クリスマスツリーとラブストーリー・story110
自然脳という自由を得たわたしたちは水晶ボールのテリトリーの外へこのまま逃げることも可能です。しかし梓とあずさを残しては行けません。
「ハヒヒ。たぶん梓ちゃんの体が監視カメラから消えそうになると、Fは梓ちゃんを操作する。さらに梓ちゃんの脳を通じてボクたちすら操作する。だからこのまま占いの店へ行く。というすべてが、Fに予見されている」
わたしたちは咲藤さんの店へのわずかな距離を徒歩で縮めていきました。
すでに夜ですが、ススキノはむしろ夜の方が輝く街です。顔の知られているヒロは情報操作で周囲をごまかすという手段を奪われたため、顔を伏せながらゆっくり歩きます。ヒロほど有名じゃありませんが、わたしもマネをします。目を使わずに、電波ノイズのような街音を聞きながら進んでいくと、ニコチン水を飲んだ脳がクラクラします。占い店へ近づいたところで吐き気が這い上がってきたので、ヒロのようにツバを吐きました。あの人がひかれた場所でした。
伏せた顔から上目づかいに見た占い店の前には、わたしがいつもならぶホステスの列ではなく、会社員風の列が伸びていました。カラスの死骸はどこにもなく、わたしたちが乗ってきた平ボディも檻もありません。
OLの列のすき間を抜けた、下駄ばきの少年と、少年に導かれる上目づかいの女2人は店の裏側へ回りこみます。
マジックPの兵隊たちがいるかもしれないと緊張しましたが、裏口を開けるところまでスンナリ到達します。
「ハヒヒ。すごい車椅子がある」
裏口の扉を引いたランスの声を聴きながら、わたしとヒロは顔を上げました。水平に伸びた視線の先でFが目を閉じています。
Fは裏口の土間から数歩進んだところにある畳2枚ほどの薄暗い場所で、クリスマスツリーのような車椅子にすわっていました。車椅子の左右と後ろにくっついている機械装置には7色以上の小さな電球があちこちについており、機械の各部からFの脳へ向かって20本以上の細い電線が伸びています。
裏口に根づいている湿気と、機械の鼻息から出る熱気がこもったせまいスペースの向こうにあるカーテン越しに、咲藤さんのうなり声が聞こえてきます。
「霊視をしている」
わたしの声へ反応したかのようにFが目を開けました。頭についている電気コードたちのせいで、Fは機械に動かされているように見えます。
「あの女がこの時間に霊視するよう、うまく誘導しました。霊視の間、5分ほど僕の仕事がないので、あなたたちと会話ができる」
ノイズのないFの生声には女と子どもを落ちつかせるような、大人の男の色が点滅しています。ヒロが機械装置のイルミネーションへ見とれている顔で、声をすべらせます。
「Fの本心を知りたい。わたしたちの運命はあなたがにぎっています」
「僕は僕の本心を知りたい。小さなころからずっと、僕は自分の本心を知りたかったです」
少しだけウイスキーを飲んでいるヒロの目の潤みが7色を反射しています。
「F。本当はあなたとゆっくり話をしたいのだけど、5分間しかないのなら、のんびりできない。現在の本心を聞かせてほしい。FはマジックPを壊滅させたいのですか?」
「Aドールに聞けばわかるはずです。監視カメラへ届いた彼の声は完璧でした。僕は自分が生きのびるためにマジックプランを提唱した。しかし実際は自分が生きのびたかったというより、あの女のために生きていてあげたかった。あの女は僕がいなければ金を稼げない。あの女が生きるためには僕がなんらかの形で金を稼ぐ必要があったのです」
「あの女とは母親の占い師ですか? コンプレックスを完全にインプットされていますね」
