布団の中のF・story104
咲藤さんは西日がいっぱいに映っている窓へ目を細めました。田村様ほどの巨体ではありませんが、10年以上ススキノの占い界の頂点に君臨してきた体には威厳に似た恰幅があります。西日を正面から浴びる咲藤さんの後ろには威厳の増幅した大きな影がそびえています。
「Fは夜になると車椅子へ乗る。この部屋は無人になるから、カーテンなどいらん」
言い放った咲藤さんはヒロの肩越しにわたしを見てくると、また優しい声へ戻りました。
「みりさ。田村様を火葬してくれたそうだな。ありがとう」
「咲藤さんによろしく、って言っていました」
「さっきの女の顔をおぼえたかな? 水晶ボールの予言はハズれない。みりさが誰よりそのことを知っているはずだ」
ススキノのホステスの頂点にいたヒロは影まで美しく、しなっています。
「占い師さん。他人の商売の悪口は言いたくないけど、占いがインチキなことは、世界中の人間の潜在意識が知っている。化けの皮はすぐにはがれる」
咲藤さんは余裕たっぷりに古い床へすわりこみました。声が低く変わります。
「化けの皮をはがすのは改造脳の得意分野だろう」
ヒロは壁へ寄りかかり、咲藤さんの片手にある水晶ボールを見据えます。
「占い師さんはマジックPの幹部でしょう?」
「マジックPなんか知らん」
「じゃあどうしてDドールと知り合いなの? ただの仲じゃないでしょう」
「Dドールなんか知らん」
「ひどいウソつきだ。ついさっき会話をしていたはず。名前を呼んだはず」
咲藤さんの手で水晶ボールが濃青に光りました。
「改造脳なら、俺がウソをついているかどうか、わかるはずだ」
女の声で“俺”と発音する咲藤さんの目が青を反射します。
わたしの奥で幸せくんのため息が鳴りました。
「占い師さんはウソをついていないのかな。脈拍も血圧もまったく変わらない」
ヒロの影がため息をつきました。
「化けの皮ははがれた。Dドールとはまちがいなく知り合いなのに、知り合いじゃないとウソをついている。ウソをついているのに、体内反応が変化しない。通常ではありえない。ただの自然脳じゃない。いったい何者? どういう手段?」
咲藤さんが笑い出しました。ふすまがふるえるほど、大きな笑い声です。威厳がすべて消えてしまうほど、高音でバカ明るい笑いです。
「どういう手段でございましょうか。どういう者でございましょうか」
笑い声はまるで別人です。
「ふざけんな」
ヒロが壁をかかとで蹴りました。
わたしはヒロの袖をつかみました。
「霊がついている。咲藤さんは霊能力者でもあるの。きっと誰かがのりうつっている」
「ふざけんな」
ヒロがもう1度壁を蹴ります。
「霊なんかいるはずない。脳の切り替えが完璧なだけだ。ただの多重人格操縦者だ。多重人格を自分でコントロールできる。それを利用して霊能力者の看板を出し、金儲けしているだけだ」
咲藤さんの笑い声が低くなりました。水晶ボールの光がつられるように鈍くなります。
「まったくトンチンカンな分析だな。多重人格など宇宙に存在しない。人格の数は記憶の数にすぎない。記憶装置に障害があれば、周囲からは多重人格と見えてしまうだけだ。年をとれば誰でも記憶に一貫性がなくなり、いろいろな人格が交互に現れるように見えたり、ボケてしまったように見えたりするのと同じだ。多重人格や認知症などと勝手な病名をつけて、まったくトンチンカンな世の中だ」
「占い師のくせに、医者や科学者のような口をきくな」
また壁を蹴ったヒロへ、咲藤さんが水晶から反射された青い光を一筋当てました。
「あまり壁を蹴らないでくれ。古い建物だからな。おまえのイライラの原因をとりのぞいてやるから、少し落ちつくんだ」
わざと強く壁を蹴ろうとしたのかスイングを大きくしたヒロの足の影でしたが、空中で静止しました。
「なんで。どうして止まる。甘奈、勝手にわたしを操作しないで」
咲藤さんが一筋の光をヒロから外すと、足が畳へ落ちました。
ヒロの表情から影にならない汗が落ちます。
「なんなの、その水晶玉」
「おまえたちは勘ちがいをしている」
咲藤さんの手から光が汗のように散り落ちます。
「多重人格も別人も、宇宙には存在しない。存在するのは情報と認識だけだ。みりさの脳には俺のパフォーマンスが霊能力者に見える。平凡な脳は霊の存在を信じ恐れているから、そう見える。ふだんとちがう人間がのりうつっていると思う。一方、改造脳の連中には、もちろん甘奈の脳をあやつるヒロもふくめて、俺のパフォーマンスの1つ1つがまったく別人に見える。まるで多重人格のようにな。しかし霊だの多重人格だのバカバカしい。ウソをついても体内反応が変わらないのは、体内反応が正常という情報を送っているからにすぎない。別人格に見えるのは、別の脳だという情報を送っているからにすぎない。改造脳を優れた脳と解釈するのは大きなまちがいということだ。改造脳は情報を絶対的に認識するがゆえ、情報に組み敷かれる。情報に組み敷かれるがゆえ、独創的な考えができない。ただ情報にしたがうのみだ。改造脳を操作したり、かく乱したりするのは簡単だ。情報さえ送れば、情報に沿ったパフォーマンスしかしない。まるでロボットだ。人間の脳より優れているわけではない」
