公的資金注入で中絶費用無料・story19
「そんなに口調が熱いと、羊水も熱くなったでしょう」
新しく冷たいサイダーを取るため冷蔵庫を開けたついでに、子宮へ冷気を当てました。
「みりさのために良くない。温度環境をころころ変えるな。ソファへ戻ってじっとすわれ」
ソファの上にある空想魚刺しゅうのクッションを抱き寄せ、窓際へすわりました。カーテン越しの空間はじわりと明るく、カーテンのすき間から刺さる午後の暖かさがとどまっています。
「あの人は5人いた変異脳の生き残りなのね。命を狙われながら札幌へ逃げてきたの?」
「追いかけてくる相手は国家だから、あの人は警察へ助けを求めるわけにいかなかった。民間だって同じことだ。つまり地球の全部が敵だった。絶望的な心境でバスを乗り継ぎ、苫小牧で車を盗み、千歳からタクシーに乗って札幌へ来た」
「国家さんは日高山脈の奥で秘密の研究や殺人があったことをバラされたくないよね。あの人をどこまでも追いかけてくる」
「逆に言えば国家だからこそ、あの人にすべてバラされてもシラを切ることは可能だったと思う。国内に圧力をかけられない相手はいないから、精神病患者が1人現れたという方向へ誘導できただろう。追われる理由は、むしろあの人の存在それ自体にある。変異脳の持ち主は相手がウソをついているかどうかを見破ることができる。人間社会にこういう存在がいると、秩序は崩壊する。人間関係はね、ウソや隠しごとがあって初めて成立する。相手の本心をすべて知ってしまえば尊敬したり愛したりはできなくなる。人間という生物はそういうものだ。あの人は他人の心を完全に知ることができたから、すでに自分の中の人間性を失っていた。精神的にも物理的にも孤独になり、札幌へ着いた時には自暴自棄が頂点へ達していた。追いかけてくる連中もそのことは計算できていた。逃亡者は自分の脳に自分で耐えきれなくなりやがて命を絶つだろう、と」
「じゃあ追いかけないで、放っておけばいいじゃない」
「放っておけない理由があるんだ」
雲が伸びてきたのか、カーテンのすき間にあった太陽の色が弱まりました。暗ずんだ部屋へ幸せくんの声が音もなく響きます。
「変異脳は極めて高い確率で遺伝する。追いかけてくる連中が最も心配した点だ。変異脳が増殖してしまうと社会秩序が混乱するので、変異脳を檻の中から野放しにしてはいけないんだよ。あの人の行動しだいでは殺さなければならない標的が増えてしまう。心配は現実になった。俺を殺そうとしているのはみりさだけじゃない。追いかけてくる連中は必ずこの部屋を探し当て、中絶費用無料で俺を殺す。たぶん、みりさごと殺す」