「昔を思い出せば、顔をおぼえる前に生き別れたせいか、母を恋しいと感じることはありませんでした。数十年続いた訓練と戦闘の中で、母を想像したことは1度もなかったです。僕の脳には母というものがインプットされていなかった。母を思う心がインストールされたのは、帰国してからです。顔をおぼえていないはずなのに、再会した瞬間、母とわかりました。母は足をなくした僕を畳の上で熱心に介護してくれました。支給金目当ての行為だと気づくまで時間のかかった僕は、介護を受けながら、母へ絶対服従しなければならないというコンプレックスを自然にインストールしました。人間の脳は自発性を持たず、認識した情報へ、機械的に対応する機能しかありません。だからインストールされたコンプレックスを自発的にふりはらうことはできない。外部からの作用がなければ無理です。今の僕のように。今のあなたたちのように」
Fは車椅子から逃れられない体を小さく揺すりました。
「僕が母を、あの女、と呼ぶようになっても、コンプレックスは消えてくれませんでした。僕は外部からの作用を求めつづけました。あの女から逃れたかった。あの女をふりはらいたかった。初めて感じた外部からの作用が、梓との出会いだったのです。梓への愛情を思うと、あの女に対するコンプレックスが薄まっていくのをはっきり認識できました。しかしゼロになる前に僕は検挙されました。検挙され、梓と離れ々々になると、またコンプレックスに支配されます。僕はあの女のためにマジックプランを政府へ提唱しました。あの女が生きのびていくために、自分も生きてきました。マジックプランを進めながら、あの女へそれとなく、梓を収監するよう提言したのは僕です。顕在意識の傷ついている梓の脳は実験体として価値高い、と言いましたが、本心はそんなところにありませんでした。僕は梓の脳へ、自分へのコンプレックスをインプットするつもりでした。インプットが叶えば、梓は僕を愛するようになるという企画です。インプットの技術的方法はドクターSから教えてもらいました。ドクターⅡに邪魔されなければ、インプットは成功していたはず。ドクターⅡは僕がインプットをしようとしている手術室へ急に現れました。施錠しておいたのですが、万能の針金を持つ彼へは無意味でした。僕がおどろいたのは、僕が彼の行動を予見できなかったことです。梓への愛情を認識することと引きかえに脳がカンを失いかけていたのです」
Fは言葉を止め、咲藤さんがいる方向を見ました。霊視のうなり声が小さくなっています。うなり声の後で、声色を変えた咲藤さんが別の魂を演じるはずです。
Fの表情がわたしたちへ向きました。
「もう少しだけ時間がありそうです。僕の本心の説明までたどり着けそうです。手術室へ入ってきたドクターⅡは僕へ“なにをしているのか?”と質問してきました。僕は急造のウソをつきました。“水晶ボールへのコンプレックスをインプットし、水晶ボールの中心にいつも総首様を輝かせれば、改造脳たちは反乱をプランしない”ドクターⅡは賛同してくれ、結局他の4体へも同じインプットを行いました。恋愛作戦の変更を余儀なくされた僕はそれから密かに水晶ボールの性能を高める作業を始めたのです。水晶ボールへ映した未来が改造脳たちへコンプレックスになるのなら、梓を操作することも可能だからです。もちろん水晶ボールに映す未来は僕の創造ではなく、データに基づいた合理的未来でなければなりませんから、梓が僕を愛しているというデータが必要です。しかし感情はデータに残らない。感情という情報はクオリアノイズでしかないので、クオリアとして認識できず、したがってデータに残らないのです。データにならない梓の感情を水晶ボールへ映すことはできない。僕が梓の感情について悩んでいるうちに脱走劇が起こりました。僕は2人の脱走者がススキノにいることをカンで認識しました。しかし詳細な現在地を知ることまではできなかったので、水晶ボールの性能アップを急ぐと、ススキノにアリ地獄を作りました。まず“あの人”がアリ地獄へ落ちました。もう1人の脱走者である梓はすぐにやって来なかった。僕と出会ったこの場所へ戻って来なかった。しかし僕の未来予見は梓と再会するという希望に満ちていました。あなたたちと会い、ドクターⅡや田村様を焼き、ここへ来てくれることを予見できたのです。唯一、予見できなかった未来が梓の感情でした。今日の夕方、ついにここへやってきた梓がまっすぐ階段を昇り、僕の枕元へ駆けつけた時、僕は初めて梓の感情を知ったのです。梓からの愛情を感じたのです。外部からの強烈な作用により、あの女へのコンプレックスは今夕、ゼロになりました。僕の本心は固まりました。マジックPを壊滅する。つまりあの女を壊滅する。壊滅という未来を叶えるために、Dドールを自由の野へ逃がしました。あなたたちがここへやってくるよう、Aドールの武装をそのままにしておきました。水晶ボールへ映した未来が着々と進行しています。もうすぐマジックPは燃えつきるでしょう」
