わたしの脳はどんどん増える疑問のせいで爆発しそうです。田村様たちは誰から、どうして偵察されているのですか?」
「敵から偵察されている。居場所を知られているから偵察されている」
「隠れないのですか?」
炭に落ちた脂の燃える音が足音のように刻々と鳴ります。
田村様の大きなお腹が鳴りました。
「小さな惑星だ。隠れる場所はない」
「フヒヒ。端っこがちょっと焼けた」
ランスが放り投げた肉片を、田村様は歯で受け止めました。
「うまい。次は羽根のつけ根をよこせ」
「ヒヒヒ。あわてたらダメ。ゆっくり焼く」
わたしは立ち上がりました。
「これからどうするのですか? わたしと幸せくんはどうなるのですか?」
スズメバチが1匹侵入してきました。羽音のあまりの大きさに動けなくなったわたしの肩へ止まります。スズメバチの呼吸が耳たぶへふれるような恐怖を味わった瞬間、わたしの前に立ったランスが水鉄砲を撃ちました。ハチは迫力を失い、わたしの体づたいに床へ転落します。
「どうして、水で」
「フフヒ。ただの水じゃない。不幸の水」
ランスが七輪の中へハチを捨てました。勢いよく燃え上がったハチの死骸から出た煙が換気扇へ吸われていきます。
「バカ野郎。ハチの臭いが肉に移る」
「ヒヒヒ。さっきから細かい注文を言うけど、いつもじっくり味わってくれない」
立ち尽くしているわたしを田村様が見上げてきました。
「みりさ野郎が今後どうするかを決めるのは俺様たちじゃない。自分自身だ」
「でも、守ってくれる、って」
「守ってやろうとするさ。しかし守りきれるかどうかは別問題だ。結果を決めるのはみりさ野郎自身ということだ。まず状況をよく把握しろ。敵を知り、味方を知り、自分を知るんだ。みりさ野郎へハチが寄ったのは香水のせいだ。ハチは鼻がきくからな」
わたしは田村様の横にすわり、テーブルクロスでうなじをぬぐいました。
「小魚野郎のために、栄養が必要だということも知れ」
「わかりました。肉を食べます」
「よし。じゃあ本題だ。まずマジックP野郎共を知れ」