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暗闇からの情報・story107

{幸せくん。鉄格子まで歩いてくれる? わたしにはなにも見えない。前がどっちなのかすら、わからない}

「わかった。隣の牢にはヒロがいる。話しかけてみよう」

 わたしの足が立ち上がり、鉄格子があるはずの方向へ全自動で歩き出しました。

 と思ったら、急に走り出しました。

{幸せくん}

 前へ手を伸ばそうとしましたが、手は動かないまま、鼻の先で鉄格子へぶつかりました。

{苦痛すぎる}

 すわりこんだわたしから涙が出ます。幸せくんが処置したらしく、すぐに痛みは治まりましたが、鼻の頭へ指でふれると、あたたかくなっています。

{どうして走るの? 意味がわからない}

「しかたないだろ。操作される。手を動かすことも許されなかった」

{こんなところが腫れたら、外へ出られない。牢屋にいた方がいい}

「ヒロなら治せるはずだ。呼んでみよう」

 わたしは大きな涙声を出しました。

「ヒロ。助けて。鼻が腫れた」

 まっ暗な廊下は暗いままです。返事どころか、誰かがいる気配すらありません。

{なんか、怖い。暗闇に誰もいないみたい}

「いるよ。ヒロが隣に、その隣がランス。1番奥に梓がいる」

{幸せくん、今は自由に情報を探知できるの?}

「牢へ入ってから操作されなくなった」

{じゃあどうしてベッドの下へ尻餅をついたり、鉄格子へ鼻がぶつかったりするわけ?}

「その瞬間だけ、操作される。牢の片隅に明視と暗視、両用の監視カメラがついている。たぶん占い師に監視されている」

 少しでも冷やすため、鼻の頭に涙をのせてみましたが、涙はお湯のようにあたたかです。

{じゃあ、咲藤さんがわたしを鉄格子へ何度もぶつけようと思ったら、簡単にできるということ?}

「なんでもできる。自殺させることも可能だ」

 ショックで涙すら止まりました。

{ヒロはどうしている? ランスと梓は?}

「だいじょうぶ。みんな元気だよ。ヒロはすぐに監視カメラへ気づいたのか、おとなしくすわっている。きっと頭の中では脱出方法を吟味しているはずだ。ランスもおとなしい。暗闇を見ることはできないだろうが、たぶんデータから監視カメラの存在を察しているんだろう。マジックPは監視カメラが好きだというデータは俺たちの経験からも正しい。ランスの頭の中はヒロと一緒で、脱出の可能性を探っているはずだ。梓は暗闇の中に浮かぶ煙草の先端の火を見つめている」

{わたしの鼻の先端も熱くなってきた。早くヒロに治療してほしい。ファンデーションじゃ色を隠せても、変形は隠せない}

「のん気だな。命の危機かもしれないというのに」

 わたしは四つんばいになりました。

{ベッドはどっち?}

「そのまま、まっすぐだけど。俺が進ませようか?」

{いいよ。命の危機なら、人生は残りわずか。少しでも自分で進む}

「俺の操作を信用できなくなったか?」

{幸せくんを信用できないわけじゃない。幸せくんを操作しているのは咲藤さんとFでしょう}

 牢の床は安いじゅうたんなのか、小さなフワフワ感があります。やわらかい女の手足で慎重にじゅうたんをかき分けながら前進したわたしは最後だけ幸せくんに手伝ってもらいながらシーツの上へ寝転がりました。ベッドには掛布団がないくせに、枕だけ2つ置いてあります。

{ここは梓が働いていた風俗店だ。違法風俗店は摘発されても、数カ月後に復活して、次の摘発まで営業する。警察はどうしてなのか、あまり徹底的に取り締まりをしないから、摘発と復活がくりかえされる}

「みりさはさすがに夜の路地情報へ詳しいな」

{つい最近までお客さんをとっていた部屋のドアだけを改造して、牢屋にしたみたい。人間生産牧場はここではなく、別の場所なのかな}

「ここでも文字通りだろう。みりさはこれからセックスだけが仕事になる」

{超子どものくせにおかしな単語を使わないで。それにわたしは実験用の母親なんかになれないでしょう。超低性能だから、きっと殺されるよ。命の危機だ}

 寝がえりを打つと、子宮の幸せくんが揺れるような気がします。

「みりさ。気落ちするな。これまでもピンチを次々突破してきたじゃないか。俺がついている」

{幸せくんが役立った場面は少なかったし。それにこれからは操作されるわけでしょう。今度こそ絶体絶命。ヒロもあずさも歯が立たないんじゃ、戦いようがない。わたしたちは文字通りのあやつり人形だよ。咲藤さんの好きなように操作されて終わりだ。あんなに優しい占い師さんだったのに、すごく悲しい}

「だから占いなんか信用できないと言ったんだ」

 牢は地下にあるせいか、少し蒸し暑く感じます。口を開けて呼吸しながら、これからの自分たちを想像しました。ヒロは甘奈を、梓はあずさを出産してから、人間生産牧場の母馬として、毎年妊娠させられるでしょう。梓は改造脳であり、ヒロも最初から牧場へスカウトされていたほど資質高い人物です。2人は実験体を産むための一生を送ることになるはずです。

