子宮の住人・story35
田村様は他者の脳へ干渉できるそうです。なにも積まれていないトラックの箱の中ですわりこみ、話をしてくれました。田村様が箱の銀壁へ寄りかかると、箱がきしみ、トラックごと横転しそうな迫力です。
わたしは少しでも左右均等になるよう、反対側へすわりました。幸せくんは眠ったままです。
「俺様の話を流し聞きしておけ。目がさめてから、小魚野郎が読みとるだろう」
人間の脳は冷静でなく、公平でもない。思いこみのかたまりである。
腕をつねられて“痛いかどうか”は“腕をつねられているどうか”に要因を求めず、あくまでも脳の独善決定による。麻酔によって脳への痛神経情報が遮断された場合、腕をつねられても痛くない。つまり腕をつねられると必ず痛むのではなく、“腕をつねられて痛い”と潜在意識が判断できた場合、かつ“腕が痛いクオリア”を感じる顕在意識が起きていた場合のみ、腕が痛む。
ということは、腕をつねらなくても“腕をつねられて痛い”という情報を潜在意識へ送れば、“腕が痛いクオリア“が顕在意識へ発生し、腕が痛む。情報さえ相手の脳へ送れば、近寄ることなく、腕を痛ませられるということになる。
気絶を引き起こすショックをあたえなくとも、潜在意識へ“気絶した方が脳にとって良い”という情報を送れば、潜在意識は顕在意識を遮断する=気絶する。つまり見かけの衝撃や接触がなくとも気絶させることはできる。
要するに相手の脳と光子情報レベルで接触できれば(もちろん接触は目に見えない)、気絶させたり、気分が悪いと思わせたり、腕が痛いと感じさせたりすることは可能だ。健康上の変化は起こらないが、健康上の変化に関係なく、脳が頭痛のクオリアを発すれば、頭は痛む。
相手の脳内に発生するクオリアをコピーして、読みとることもできる。ニューロンの発火情報は必ず光子情報へ変換され、顕在意識でクオリアとなる。相手の光子情報をコピーし、こちらの顕在意識でクオリアとして再生すれば、相手の脳を知ることができる。
再生の際に留意すべきは感情だ。
感情は人によってクオリアがちがう。
ただし感情という言葉を使うには、感情を定義しなければならない。“悲しいとはなんだ?”という命題に答えなければならず、“感情とはなんだ?”という命題へつながる。
命題をたどっていくと、感情とはなにかへ附帯して生じるクオリアノイズにすぎないという定義に落ちつく。
たとえば“ドライブ”という単語の意味は誰もへ同一でも、附帯する感情はちがう。ドライブと聞いただけで脳が浮かれる車好きもいれば、車に酔うのでドライブが嫌いな人もいる。両者において、“ドライブ”という単語に対する骨格クオリアは同じでも、感情という附帯クオリアがちがうためドライブという骨格クオリアへそれぞれノイズが混じった状態になり、最終的にちがうクオリアが発生する。感情はこのように必ずなにかへ附帯的に発生し、クオリアにノイズを付加するものだ。
光子情報をコピーし、再生する際にはノイズを除去して、骨格クオリアを抽出する。
ノイズの除去は難しくない。
除去という表現より、ノイズこみで感じると言った方が直観的かもしれない。海外との長距離電話では決して完全に相手の声を聞き取られない。声質は変わり、無駄な音が入り、聞きとりにくい瞬間がランダムに生じる。厳密には近距離の電話でも、直接の対話でも同じだ。我々は日常の生活において、ノイズの混ざったものの中から、必要な本質的情報を取り出している。
光子情報をコピーすること自体はとても簡単だ。相手の脳と自分の脳とを交流させればいい。
通常、脳と脳との接触は起きない。しかし起こすことができれば光子情報のコピーも、相手の脳へ干渉して気絶や頭痛を起こさせることも可能である。