ヒロの影がうなずきました。
「なるほど。相手が改造脳であることを意識して、情報を送りこんでいるだけか。わたしが自然脳へ切り替えてしまえば、隣の低性能のように、のん気な目線で見ていられるのか」
咲藤さんは笑いながらまた水晶ボールの光をヒロへ向けて踊らせます。
ヒロのかかとがわたしの右足を思いきり踏みつけてきました。
わたしは悲鳴をこらえ、なんとか日本語を発しました。
「なに、するの」
「わたしじゃない。甘奈、やめろ」
咲藤さんの光がわたしの左足を持ち上げます。
「止めて、幸せくん」
「ダメだ、操作されているのは俺だ。占い師に操作された俺が、みりさを操作している」
わたしの左足が、わたしの右足を踏みつけているヒロの足を、さらに上から踏みつけました。
ヒロが拳で壁をたたきます。
「ありえない。どうして甘奈や幸せくんを操作できる。改造脳が情報に敏感だとしても、誰かから操作される理由にはならない。それに占い師は自然脳だ。改造脳に対して優位になるはずがない。その水晶ボールはなんだ」
水晶ボールが輝きをやめると、わたしたちの足は自由をとり戻しました。
咲藤さんがしわの寄った指で水晶ボールをなでまわします。
「マジックPの総首はバカじゃない。田村様のような失敗作が出ないようにするため、術前にドクターSへ指示を出していた。改造脳はマジックPへ、特に総首へ絶対服従するよう、プログラムされなければいけなかった。しかしドクターSはよけいな小細工をいろいろしたらしいが、肝心なプログラムは実行しなかった。マジックPは自分たちで生産した改造脳に、自分たちが滅ぼされるところだった。ドクターⅠが機転をきかせなければ、そうなっていただろう」
ヒロが新しい情報へ反応します。
「ドクターⅠ? そんな医者がいたの」
「ドクターⅡがいるのだから、Ⅰもいるだろう。ⅠとⅡの2人は日高の施設で改造脳5体を作った。ここにいる胎児たちの父親や梓をふくめた5体だ」
名前を呼ばれた梓の声が煙と一緒に西日を浴びます。
「はい。黄色の空気。青の空気。はい」
咲藤さんの青い光が煙をつらぬきました。
「ドクターⅠは5体の脳へ刷りこみを行った。ただし外科的な刷りこみはドクターSにしかできない。ドクターとは名ばかりで医療技術を持たないⅠはメスすら持てないから、刷りこみは情報操作のみによって行われた」
「情報操作? ドクターⅠは改造脳?」
「自然発生の改造脳だ」
「自然な改造脳? 意味がわからない」
「マジックプランの原点は自然発生した改造脳にある」
ヒロがまたイライラと壁を蹴りつけました。
「意味がわからないと言っているだろ。どうやったら自然に改造脳ができる。ドクターSにしか作られないものが自然界から生まれるわけがない」
咲藤さんの水晶ボールから光が消えました。西日だけになった室内の光へ、Fの声が反射しました。
「自然界に戦場は存在しない。たしかに動物たちも昆虫たちも戦う。しかし人間の戦いとはちがう。動物たちは殺しあうことをおぞましいと認識しないから、戦いは決しておぞましくない」
Fの声にあった大人の落ちつきは消えており、緊張にふるえる言葉が続きます。
「人間は認識できる。他人を殺すことの意味を認識できる者が、欲望のために他人を殺す姿ほど、おぞましいものはない。自然界の姿とは思えない戦場からは様々なものが生み出される。すべてが自然発生だが、すべてが人工的な臭いのするおぞましい産物だ」
緊張するFの握力は梓の手を精一杯ににぎりしめているらしく、梓の笑顔がゆがみました。
「はい。手がなくなる。手がなくなる。はい」
咲藤さんが立ち上がり、Fの布団へ近づいていきます。まぶしすぎた西日が弱まったらしく、室内はむしろ見えやすくなりました。冴えてきた視覚は咲藤さんがめくり上げた掛布団の中を認識します。掛布団の外観に不自然な点はなかったのですが、布団の中には不自然な光景がこもっていました。
「はい。足がない。はい」
Fの下半身は機械仕掛けでした。パソコンのカバーを外し、内部の装置を露出させたように、細かい部品と色とりどりのコードがからみ合っています。嗅覚には病人のにおいと機械の臭いが混ざり合って届いてきます。
かがみこんだ咲藤さんがFの装置に触れると水晶ボールが大きく光りました。
「Fは戦場で両脚をうしない、代わりに不思議な脳を持ち帰った。戦場という工場で作られた改造脳だ。マジックプランはすべてここから始まった」