わたしと泡のちがいを教えてほしい・story2
妊娠しました。
実感はありません。「遠い国でなにかがあった」というニュースに匹敵します。体調は変わりないし、気分も変わらないし、生活も同じ。
昼すぎに起きて、浴槽に泡をため、乳房から下が濡れるくらいの深さの湯泡へ入り、ぬるやかなインストゥルメンタルを聴きながら目を閉じます。目を閉じても赤ちゃんのことは浮かんできません。
あえて変わった点といえば、あの人のことも浮かばなくなりました。
なにも浮かばなくなりました。
以前なら、今夜の仕事のことなんかが次々浮かんできたものです。食事へ行く同伴のお客さんの趣味嗜好を思い出し、どんな会話をすればいいのか、どんな空気にすればいいのか、脳の中でシュミレーションをくりかえしました。「来店する」とメールをくれている他のお客さんの顔や声を思い出しました。
あの人と会ってからは、あの人を抱くシーンばかり、浴槽の中でくりかえしました。
ところが妊娠を知って以降、脳が安らかな感じで、なにも浮かびません。泡の香りや、音楽の細かいベース音など、以前は感じなかった聞こえなかったものが、体中の粘膜へ伝わってきます。
赤ちゃんは本当に生きているのでしょうか。死んだように動きません。
わたしは本当に生きているのでしょうか。胎児のようにひとりで暮らしているわたしが、今どこでなにをしているのか、知っている人はこの世にいません。それでも「生きている」と言えるのでしょうか。
「生きているに決まっているじゃないか」と言う人がいるなら、さらに質問したい。人間が「生きている」ということの定義はなんなのでしょうか。
たったひとりの浴槽で胎児のようにお湯をにぎりながら、飛び立つ泡を目で追いました。