いつのまにかFの目は車椅子のクリスマスツリーに付属しているモニターを見ています。梓の吐き出す煙がモニターに映る情報をぼやけさせています。
ヒロがかかとで土間を鳴らしました。
「すべての未来が水晶ボールに映ったのですか? わたしたちがここへ来るということも」
「もちろんです。すべての未来は水晶の中で光ります」
「映ったのなら、インチキ霊能力者も見たはずだ」
「もちろんです。しかし僕にはもう関係ありません。あの女へのコンプレックスもマジックPも燃えつきるのです」
ヒロがわたしへ手を伸ばしてきました。
「鏡を出しな」
「ファンデーションを塗るの?」
「バカは口を開くな」
ヒロの声が鋭くなるのと、奥にあったカーテンが開くのと、同時でした。ぶ厚いファンデーションで顔を固めた咲藤さんから化粧臭い息が飛んできます。
「予定どおりに来たか。つくづくFの予見は完璧だ」
「罠にでも落としたつもりか?」
スッピンのヒロの方が肌に張りがあります。しかし声の落ちつきは咲藤さんに分があります。
「アリ地獄の意味を教えてやろう。おまえたちは水晶ボールに映った未来のとおりに、もがくだけだ」
咲藤さんの手に水晶ボールが現れました。
「みりさ。こっちへおいで。まず、おまえから占ってあげよう」
急に優しい速度となった咲藤さんの声へ引かれるように、わたしの足が土間から床へ上がりました。
「どうして勝手に足が動くの? 幸せくんはダウンしているんじゃないの?」
「足を止めろ、低性能。なにをしている」
ヒロに怒鳴られなくとも、わたしだって前へ進みたくはないのですが、足が勝手に進もうとします。なんとか止めようと力を入れても、少しずつ前へ引きずられます。
「ヒヒヒ。幸せくんはダウンしている。でもみりさちゃんの自然脳には咲藤さんへのコンプレックスが多すぎる。占いを信じすぎ。ニコチン水でクラクラしているせいで、潜在意識の反射作用を、顕在意識が止められない」
ヒロがかかとでイライラと土間を踏みます。
「低性能の自然脳が夢遊病の状態になっているのか。だから占いなんかバカにしろと言ったのに」
わたしはじりじり引きずられる足をなんとか止めようとしますが、どうにもなりません。
咲藤さんの声がさらに優しくなります。
「さあおいで、みりさ。水晶ボールに未来を映してあげよう。Fがおまえに素敵な未来を用意してくれている」
Fがモニターに映る梓の煙へ見とれながら、言いました。
「愛情に惑わされると、カンが鈍ります。僕の脳は梓への愛情でノイズまみれだ。ここから先の未来予見へは自信が持てません」
咲藤さんの声が少しだけ厳しくなりました。
「なにを言い出すか、F。おまえの予見はいつも完璧だ」
「完璧は捨てました。梓のために」
「俺より、梓を愛するか」
「これが母への最後の言葉になりそうです。未来は水晶ボールが輝いてこそなのです。輝きが消えたなら、僕の予見は終わります。ここにいる改造脳たちのコンプレックスも水晶の青い光がなくなれば、解消されます」
「水晶ボールは永遠に光る。F、おまえが光らせろ」
「僕の最後の予見によると、もうすぐ光が消えます」
床を引きずられているわたしの足がなにかへ引っかかりました。
{電気の線}
床と同じ色へ塗られているため気づかなかった電気のコードは壁のコンセントからFの車椅子へ伸びています。
{転んじゃう}
電気の線に引っかかったまま引きずられているわたしの足がつんのめりそうになった時、線がコンセントから抜けました。
「僕の予見はここまでです」
クリスマスツリーの電飾が消え、水晶ボールの輝きも消えました。