惑星の牢・story106
「ヒヒヒ。一寸先は闇、予定は未定、というのは人間だけのセリフ。人間は未来を推測するのが著しく苦手。でも宇宙は合理的にできている。事象のすべては物理法則にしたがう。未来がわからない、という方が不思議」
ランスはわたしが壊した水鉄砲を拾いながら、言いました。
ヒロが水晶ボールとFと咲藤さんを順ににらみながら、うなずきます。
「とりあえず納得した。うちのランスもデータから未来を計算するのが得意。潜在意識が長い計算式を知らない間に解いてくれるらしい。ランスはまだ若すぎるからFほど繊細な予言はできないけどね」
咲藤さんがヒロより大きくうなずきます。
「Aドールは最高資質の実験体だった。もしも手術を受けていたなら、CドールやDドールをしのいでいただろう」
ランスの薄ら笑いが照れます。
「ハヒヒ。ヒヒ。しのいでいた確率99.9%。ヒヒヒ」
ますます弱くなった西日が古い畳で力尽きています。光子レベルなら、畳がじわじわと色あせていく情報を感じられるのでしょう。
長年かけて枯れた畳の色を、ヒロがかかとで蹴りました。
「それで。未来の予測計算によると、これからどうなる?」
「ここからは予測ではなく、指示だ」
咲藤さんが大きく立ち上がりました。
「水晶ボールのテリトリー内なら、おまえたちの未来を計算ではなく、決定できる。改造脳たちには人間生産牧場へ入ってもらおう。梓やヒロの脳にはいろいろな可能性がある。肌馬として、毎年妊娠してもらう」
わたしは足の指を曲げて、畳のほつれをいじくり、八つ当たりしました。
{わたしの可能性はどうなっている?}
幸せくんが返事をくれます。
「みりさは低性能だからな。可能性なんか期待されていないよ」
畳は毎夕のように西日を浴びているはずなのに湿っぽく、光子レベルなら大量のダニを認識できそうです。わたしは指を離しました。
ヒロが西日と窓枠の影の境目になっている畳をとんとん踏みながら笑います。
「ドクターDが死に、ドクターSに逃げられたなら、もう人間生産など無意味なはずだ。マジックプランは終わりだよ」
咲藤さんの水晶ボールから新鮮な青い光が放たれます。
「Fの計算ではみりさがドクターSを連れてきてくれる。おまえたちは安心して出産するといい。ドクターSの技術で胎児の生命を維持してやる。実験体としてな」
わたしは足の五指を畳の上で躍らせました。
{わたしにも可能性がある。ドクターSへたどり着くという大役}
「みりさのバカ。1人で浮かれるな。周囲の空気からズレているぞ」
幸せくんの声へ、ヒロの声がかぶさります。
「人間生産なんて、よく思いついた。すばらしい脳だ」
「原案はゲリラの無差別大量生産にあった。生命は製造されている。情報を認識するためだけに」
「Fが誘拐された時、あんたは母親としてどんな思いをした? わたしたちに同じ思いをあたえるつもりか?」
「他人の心など知らん。知ったところでロクなものじゃない。改造脳のおまえたちが誰よりそのことを知っているはずだ。胎児たちの父親は耐えきれず、死んだほどだ」
「悪いけど、わたしの基本は自然脳。人間が人間を上から見るなんて、ゆるさない」
ヒロが咲藤さんへ駆け寄り、水晶ボールを左のかかとで踏みつけようとしましたが、かかとは方向を急転し、自分の右ヒザを蹴りつけました。バランスを崩したヒロの体が畳の上へごう沈します。
「甘奈。邪魔するな。水晶ボールを壊せば、操作から逃れられる」
咲藤さんが水晶ボールをなでまわします。
「つまり水晶ボールがあるうちは、操作される。甘奈は水晶ボールの配下にいる。壊そうとしても妨害操作されるだけだ。おまえが水晶ボールを壊そうというのは矛盾行為だな」
「ヒヒハ。ボクは自然脳」
ランスの水鉄砲から小さな矢が発射されました。しかしランスは水晶ボールを狙わず、天井の和室装飾へ矢を刺します。
「ヒヒハ。おかしい」
ヒロが立ち上がり、ダニをはらうかのような手つきで衣服をたたきます。
「おかしくないよ、ランス。甘奈があなたの指先を操作して、矢の方向を変えた。自然脳に切り替えたわたしも甘奈に操作される。改造脳になれば自由を奪われる。戦いようがない」
咲藤さんが水晶ボールをかかげました。水晶の中には鉄格子が見え、鉄格子の奥にはわたしたちの姿が順番に登場します。
{あれが未来? また檻の中? もうイヤ}
ちょうどわたしの収監姿が映ったところで、水晶ボールは激しく光りました。浅い海へ沈んだように、古い和室が透明な青で満たされます。西日を反射していたすべての肌が青魚の腹のような色になりました。
「梓。全員を店へ案内しろ」
咲藤さんの声が、光る海底のような室内へ響きます。
「はい。仕事。はい」
