畳の上の未来・story105
「つまりドクターⅠはF自身か。戦場でみがかれた特殊なカンを持つ脳は自然発生の改造脳か」
ヒロの体からイライラした空気が消えました。西日が弱まったせいで、伸びていた影が薄くなっています。
咲藤さんがFの掛布団を元へ戻しました。
「マジックプランの原点はFの脳がモデルになっている。自然発生したFの脳を人工的に作り出すのがマジックプランだ」
「しかし、おかしい」
ヒロの声がまたイライラと揺れます。
「自然発生したFの脳が、綿密に作られた甘奈の脳をしのぐはずはない。まして占い師は自然脳。どうしてわたしたちはFの脳や占い師の脳をのぞくことができなかったり、操作されてしまったりするのか、わからない」
「おまえたちは自分自身を知らなすぎる。改造脳とは優れた脳の持ち主ではない。情報に敏感なせいで、プログラムされた情報から逃れることができない、コンピュータのような脳の持ち主ということだ。コンピュータには確かに優れた面がある。おまえたちにも、自然脳をはるかにしのぐ性能がある。しかしプログラムされたコンプレックスは消去できない。ドクターⅠ、つまりFは日高で作られた5体の改造脳へ水晶ボールに対するコンプレックスをプログラムした。直接プログラムされた梓やプログラムされた脳の末裔である胎児たちは水晶ボールの中心に映りつづける俺の脳へ、コンプレックスを持つ」
「だから、あの人は占い師を信用したのか」
「そういうことだ。水晶ボールの中心に君臨するマジックP総首へコンプレックスを持たない改造脳はもはやDドールだけだが、DドールにしてもマジックPへの絶対服従をカムイッシュで徹底教育されている。俺はすべての改造脳の頂点に立っている」
西日が弱くなったというのに、咲藤さんの影はむしろ強くなったように見えます。マジックP総首であることを明かした表情には世界の総首になってもおかしくないだけの迫力が満ちています。
煙草をくわえたまま点火することを忘れている梓のくちびるから小さな声が出ました。煙草が畳へ落下します。
「はい。太陽が影に吸いこまれた。はい」
ヒロはわざとらしい大きな音でツバを吐きます。
「あの人はだませても、田村様はだませなかったはずだ。コンプレックスをプログラムされていない」
「あの脂デブは俺の弟子だ。師匠の俺へコンプレックスばかり感じ、抜け出せない。改造脳とは不便なものだ」
「コンプレックスをプログラムしたところで、総首は自然脳。わたしたちを操作できないはず」
「Fは日高の脱走劇の後で、水晶ボールを強化した。Fが自分の脳で創造した未来は下半身のコンピュータで立体映像化されてから、水晶ボールへ無線送信され、さらに改造脳たちへ情報送信される。水晶ボールにコンプレックスを持つ改造脳たちは受信した情報へ忠実にしたがう。つまりFが創造したとおりに未来を操作されるわけだ」
「じゃあ、わたしたちの操作は総首のあんたじゃなく、Fがやっているのか」
咲藤さんは古い壁へどっしりと寄りかかります。
「操作しているのは総首である俺だ。Fの未来創造といっても、本当の意味の創造ではなく、想像でもない。おまえたちに関する膨大なデータから綿密に割り出された、未来予知だ。ここで行われている会話はすでにすべて予知されている。Fが予知した未来の台本へ俺がおまえの足を操作する場面を書きこんだ。Fは俺が書きこんだとおりに、おまえの足を操作した。水晶ボールから半径100メートルは無線送信の範囲、つまり水晶ボールのテリトリーだ。おまえたち日高出身の改造脳にとってはアリ地獄だな。自力で抜け出そうとしても、すぐに操作され、戻される」
ヒロが落ちつかない速度で、古い壁へかかとをこすりつけます。
「アリ地獄という、この古い家屋がマジックPの本拠地か」
「マジックPは極秘プラン。こういう建物がお似合いだ」
「ここまでわたしたち全員がたどり着いたことに関してはテリトリー外の行動だから、操作じゃない。だがすべてFによって予知されていたのか」
咲藤さんが右手に持った水晶ボールを高く掲げ、落としました。衝撃に弱そうな水晶ボールの光が彗星のような尾ひれを引きながら落下すると、畳の寸前で左手に受け止められました。
「予知という言葉も正確ではないな。宇宙のすべては物理現象にしたがう。したがってアナログな自然脳ですら、未来の行動は物理現象の方程式によって計算できる。右手からこぼれた水晶ボールが上や横へ行かず、必ず落下することくらい誰だって予知できるだろう。少しでも予知対象が複雑になると、膨大な方程式を解く必要があるが、その場合でも、Fは計算を一瞬でやってのける脳を持っている。ましてや改造脳が相手なら、簡単だ。改造脳はコンピュータのように動きが読みやすい。ここを押せばこうなる、とFにははっきりわかる」
西日がどんどん弱まっていくせいで、ヒロの肌から白い輝きが少なくなっていきます。塗ったばかりのファンデーションがやがてはがれていくことを予知するのと同じレベルでわたしたちの行動を知るというFが、梓の落とした煙草をくわえ、火をつけると梓の指へ持たせました。梓のくちびるから浮かんだ煙がヒロの肌を曇らせます。
「やっぱり占いはインチキだな。水晶へいろいろな未来が映るのは神秘的現象ではなく、ただの物理現象だ。Fがデータから客の未来を占い、水晶へ立体動画を映していただけだ」
