ヘッドライト・ストリート・story26
月曜日なのでニュークラブは格別なにぎわいにもならず、わたしは幸せくんのことを脳のどこかで常に考えながら仕事ができました。いつもよりゆっくり歩き、ゆっくりとトークし、ゆっくりお酒をたしなみました。
幸せくんは靴店を出てから一言も話さず、わたしも話しかけず、氷の入ったグラスばかりではダメだと時々控え室へ戻っては、ぬるいサイダーを飲みこみ、何度もつまずいたことのある控え室のドアの段差を慎重に確認しました。
靴店で顔をおぼえた尾行者が来店するかと警戒しましたが、現れませんでした。
午前3時に閉店すると送迎車を断り、宮美という同僚を誘って咲藤さんのところへ向かいました。宮美はヘッドライトが懐中電灯になるバイクのキーホルダーを片手ににぎり、わたしたちの靴先を照らします。
「みりさ。本当に咲藤さんの占術料をおごってくれるの? 靴は新しいし、なんか雰囲気が大人っぽくなっているし、日曜日に競馬で大金でも当てて、人生に余裕ができたわけ?」
みやび、と読む彼女はわたしと同じように高校を卒業してすぐホステスとなり、昨年の暮れにわたしのいる店へ移ってきました。
「競馬なんて買わないよ。土曜日となにも変わらない」
「そうだね。大人っぽいのは前からだし」
大人っぽいとよく言われますが、わたし自身はその評価が嫌いでした。要するに年齢より上に見えるということです。
しかし今のわたしは大人っぽいという言葉へよろこべます。母になる資格充分。深夜はまだ息が白くなるほど大気が冷えているのに、素肌のほとんどを露出している宮美と一緒のテンションでは母親になんかなれません。
もちろん大人ぶって占術料をおごるわけではありません。占いの後で咲藤さんがくれる、心得の書かれた半紙を読む前にどこかへなくしてしまうような宮美へおごりたい気持ちはまったくありませんが、1人歩きがイヤだったので、やむなくお金で釣っただけです。
「ねえ、みりさ。どうしてそっと後ろなんか振りかえるの? 霊感とか持っているわけ?」
「いや。霊感ゼロ。1つもない」
急いで前を向きました。
幸せくんの声が脳の中で急に目ざめます。
「おい、みりさ。露骨にふりかえるやつがいるか。後ろは俺が見ているから、宮美との会話へ集中していろ」
{起きているなら、早く言ってよ}
「尾行はないみたいだな。深夜だからと閉業するような連中じゃない。どうしたのかな?」
{きっと残業手当がないのよ。税収が減っているからね}
「あいかわらず、おばさんくさい発想だ。宮美を見習え」
「年上の女たちを呼び捨てにして、どうしようもない赤ちゃんだね」
うっかり声を発してしまったわたしの隣で宮美が立ち止まりました。
「みりさ。どれだけの大穴が的中したわけ? いつものみりさじゃない。頭がイカれてる感じ。どこかへぶつけたわけ?」
困ったわたしはヤケクソになって言いました。
「日曜の夜から頭の調子がヘンなの。だから咲藤さんに見てもらうの」
「占いより、病院じゃない?」
「病院に行くつもりだったけど、中止にした」
「ちゃんと行った方がいいし。頭は心配だからさ。日曜の夜といえば、そこでバイクのひき逃げがあったらしいよ。2回ひかれた男の人が頭を強く打って即死だって」
青いネオンはすでに消えており、咲藤さんの看板だけがバイクのヘッドライトのようにぽつんと光っています。