鏡の中の現実・story101
カラスが夕方の空にたくさん集まってきました。
わたしは斜めの鉄格子から上空を見ながら、まばたきをくりかえします。
{これは現実のカラス? それとも黒い血を流す、情報だけの空想カラス?}
「みりさ。鏡に映してみろ」
わたしが鏡を見ても、状況は変わりません。
しかし幸せくんのテンションは今までとちがいます。
「みりさ。鉄格子は見えないが、カラスは見える。あのカラスは赤い血を流す本物のカラスだ」
{どうして生き物の血はどれもこれも赤いんだろう}
「そんなこと、今はどうでもいいだろう。俺の性能アップをほめろ。みりさのようにすべての情報へだまされることなく、見極めができるようになってきた」
{わたしと同じ情報しか受信できないはず。どうして、ちがうものが見えるの?}
「情報に現実もウソもない。実際にあるものすら、人間はフェイクでしか認識できない。だから鏡も信じてしまう。しかし光子レベルで認識すると、光子が鏡に反射するための時間差がブレ、現実とかみ合わなくなる。情報の非現実さが浮き彫りになり混乱するので、鏡にまで情報操作を施すのはむずかしい。だからDドールは実行しない。実行していないから俺に見えるはずがない」
{どうして、わたしには見えるの?}
「思いこんでいるからだ。ここに鉄格子と鏡があるから、鏡に鉄格子が映るはず。そう思いこむと脳は混乱をさけるため、情報をフェイクして認識させる。盲点と同じだよ。盲点をいちいち認識させたら混乱するだろうと思って脳が盲点を消すのと同じだ」
{どうして、わたしと幸せくんに認識差ができるの? わたしと同じものが見えるはずでしょう}
「胎盤がつながったためアップした性能を使いこなせるようになってきた。経験値だよ。受信する情報は同じでも、みりさの脳がフェイクスルーする前に、俺の脳が情報を受けとられるようになった。もうみりさのバカと一緒にされなくてすむ」
わたしは鏡を閉じました。
{鏡がないと、バカなままでしょう}
「状況判断しろよ。遊んでいる場合じゃない。まず俺をほめろ」
{ほめている場合じゃない。早くここから出して}
「早く鏡を開け」
鏡を開いたわたしの体が勝手に立ち上がろうとします。
{頭が鉄格子にぶつかる}
身をかがめようとしましたが、幸せくんの全自動操作の方が強く、立ち上がってしまいました。
{鉄格子をすり抜けている}
体が前へ歩き出します。
{鉄格子をすり抜けた}
わたしは荷台から飛び降りました。
「みりさ。乱暴に飛び降りるな。体をぶつけた」
{幸せくん、ありがとう。とても頼りになるよ。あなたは世界一の胎児だ}
「まかせろよ。カラスが襲ってきたら全自動でよけてやる」
幸せくんが言ったとたんに、わたしの頭は激しく横へ動き、平ボディの運転席のドアにぶつかりました。脳に痛みが浮かびます。わたしをかすめたカラスは地面スレスレから、空へ急浮上していきました。
{痛すぎるから。なにするのよ}
「よけてやったじゃないか。くちばしに刺されるよりいいだろう。あれは本物のくちばしだぞ」
{どうしてトラックの方へよけるのよ。反対ならなにもないのに。仕返しなんて趣味が悪い}
「文句があるなら、自分でよけろ。また来るぞ」
カラスのくちばしがまた1つまっすぐ落ちてきます。
{早くよけて}
「自分で逃げろ」
動けないわたしの上で、カラスの体に矢が刺さりました。いつのまにか運転席の窓が開き、ランスの水鉄砲が空へ向けられています。
「フヒヒ。みりさちゃん、足手まとい」
「ランス、トラックから降りておいで。わたしのボディガードをしなさい」
運手席から出てきたランスは荷台へ上りました。
「ヒヒヒ。カラスの数が多い。ヒロちゃんを援護する」
ランスはカラスの動きが読めるかのように、水鉄砲から出る矢を100%命中させていきます。
ヒロが大きな息をつきながら、ランスの頭をなでます。
「ありがとう。少しラクになる。運転席に隠れているのかと思ったら、カラスの動作をデータ化していたんだね」