にぎられていたFの手をふりはらった梓が廊下へ歩き始めました。
わたしは目の前を通りすぎる梓の手をつかもうと考えましたが、手が動いてくれません。
{梓、待って}
声に出したつもりですが、くちびるが開きません。
幸せくんの声が緊張しています。
「みりさ。梓は水晶ボールに操作されている。俺も操作されている。つまりみりさにも自由はない」
わたしが全自動で歩きだしました。
{幸せくん。足を止めて}
「操作されている。無理だ」
ヒロの声がバタバタとおぼれます。
「ちくしょう。甘奈、やめろ。歩くな。やめろ」
ランスが最後尾を歩きます。
「ハヒヒ。甘奈ちゃん、やめてほしい。ボクまで操作しないでほしい」
幸せくんの操作が不器用なせいで、わたしの足指が階段の各段から飛び出てしまいます。
{落ちそうだよ。もう止まって}
「ダメだ。強く操作される」
先頭の梓が残す煙草の煙を追いかけるように、わたしは裏口から外へ出ました。ヒロとランスが続いてきます。沈みかけている西日の弱さが太陽との長すぎる距離を実感させます。道路へ出ると、梓が吸殻をカラスの死骸へ投げつけました。
「おい、低性能」
ヒロがいつのまにか、わたしにあだ名をつけています。無視しようとしましたが、幸せくんの操作には勝てず、ふり向きました。
「どうしたの?」
「わたしの鏡を持っているだろ。返してくれ」
「鏡でなんとかできるの? もう檻には入りたくない」
「早く、わたせ」
わたしはすぐ後ろを歩いているヒロへ鏡をわたしました。ヒロは小さな鏡をカラスの死骸へたたきつけました。
「なにするの? 意味がない」
「あんたは本当に低性能だな。ただのバカだ。わたしは操作されている。わたしの言うことを真に受け止めるな」
「どういうこと?」
イライラしている音でカラスへツバを吐くヒロに代わり、幸せくんが返事をします。
「鏡を捨てさせるために、ヒロは操作されただけだ。鏡を突破口にされて操作を逃れられると困るから、占い師がヒロを操作したんだ」
「それなら、わたしに捨てさせるといいでしょう。どうしてわざわざヒロを使うの?」
「うん。それはきっといろいろな理由が複雑にからまり合っているのかもしれない」
「はい? なにそれ」
ヒロの足音が舗装をえぐりそうなほど強くなります。
「あんたたちは咲藤がわざわざわたしを使用した理由がわからないのか? 母子ともに低性能の底だな。今のわたしの動作はあんたやランスに認識された。もうわたしたちは、たがいに相手の言葉を信用できなくなる。だから助け合えなくなる。少しずつアリ地獄の底へ落ちていっているよ」
アリ地獄の底は細い路地の奥にありました。西日がほとんど届かない、深海のような色の建物へ梓が入っていきます。建物の中はまっ暗です。
「なにも見えない。梓、待って」
わたしの足が床を踏み外しました。声が出そうになった瞬間、体が階段を降りていきます。
「みりさ。いちいち心配するな。俺たちには視覚情報が必要ない。光がない海の底でもふつうに歩ける」
階段の底には小さな灯りがありました。
「はい。仕事部屋。はい」
梓が仕事部屋と呼んだ場所は囚人用の檻でした。わたしが倉庫から運ばれてきたような小さな檻ではなく、本物の牢屋です。わたしたちは別々の牢へ全自動で入り、オートロックなのか、大きな施錠音の響きを聞きました。廊下からの小さな灯りが西日の種火のように小さく差しこんできます。
幸せくんの声が場ちがいにテンションアップします。
「操作が解けた。自由になったぞ」
わたしのテンションは最低近くへ沈みます。
{また檻の中だ。なんか閉じこめられることに慣れてきたけどね。幸せくんはいつも子宮の中だから窮屈だよね}
「どんな環境でも慣れると窮屈はない。人間だっていつも地球の中だろう、と以前にも言ったはずだ」
わたしは大きな宇宙の小さな地球の小さすぎる牢の中を見まわしましたが、妙に新鮮なシーツのベッドを1つ、汚れたソファを1つ確認したところで廊下の灯りが消えてしまい、なにも見えなくなりました。
{夜になっちゃったよ。幸せくん、わたしをベッドへ誘導して}
わたしの足が数歩進み、腰を下ろそうとしましたが、お尻は空を泳ぎ、硬質の床へ激突しました。
{なによ、幸せくん。痛すぎる}
「みさりがベッドと言った瞬間から、また操作された。俺がわざとやったわけじゃない。俺たちの信頼関係を崩そうとする罠だ。これでみりさは俺の全自動操作を信用できなくなる」
お尻をさすりながら身をよじるとシーツの洗剤香が嗅覚へやってきました。手さぐりでべッドへ昇り、スプリングがゼロの、地面のような寝具にすわります。
{こんなせまい地球の、せまい牢で、たがいを信用できないのはさびしいね。慣れてしまうと平気なのかな}