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自然脳がゼロから産むもの・story112

「無駄な動きのゆるされない戦場では感情というノイズが命取りになります。感情の発生は潜在意識によるものですから止めようありませんが、顕在意識で認識するか否かをコントロールできます。感情を認識しないように訓練すると、やがて脳は感情を無意味と知り、発生そのものをやめてしまう。脳が幼いころに衝撃的でマイナスな感情経験をすると、以降感情を感じまいと務めるようになり、やがて感情自体が発生しなくなるのと同じです。感情がなくなると死すら怖くなくなります。5階から飛び降りることも、殺虫剤を浴びることも平気です」

 機械による維持や操作のなくなったFの声が生々しく流れます。

「感情はそもそも単独では存在せず、なんらかの情報に附帯するクオリアです。光子情報の上では単なるノイズにすぎません。情報を繊細に受信する改造脳はノイズを軽視認識します。100の情報へ自然発生的に10や20の値で付加される感情は物理の保存法則を破る存在であり、改造脳は合理性を欠く付加情報を原因不明なノイズとして処理することで、自らの合理性を保とうとするのです。しかし自然脳は感情を認識します。自分の感情はもちろん、話している相手が“悲しい”と言わなくても、“怒っている”と言わなくても、相手の感情すら認識する性能があるのです。冷静に考えて、非常に優秀な性能と言えるでしょう。相手の感情を全自動で瞬間的に察知する性能は進化した脳にしか見られないものです。また自分の中で感情を生産するという現象も進化した脳にしか見られません。つまり感情に対して多感であるということは脳が進化している証明なのです。逆に言えば、感情の認識を軽視する改造脳は自然脳よりむしろ退化した脳であり、低性能と呼ぶべきです」

 火の灯りの中でヒロとわたしの目が合いました。Fの目は閉ざされたままです。

「動物たちは天候や天地の変異を予見するそうです。光子情報に対する繊細さと、未来に対するカンに関しては人間より上でしょう。しかし人間には感情を生産する、他者の感情を察知する、という2つの大きな特徴があります。進化本能が選択した感情こそが高性能の証しです。感情を失うのは退化でしかありません。感情を生産するという経験値を積んだ脳は創造性に優れます。脳は創造性を得るために感情生産という進化を果たしたのでしょう」

 到着した消防車のサイレンがあまりにうるさく、Fの声が聞こえにくくなりました。軽くせきをしたFが目を開き、赤い光をにらみます。声をよく聞きとるため、わたしはランスと一緒に車椅子のそばへ寄り添いました。

「感情を多く生産する脳は創造性にあふれています。しかし時勢が脳から感情を奪うことがあります。まるで戦場のような時勢になると脳は感情の認識をやめ、細かい情報へギスギスしようとする。いわば脳の退化です。自然発生の退化改造脳です。現代の若者に多く見られる、無感情で合理性を重んじる脳です。進化を逆行させてはいけない。改造脳など生まれてはいけない。マジックPの壊滅は行政で実行するでしょう。しかしDドールや残る妊婦たちは彼らの手に負えないはずです。頼りになるのはみなさんだけです。そしてなによりみなさんの胎児自身が脳を自然化してください。ドクターSの技術なら胎児脳の自然化も不可能ではないでしょう。あなたなら必ずたどり着けるはずです」

 Fは言葉の最後にわたしを見ました。見つめられたわたしの脳が恐縮してしまった代わりに、ヒロがFの手を揺さぶります。

「じゃあどうしてDドールを解き放ったのですか? 本当にDドールの解放が改造脳壊滅につながるのですか?」

「いずれわかることです」

 消防車のサイレンが鳴りやみました。誰からも見られたくないかのように、裏口にいた男たちが退散していきます。その後を清めるように、噴水の端みたいな細かい水しぶきがわたしたちの頭上へ飛んできます。

「F。ドクターSはどこにいるのですか?」

 Fは細い人さし指をわたしへ向けながら、ヒロの質問を無視します。

「梓をお願いします。愛してください」

「F。梓はわたしたちの友だちだから、だいじょうぶ。それよりドクターSの現在地を教えて」

 大きくなったヒロの声へ吸われたように、Fの声量が力尽きました。

「必ず、たどりつく」

 わたしを指していたFの指がだらりと垂れて機械にぶつかり、機械とともに動かなくなりました。冷たい水しぶきが死んだばかりのFへ跳ねかえりながら、少しずつ冷やしていきます。