「インチキと言うな。つまり非常に高い的中率だったわけだ。これ以上のサービスはないだろう。みりさもよろこんでくれた」
「低性能をだまし、よろこばせてやる。ただそれだけの商売か」
「法に抵触しなければどんな商売でも成り立つ時代だ。文句はなかろう。冷静に考えたなら、神秘占いなど可能なはずがないと誰もが気づくはずだ。占いなんか不可能に決まっている」
わたしは咲藤さんの水晶ボールを見つめました。咲藤さんと同じように尊敬してきた青い神秘玉がただの巨大ビー玉に見えてきます。最初から占いを信用していなかった幸せくんが言います。
「占いなんかやっぱりインチキだ。だけとあの水晶ボールは神のボールだ。ビー玉なんて失礼だぞ。光沢といい、光のツヤといい、光色のからみ方といい、実にすばらしい」
{光ばっかり。幸せくんは光にだまされている。プログラムされているなら、しかたないけど}
咲藤さんが巨大ビー玉を床へ置きました。光のきらめきが男女のリズムのような速度で濃い青になったり薄い蒼になったりする姿はたしかにきれいですが、送受信機が内蔵されているくらいですから、発光も人為作業でしょう。西日を神秘的に反射しているわけではなさそうです。
ヒロが光を見たくないように目を閉じました。
「どんな未来がやってくるか、創造も予知もできるはずがない。ましてや計算なんか無理だ」
西日がさらに陰りましたが、すわりこんでいる咲藤さんの手にある水晶ボールは光を強めます。
「露呈したように、俺の実態はインチキだよ。梓がここにいたころは商売の収入がゼロだった。代わりに海外の某政府からFへ支給される贅沢な金で暮らしていた」
咲藤さんも目を閉じ、話を続けます。
「ちょうどみりさと同じくらいだったころの俺が、どこかのアジア人の子どもを無理やり妊娠させられ、生まれたのがFだ。かわいい動作でまだ新しかったこの畳に何度も寝返りをぶつけていた。しかしFは3歳の真夏に誘拐された。後から知ったことだが、俺の妊娠は極秘にゲリラ要員を生産するため某政府が展開した軍事作戦の一部だったらしい。大量に生産した傭兵の卵を3年間でも母親に育てさせると経費が節約できる、というケチな作戦だ。事実上の人間生産によって生まれたFは傭兵育成牧場でゲリラとしての技術をみがいた。そして戦場で活躍し、両脚をなくした。車椅子でこの畳へ戻ってきたFに、某政府は生涯の手当金を支給してくれるはずだったが、梓がここにいた夏、一方的に打ちきりとされた。怒った俺は“ゲリラ生産の事実を公表する”と某政府を脅迫した。相手はゲリラ生産の生き証人であるFを検挙し、殺害しようとした。梓はトバッチリを受け、留置所で1晩を過ごした」
時々名前を呼ばれるたびに、梓の表情が反応します。梓の手をにぎりしめているFも目を閉じています。咲藤さんは一瞬だけFを見ると、またまぶたを下ろしました。
「Fは命の危機で、機転をきかせた。某政府からの依頼で検挙にやってきた日本政府へ、自分の脳が未来を予知できることを説明し、マジックプランを提唱した。マジックプランは採用され、FはドクターⅠを名乗り、母親としてFの脳にコンプレックスを刷りこんでいる俺は総首となった」
ヒロの鼻が笑いました。
「マザコンの未来予知者か」
「男の脳は笑える。しかしFの脳は笑えるところばかりではない。占いはインチキだが、Fの脳は本物だ。未来はまちがいなく予見できる」
ヒロが目を開け、ランスを手招きしました。ランスはなぜかにぎりしめていた水差しを置き、ヒロのそばへやってきます。
「ランスはFのような脳になるため、まるで戦場のように過酷な環境で育ったはず。未来は本当に予見できるの? わたしたちがここへ来ることすら、わかるものなの?」
「ハヒヒ。未来はたしかに予見できる」
「でもどうやって? 大量のデータがあるとカンがひらめくというけれど、常識的には考えられない。わたしの自然脳も甘奈の改造脳も、未来はまったくわからない」
ランスはわたしが壊してしまった糸の出る水鉄砲の残骸へ目を落としながら、言いました。
「ハヒハ。ボクたちがこれからどうなるのかも、Fにはわかる。水晶ボールの落下を予見できるのと同じ。宇宙のすべては物理法則にしたがう。物理法則の方程式を解けば未来を計算できるのは当然」
ヒロが首をふりました。
「決定論的な哲学思考はわかるけど、現実には無理。膨大なデータと計算が必要でしょう。とても計算できるものではない」
ランスが首をふりました。
「ヒヒヒ。コンピュータはどんなに長い方程式でも1秒で解いてしまう。人間の脳で同じことが起こると“カン”が働いたようなクオリアが発生する。でも実際にはカンじゃない。長い方程式を、潜在意識が全自動で解いただけ。顕在意識は、心臓を動かそうとか、血流速度を速めて汗をかこうといったクオリアを知らない。同じように潜在意識が未来計算しているクオリアを知らない。だから計算にかかる時間も認識できない。認識できないから情報もなく、実際にどれだけの時間とエネルギーをかけて計算しているのか知りようがなく、ただカンが働いたかのようなクオリアだけを感じる。未来を予知するのが無理というのは、未来予知が苦手だという人間の顕在意識の思いこみ。鳥や昆虫はいつも未来を感じながら生きている。生物の脳機能には未来予知がインストールされている」