 わたしにはドクターSへたどり着き、生産牧場へ連れてくる未来が決定されているようです。それから幸せくんを出産するでしょう。幸せくんは甘奈やあずさとともに実験体となりますが、性能のないわたしはたぶん殺されてしまいます。せっかく本をたくさん読んだのに、読書はためになるという言葉を信じていたのに、ここ一番ではまったく役に立ちません。

{ススキノにいながら自由がないなんて、くやしすぎる。いつもならメイクを終えて、同伴の待ち合わせをしているころ}

 わたしは暗闇の中で跳ね起きました。

{幸せくん、鏡がもう1つある。トラックの上でヒロからもらった鏡はさっき捨てたけど、コンビニでヒロから買ってもらった、いや盗んでもらった鏡がある}

「だからどうした」

 幸せくんの声は跳ねてくれません。

「あたりまえだ。こんな暗闇で鏡なんかなんの役にも立たない」

{でもなにか行動しないと、このままじゃ幸せくんは実験体にされるだけだし、わたしはたぶん殺されてしまう。とにかくなにかしよう。なにかするなら、誰かから見られないようにしなきゃ。幸せくん、カメラの死角を探して}

「監視カメラは広角だ。みりさが隠れるだけの死角はない」

 わたしはまたシーツへたおれました。

{見張られているのか。じゃあ身動きできない}

「落ちこみが早いぞ。占い師は、この時期は仕事がいそがしい、と言っていた。もうすぐカメラを見る時間はなくなるはずだ」

 わたしは占いの席にすわっている時の咲藤さんの顔を思い出しました。光る水晶ボールにおぼろげな未来映像が浮かぶ瞬間を思い出しました。

{咲藤さんがお客さんから話を聞く。聞いた話をデータ化したFが水晶へ映像を送信する。よく当たるに決まっているよね。ランスと同じことをしているだけだからね}

「占い師がいそがしくなれば、Fもいそがしくなるはずだ。カメラの映像は誰も見ないぞ」

{マジックPの誰かが見るよ。咲藤さんは総首様だから、いくらでも命令できる}

 暗闇の向こうからランスの薄ら笑いが聞こえたような気がします。感情はないはずのランスが牢の中で泣いているようにも聞こえます。

{ランスはこれからどうなるのかな。Dドールより高い資質があるということは、父馬としての期待が高いからきっと牧場で飼われる。命の危機ではないね。Dドールはどうしたのかな。どうしてFは、わたしの前でDドールが自決する、と言ったのかな。とてもそんな展開になりそうにない}

「現在のような展開になってしまうと、逆にDドールが唯一の期待だ。Dドールには水晶ボールへのコンプレックスがプログラムされていない。水晶ボールからの指示でヒロやあずさがDドールを操作しようとしても、彼女たちと互角にわたり合うDドールは簡単に操作されない」

{期待するべき相手ではないでしょう。敵なんだから。それよりリストに載っていた残りの妊婦に期待した方がいい}

「日高の末裔じゃ、水晶ボールのエジキになる。ダメだ」

{その人たちの未来もFには計算できているのかな}

「データがなければ無理だろう。みりさのデータは咲藤さんのところにあった。マジックP出身のランスや梓のデータももちろんある。ヒロはススキノの有名人だからデータ収集可能だった。しかしリストに残る2人に関して、マジックPはまったく把握していない可能性がある」

{氏名がわかれば、すぐに調べるでしょう。マジックPは国の事業なんだから}

「セックスの時に必ず本名を明かすとは限らない。あの人は相手の本名を知らなかったかもしれない。リストには偽名が記載されている可能性がある」

 わたしは指に力を入れて、シーツをにぎりしめました。

{超子どもなのに、いやらしいことを言う。だけどたしかにそのとおりだね。おかげで名案が浮かんだ}

「バカ。ひねりもなにもない。“2人の妊婦に心から期待する”という案の、どこが名案なんだ」

{他に思いつかないでしょう。結局わたしたちはヒロやあずさに頼りつづけてきたわけだから、誰かに助けてもらうしか方法がない。ヒロやあずさが戦えないなら、他の人に期待するしかない}

「俺がいるじゃないか。胎盤がつながったし、鏡越しに情報を見分けることができるようになった」

{幸せくんは見分けるだけで、戦えない}

 わたしはファンデーションボックスを開きました。まっ暗な中では、鏡も、ファンデーションの白も、意味を持ちません。

{“情報と認識”の話はたしかにそのとおりだね。この暗闇では視覚情報ゼロ。頼りの鼻は腫れちゃったし、耳へはランスのヘンな笑い声しか聞こえてこない}

 急に牢のカギがガチャガチャと鳴りました。

「みりさ、ランスだ。ランスが来た」

 どうして接近に気づかなかったのか、幸せくんの声が不意を突かれています。

「ヒヒヒ。針金は便利。折りたたむと下駄へ収納できるから、さらに便利」

 鉄格子の開く音が鏡に反射しました。

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