まずあらゆる脳がどこに存在するかを周囲から飛んでくる超詳細な光子情報の分析で特定し、脳の大きさを解析することで人間かスズメかを判断し、ターゲットにする脳を決めたら、ターゲットを狙って光子情報を直線に送る。情報は状況に応じて大きさを決める。小さい光子情報は厚い壁などを貫通しないので、病院内から外部を目指す時は大きくしておく。貫通する際の損失を見こんで発信する。小さな音は壁を通さないが、大きな音は隣の部屋へ響くのと同じ原理だ。音波もまったく同じ原理の光子情報だ。送られた情報は道中でノイズにまみれたり損失したりするが、ほぼ完全に到達する。通常の会話でも自分の声は相手へ完全に届かず、途中で微妙な音程の誤差などが生じるのだが、会話に支障をきたさない。同じように、光子情報はほぼ完全に到達すれば目的を果たす。
相手の脳内にある情報の収集には情報ミラーを使う。こちらから探索用の光子を送り続けると、相手の脳で発生した光子情報が鏡に映った状態で跳ねかえってくる。魚群探知機の原理だ。
「魚群探知機の原理がわかりません」
わたしは口をはさみました。
「後で、小魚野郎に聞け」
トラックが田村様の寄りかかっている方へ曲がりました。横転の恐怖がよぎります。
「心配するな。俺様の体重は最大積載量より軽い」
「頭の中を見ないでください」
「わかったよ。俺様はミラーを閉じると、みりさ野郎の脳内がわからなくなる。小魚野郎は有線だからみりさ野郎の声を聞きたくないときでも、聞こえてしまうがな」
「わたしには田村様の説明がよくわからないし、なんとなくわかる部分も信じられません」
「なんだと。てめえ、こんなに細かく説明したのに、わからねえと言うのか」
田村様が壁をどすんとたたきました。
わたしの体が反射的に小さく、しぼまりました。
「みりさ野郎。体感したか?」
田村様が巨大な笑顔を浮かべ、たたいた壁をなでます。
「相手の脳へ接触するのは難しくない。俺様の言葉と動作で、みりさ野郎の脳は萎縮した。脳をきたえると、光子情報レベルで同じことができる。絶対的にちがうことをしているわけではない。相対的に優れているだけだ」
「きたえたのですか?」
わたしは萎縮した脳で、話を合わせました。
「きたえるのが理想だが、厳しい道のりだな。手っとり早いのは手術だ。俺様は脳をきたえたわけでなく、手術台へのっただけだ」
手術台がギシギシきしむ様子を想像するわたしへ、上着をめくった田村様が大きなお腹を露出しました。
「小魚野郎が血を引く変異脳は失敗作だ。成功作がこれだ。改造脳というひねりのない仮称がついているが、そのうちいい名前をつけるつもりだ」
「それって、脳じゃなく、お腹」
「みりさ野郎は俺様を妊婦と思っているようだが、俺様へ種をしこむ物好きはいない。改造脳試作品第1号は子宮へ設置された。人体は子宮以外に別の脳を置く場所がない。つまり男はバカなままだな。脳は体内の器官で最もエネルギーを必要とする。体重も2倍必要だ」
トラックが急停車しました。進行方向へ倒れそうになった瞬間、わたしの手が勝手に床を押し、元へすわりました。幸せくんに全自動で操作されているのと同じ感覚です。
田村様が大きく笑っています。
「もしかして、田村様、すごい。わたしを操作できるのですか?」
「みりさ野郎にケガをさせると、咲藤野郎に怒鳴られるからな」
田村様の笑顔に安心したわたしはさらに質問してみました。
「聞きたい点が1つあります」
「なんだ? 今はミラーを使っていないから、ちゃんと言葉にしろ」
「相手の脳の大きさを判定できるなら、どうしてスズメまで気絶させたのですか?」
田村様の表情がけわしくなりました。
「これから命がけの戦いになる。敵は手ごわい。みりさ野郎には想像つかないような手段を使ってくるから、気をゆるめるな。鳥だって脳を持っており、優れた改造脳の持ち主は鳥の脳すら利用することが可能だ」