見える場所を見落とす・story28
{咲藤さんはすごいでしょう。相手が誰であろうと、咲藤さんがいれば怖くない。必ずいい逃げ道を探してくれる}
わたしは自分がすごいみたいに鼻から白い湯気を出しましたが、幸せくんは返事をしません。
{どうしたの? 特別な脳は自分だけじゃないと知ってびっくりした?}
仕事帰りのホストでしょうか、温かそうな長い金髪の男がわたしの後ろへ近づいてきました。
「寒いだろ。缶コーヒーおごるよ」
わたしのすぐ後ろにいた若すぎる2人連れが歓声を上げ、男女の会話が聞こえ始めました。
前に立っている人が寒さをしのぐためか、ぴょんぴょん飛び跳ねます。
{わたしもさすがに寒くなってきた。あんな風に飛んだら子宮の天井へ頭をぶつけちゃう?}
幸せくんからはまだ返事がありません。
{どうしたの? びっくりしたまま寝ちゃった?}
「うるさい。店内へ集中しているだけだ。黙っていろ」
{咲藤さんに魅了されたね}
「占いなんか、どうでもいい。俺が集中しているのは、客の女だ」
{客? まさか知り合いじゃないでしょう}
「知り合いなんかいるわけないだろう。客の女は占い師の質問へウソをついている」
{ウソをつくのはダメ。占ってもらう意味がない。後ろでみんな待っているのに}
「“頭の中に誰か住んでいる”というのが相談の内容だ。占い師はさっき“妊娠しているか?”と質問したが、客は“ノー”と答えた」
{日本人じゃないの?}
「バカ。話を簡略にするため、俺がノーという言葉を使っただけだ」
{母親に向かってバカとはなによ}
「いいから聞け。客の“ノー”はウソだ。ウソをつき、血流が速くなると、血管の温度を逃がすため素肌へ薄い汗がにじむ」
「もしかして」
うっかり声を出してしまったので、前にならんでいる女性がわたしへ振り向きました。
「わたしを呼んだ?」
「いや。ごめんなさい。寒くて、頭がバカになってきただけ」
女性はおもしろくなさそうに笑ってから、前へ向き直りました。
{びっくりした}
「本当にバカだな」
{恥ずかしさのおかげで、身体が温かくなった}
「温度なんかどうでもいい。今すわっている客は変異脳の胎児を妊娠している可能性が高い」
{子宮の中までは見えないの?}
「遠すぎるし、相手との間に固体や液体が多いと体内の様子までは判断できない。外へ出てきたらすぐにわかる」
{もしそうなら話しかけようか}
「冗談じゃない。変異脳の胎児を妊娠していることは絶対に他言するな。あの客の命はあと数時間もないかもしれない」
{咲藤さんは相談されたことを誰かへ漏らしたりしないよ}
「占い師へ話す前に、身内や友だちへ話していた場合はアウトだ。話を聞かされた相手は“おかしなヤツが現れた”と思って、誰かへ話す。尾行している者がいるなら耳へ入るのは時間の問題だ」
{その胎児くんは口止めしなかったのかな?}
「俺が知るわけないだろ。男か女かもわからない」
{ねえ}
「なんだ」
{今すわっている人が出てきた時、幸せくんは妊娠の有無と、変異脳胎児かどうかを感じられるの?}
「体内の情報はさえぎるものが気体だけなら、極めて正確に感じられる」
{ということは相手の胎児くんも、幸せくんへ気づくよね}
幸せくんは一呼吸飲みこんでから、早口になりました。
「マズい。寒そうな仕草で、自然な仕草で列を離れろ。早く離れろ」
わたしはぴょんぴょん飛び跳ねてから、前の人へ言いました。
「寒くて耐えられない。帰ります」
前の人はおかしなヤツを見る目を闇へ凝らしてきます。
列から別れたわたしはすぐそばにある自動販売機で缶コーヒーを買い、子宮へ当てました。
{寒いのはウソじゃない。羊水も冷えてきたでしょう}
「おかしな仕草をするな。ふつうに歩け。この場を離れろ」
{妊婦さん、もう出てくるの?}
「あの金髪の男、店内の妊婦の尾行だ」
缶コーヒーをにぎりしめ、ふつうに歩き出しました。
{わたしの尾行はどうしたのかな?}
幸せくんはまた一呼吸飲みこんでから、ゆっくり言いました。
「ごめん、みりさ。うっかり素肌へ見とれてしまった」
{なんの話?}
「尾行する者が入れ替わったんだ。24時間態勢だから当然だ。みりさの後ろにならんでいた2人連れは金髪の仲間だよ。みりさの尾行だ」
{あの女の子たちが? きっとまだ18か9だよ}
「敵は強大だ。どんな年齢でもどんな種類の人間でも味方にできる。みりさが占い師のところへ行くことは事前に知られていたんだろうな。だからここでみりさを待ち伏せていた」
{まさか。咲藤さんのところへ行くなんて、宮美にしか言っていない}
「もう1度言う。敵は強大だ。どんな人間でも、友だちでさえも敵の味方になる。つまりみりさの敵になる。尾行がなくなったわけじゃなかった。次々と交代しながら24時間態勢で見張っている」