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トイレの化け物・story33

 カメラへ目を合わせないように首をふると窓の外に立つポプラの枝で2羽のスズメが話し合っているのを見つけました。チュンチュンと鳴く音は聞こえず、口パクのようなくちばしの動きだけを見ていると、会話が成リ立っているようにしか思えません。別れ話か、陰謀の相談をしているのか、2羽は真剣に話しこんでいます。

「おい。感情の方はだいじょうぶか? 鳥相手に読唇術をしている場合じゃないぞ」

{わかっている}

 携帯を閉じ、手鏡で慎重に顔を直すフリをカメラへ向けました。

{幸せくんが医者のウソを見抜くのは相手の計算内だよね}

「ずいぶんしっかりした分析だな。鼓動の落ちつきがなによりだ。俺がウソを見抜いてもみりさへ伝えるかどうかは半々だと敵は考えているはず。麻酔に酔えるので死ぬなら中絶が1番ラクだ、と俺が判断した場合、みりさへ教えないはずだからな。母体へ愛情がなければ伝える必要はない。実際は半々以上の確率で伝えない胎児が多いだろう。どこかで殺されるならどうしたって苦しむ。誰だって母体と一緒に苦しみながら死ぬのはイヤだ」

{幸せくんはどうして伝えたの?}

「バカなやつほどかわいい、って言うだろ」

{それは親のセリフです}

 手鏡をバタンと閉じました。

{このまま外へ走って逃げようか}

「車が待機しているよ。車道へ出た瞬間、ものすごい痛みにひかれる」

{なら、とりあえず診察室へ戻る}

「これ以上ここにいるのは不自然だな。俺と会話していることを絶対に悟られるな。バレたらすぐに終わりだ。粘って逃げるチャンスを探せ」

 わたしの次に1人が診察室へ呼ばれたのか、待合室の妊婦は2人に減っていました。代わりに目つきを伏せた男の看護士が1人、なにもせずに立っています。

{あの看護士、バレバレでしょう。ニセモノだよ}

「みりさが建物から出ようとしたら、すぐに外へ連絡がいく」

 わたしは待合室を抜け、診察室の外にいた女看護士に「トイレへ行ってきます」声をかけると、ふり向いた女看護士は紙コップを2つ持っていました。1つは空で、もう1つには半濁の液体が波打っています。

「トイレへ行くならちょうどよかった。先生が尿検査をしたいそうなので、尿を取ってください。こちらは利尿剤」

 受けとったわたしは待合室に隣接する公衆タイプの大きなトイレへ入りました。全面が新しい白とピンクのタイル貼りへ改装されているトイレは個室のドアが3つ開いたままならんでおり、人はいません。

 個室の1つへ入り、鍵をかけたわたしはカメラの有無を確認してから、利尿剤と説明された液体を便器へ流しました。

「みりさ。ずいぶん冷静だし、冴えているな。トイレだろうとカメラに気を配るべきだし、もはやこの病院の注射や薬は信用できない」

 トイレの水を流し、タンクの上から出てくる水を空の紙コップへ汲んだわたしは洋風便器へなにも脱がずにすわり、のどを潤しました。

{残念だけど、これが精一杯。トイレの窓から逃げ出そうと思ったけど、柵がついている}

「柵がなくても同じだ。外で数人が車内待機している。みりさが建物から出たら急発進してくる。権力行使殺人は交通事故でやると1番処理しやすい」

{建物から出ずに逃げる方法を探さなきゃ}

「建物から出なきゃ、“逃げる”にならないだろ」

{こういうときは排水管から逃げたりするのが定番だよね}

 またトイレを流し、ふりかえって水を汲み、ぬるい水でため息を逆流させました。

「小さな建物の排水管は細い。赤ちゃんでも通られない」

{幸せくんだけなら流されて逃げられるよね。赤ちゃんより小さいでしょう}

「便器の水じゃ羊水にならない。レバーを回す前に死ぬよ」

 紙コップをにぎりつぶし、便器へ捨てました。

{誰かへ電話しても無意味だよね。そもそもこの時間に起きている知り合いがいない}

「助けてくれる人はいない。助ける力を持った人がいない」

{ヤケクソで警察へかけてみようか}

「最悪だな」

{幸せくんにも策がないわけでしょう。こうなったら、素直に医療ミスを受けようか。車にひかれるより、麻酔のサービスを受けた方がいい}

 幸せくんは返事をしません。

 わたしは下着を脱ぎ、ウォシュレットで性器を洗いました。

{ウォシュレットは気持ちいい。幸せくんにも当たる?}

「ずいぶん落ちついているな」

{だって、この状況からの脱出はもう無理。考えても苦痛なだけ。せめて綺麗にしておく}

「みりさ」

{なに?}

「ごめんな。思わず声をかけたけど、助かる道を用意していないなら、声をかけるべきではなかった」

{だから半々以上の胎児は声をかけないんだね}

「トイレのドアへ男のニセ看護士が近づいてきた」

{ここは病院だからね。“具合が悪いですか”って男でも入ってくることができる}

 待合室との境になる大きなドアの向こうからノックと声が聞こえました。

「時間がかかっていますけど、だいじょうぶですか? 入りますよ」

{幸せくん、名案が出た。待合室の妊婦さんへ助けを求めよう。泣きながらしがみつけば、いくら権力者でも手出しできないでしょう}

「待合室にはもう誰もいなくなっている。強引な理由をつけて帰されたらしい。どうやらここを処刑場にするつもりだ」

{さっき気づけばなんとかなったでしょう。わたしより先に気づきなさいよ。鈍くさい変異脳だね}

「どうにもならないさ。しがみついたって、頭のおかしい女だと思われるだけだ。警察を呼ばれて、終了だ」

{なにか名案を思いついて。あなたのお父さんもぎりぎりでピンチを脱したでしょう}

「どうした? 急にあわて出したな」

{だってやっぱり死ぬのはイヤだし。それよりパンツをはかなきゃ}

 大きなドアの開く音が聞こえました。すぐに閉じられる音も聞こえました。

 男の叫び声がタイルの壁に反響します。

「逃げ場はないぞ。出てこい、化け物胎児」

{化け物とはなによ}「化け物とはなんだ」

 わたしと幸せくんが同時に憤慨した時、隣の個室から大きくて太い女声が飛びました。

「化け物とはなんだ。このニセモノインポ野郎」

 ニセ看護士がほんの一瞬だけ女々しくよがるような声を出し、次いで床へ崩れる音がしました。

 幸せくんの声が興奮します。

「男が気絶した。みりさ、個室から出よう」

 個室のドアを開けると、タイルの床にニセ看護士が倒れており、そばには待合室から途中でいなくなっていた妊婦さんの大きな体が山のようにどっしり立っています。

{わたしがトイレへ入った時は誰もいなかったはず。途中で大きなドアが開く気配もなかった。この妊婦さん、いつから隣の個室にいたの?}

 わたしの脳がふるえ始めた奥で、幸せくんの声がふるえました。

「この女に関しては、みりさが感じるクオリアと同じクオリアしか、俺に発生しない。体の中がまるで見えない。脈拍や消化の様子が全然伝わってこない。この女、わけのわからない化け物だ」

 妊婦さんの太い首がねじれ、わたしの方を向きました。山の神のような威厳と迫力に満ちた視線をしています。

「わけのわからない化け物とはなんだ。小魚野郎」

 わたしの視線がくらみました。

{この人、幸せくんの声が聞こえている。化け物だ}

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