泡と浮かんだ母子・story12
チェーン鍵とカーテンを閉め、浴槽にお湯を張りました。
「羊水を少し温めてあげる。他になにか希望ある?」
「少し眠たいから、寝る」
「ダメよ。聞きたいことがたくさんあるの」
「俺は24時間のうち、12時間眠る必要がある。また後で話そう」
「待てない。という、わたしの気持ちが伝わっているはずでしょう」
「知らないよ」
裸になったわたしは煙草を指で回しました。
「話し相手になってくれないなら、煙草を吸い続けるよ。それとも水の浴槽にしようか」
「俺は金魚じゃない。羊水を冷やす行為はやめてくれ」
点火した煙草をくわえながら、バスルームへ行きました。
「さあ、水のシャワーだ。目をさまそう」
「わかったよ。ただしこの先の禁煙が条件だ。煙草を吸われると寒気がしてしかたない」
煙草をシャワーの湯気で消し、泡をふくらませた浴槽へ沈みました。子宮のあたりが湯へ隠れる時、どうにも表現しがたい幸せを知りました。
「幸せくん。あなたは本当に胎児なの?」
「さっきも言ったけど、わざわざ声に出さなくても俺へは伝わる。大きな独り言をしゃべっていると、隣から妙に思われる。やめた方がいい」
温かいお湯で子宮をなでると、幸せが広がります。温かいお湯に満たされていると、羊水に暮らす幸せくんの気持ちへ近づける気がします。
「幸せくんとふつうに会話したいの。思っているだけじゃ気分が出ないから、わたしはふつうに話すよ」
「場合によっては慎むべきだ。変異脳胎児を妊娠していることを絶対に知られてはいけない」
「まちがいなく胎児なのね」
「みりさへ質問がある」
「山ほど質問があるのはわたしの方」
「俺は1つだから、先に言わせてもらう。みりさは物事を決断するまでいつも慎重に時間をかけるのに、どうして一瞬の決断で書類を破いた?」
「感情。わたしは第一に感情。感情的にならない時、第二に慎重な判断なの」
「あの男と出会った時も感情が燃えたのか?」
わたしは子宮を軽くたたきました。
「赤ちゃんのくせに恋愛感情の話なんかしないで」
「みりさが考えることは瞬時に伝わってくるが、潜在意識の特殊部分によって司られる感情は理解できない」
「みりさという呼び方はやめて。わたしは母親よ。言葉遣いも改めなさい」
「息子に、幸せくん、という名前はないだろう。もう少しまともな名前にしてくれ」
親子のような大小2つの泡が目の前に降りてきました。泡が壊れないよう、慎重な手のひらで受け止めました。
「幸せくん、という名前は慎重に決めたのよ。もう変えるつもりはないの」