 ランスがFの脈をつかんで最後の確認をします。

「ヒヒヒ。火葬しよう」

 感情のない少年は車椅子を裏口の方へ向けました。

 わたしとヒロはならんで見送りました。

「みりさ、あんたの脳がうらやましくなってきた」

 低性能と言い続けていたヒロがわたしの呼び名を修正します。

「ヒロだってすぐに自然脳へ切り替えられるでしょう」

「いや。改造脳で認識するクオリアの方がずっとラクだ。感情はめんどうで、いやらしくて、一見すると進化の邪魔のようにしか思えない。でも、そこには創造性へ通じる脳の力がみなぎっていた」

「田村様も、水ヘルメットで自然脳になってから、感情が豊かで優しくなった。不思議なのは梓。Fは感情によって改造脳の情報精度が落ちると言っていたけど、梓はFへの愛情にあふれていた時、とても強くなっていた。山の中で負けていたはずのDドール相手に、病室では互角に戦ったよ」

「脳性能の男女差なんか、あるのかな。あるのならこれからの時勢はわたしたちに味方しそうだ」

 ランスは細い男手ですが、意外に力があります。惰性をつけながらとはいえ、機械仕掛けの重たそうな車椅子を1人で炎の中へ放りこみました。家屋は水を浴びていますが、火はまだ燃え続けています。

 ヒロが水しぶきに濡れている体を小さくすると、1度だけふるえました。

「少し冷えてしまった。急いで梓の所へ行こう。走ったなら、ちょうどよくあたたまる」

 わたしも寒さを感じ、濡れている服を手のひらでこすりました。

「早く行こう。梓がマジックP狩りにあっているかもしれない」

「ヒヒヒ。モニターの最後の映像を見るかぎり、あずさちゃんがすでに起動している。心配ない」

 わたしたちのところへ戻ってきたランスが続けます。

「ハヒヒ。大きな火のそばへ行くと、一瞬であたたまるし、服も乾く。それから行こう」

 ランスと入れかわるように、わたしとヒロは裏口へ近づきました。Fの車椅子が早くも火に溶けています。

「人間って、どうしてこんなに燃えやすいの?」

 わたしの質問へヒロが手を合わせます。

「死んでから、ダラダラと死体をさらしていたくないだろう。葬儀場でまっ白なファンデーションを1時間がかりで塗られてから、一瞬で燃えるのが女の綺麗な死に様だ」

 わたしたちは焼かれそうになるスレスレの場所に立って合掌しながら体を乾かしました。

 サイレンの一団がまたやってきました。木造の古い建物はあんなに湿気をおびていたのに、燃えやすいようです。

「全焼する。もう離れよう」

 わたしたち3人は牢作りの風俗店へ向かって走り出しました。

「まずはDドールを見つけて、脳をつぶそう。それから残りの妊婦を探さなきゃいけない。改造脳と戦わなきゃならない可能性があるうちは自然脳へ戻られない。ドクターSを探すのは最後になる。改造脳が必要なくなってからだ」

 走っているヒロの声が上下に揺れます。

 わたしは縦列の最後方から質問しました。

「Dドールと残りの妊婦とドクターSはどこにいるの?」

「転びそうになることを言うな。やっぱり低性能だな」

 列の先頭にいるヒロの声がせまい通りへ曲がっていきます。

「ヒヒハ。居場所がわかっていたら、苦労しない」

 ランスも角を曲がります。

 わたしはゆっくり曲がりました。

「じゃあ、梓と合流したあと、行き場がないね。とりあえずわたしのマンションへ行こう。着替えとシャワ」

 わたしの声がランスの背中へぶつかりそうになったので、急停止しました。

 ヒロとランスがせまい路の曲がりっぱなに立ち止まっており、向かい合うように梓が立っています。梓の横にはまっ暗なススキノに不似合いな、女の子がならんでいました。ランスと同じくらいか、さらに小さな年齢に見える少女はすっ裸の人形の手を街灯の下でにぎっています。

 わたしたちは梓との再会を忘れて、少女に注目しました。長い髪の根元を頭のてっぺんで結んでいるリボンが街灯を青く反射しています。ワンピースも青が基調らしく、靴も青いのか、同じような質感で夜陰に隠れています。

「sub。紹介します。といっても、知り合ったばかりで名前もまだ聞いていません。とにかくわたしたちの味方らしいです」

 あずさの声に合わせて、少女のお辞儀が街灯絵を揺らしました。

{きれいなお辞儀。どこかのお嬢さんかな。どうして人形は裸なのかな}

 うわべをじっと観察しているわたしとちがい、ヒロは少女の体内を見抜いていました。

「どうして妊娠している。まるっきり子どもだろう」

 自然脳のわたしですが、ヒロやあずさの脳が1人の男の顔を想像していることが、なんとなくわかりました。

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