「ヒヒハ。Dドールはカラスを機械的に操作しているだけ。自然のカラスよりよっぽど読みやすい」
「それに引きかえ、足手まといはどうして檻から出てくるのさ」
ヒロからにらまれたわたしの体が地面へ沈み始めました。
「なにこれ」
固い舗装道路だったはずが、わたしの足元だけいつのまにか流砂になっています。
「ヒロ。なにするの」
ヒロがかかとを踏み鳴らします。
「わたしのはずないだろ。Dドールは消費エネルギーを減らすため情報操作する人数を少なくしたいから、まず低性能のあんたを狙うんだ。檻の中に入っていれば平気だったものを、勝手に出てくるな。あんたなんかもう知らん」
「幸せくん。なんとかしてよ」
「鏡で地面の中を映せ」
「どうやって、地面の中を映すのよ」
先ほどヒロに食べられた巨大カラスより、さらに大きな体の鷹が2匹登場しました。わたしの両肩の服をくちばしでつまみ、ゆっくり持ち上げてくれます。
「あずさ。ありがとう」
空をにらみつける梓の目が閉じると、鷹は上空へ飛んでいきました。わたしの体は舗装の上にしっかり立っています。
「sub。ヒロはあの檻をみりさのために情報偽装してきました。倉庫を出てからずっとです。あの檻の中はDドールすら無人に見えていたのです」
「あんた。いろいろ決着ついたら、500万振りこんでよね」
セリフを吐き捨てたヒロのファンデーションのすき間から汗がにじんでいます。
汗の上空ではカラスが攻撃を中断し、態勢を立て直しています。旋回しながら、数がどんどん増えています。黒ずんだ夕方の空でカラスの鳴き声が屋根になりました。梓が放った2匹の鷹は白い血を流しながらカラスのくちばしにメッタ刺しされています。
梓がわたしの手をにぎってきます。
「sub。Dドールの性能はやはり高いです。わたしでは勝ち目ありません。Dドールと互角にわたり合うなんて、ヒロと甘奈はすばらしい」
ヒロがまっ黒な空を見上げながら、あきれたように表情を崩しています。汗と一緒に流れ出たファンデーションがなくても、よく手入れされた白い肌がカラスの黒を鏡のように反射しています。
「互角にわたり合っているうちは勝負がつかない。あずさ、手伝ってくれる? 梓とあずさのダブル改造脳なら、わたしに気をとられているDドールをたたきつぶせるはず。こっちで大暴れしてDドールの集中力を引きつけるよ」
「sub。わかりました。Dドールは建物の中にいるでしょう。リアルな方法で殺します」
「イヤな役をやらせて、ごめん。情報で殺せる相手じゃない」
わたしは割って入りました。
「殺すの? みんないい人なのに、ましてあんな子どもなのに」
ヒロの肌が引きつります。
「あんたは戦争向きじゃないね。子どもの死を見たくなければ、地球から戦争をなくすことだ。戦争をなくすためには、とりあえずここで勝利して生き延びることだ。それから平和運動でもなんでもやったらいい。Dドールは正気の子じゃない。生かせば数十倍の子どもが死ぬかもしれない」
ランスが高下駄の下から小さな矢をとり出し、水鉄砲へ装填しています。戦場の緊張感へ薄ら笑いが刺さります。
「フヒヒ。急いだ方がいい。Dドールが気絶させようとしてくる確率99%。ドールたちの得意手段」
CドールやDドールに何度も気絶させられたことのあるわたしはうなずきました。
ヒロの汗もうなずきます。
「あずさ。ランスと一緒に建物へ入ってほしい。矢でDドールを撃ち殺して」
「sub。わかりました」
「待ってよ。ヒロ、あずさ」
わたしは荷台へ上り、ランスの高下駄の底へ指を入れました。
「フヒヒ。なにをしている」
「橋の下へ昇った時の水鉄砲はどれ? 綱の出るやつ」
「ハヒヒ。なにに使うつもり?」
「あずさと一緒にわたしが行く。綱でDドールを絞め殺す。ランスはヒロを援護していて」
ヒロがかかとを大きく踏みます。
「あんたなんか足出まといだ。もう1度檻に入れてやるから、じっとしていろ。気絶させる程度に首を絞めるだけじゃ意味はないんだ」
「本気で殺すよ。田村様の仇だと思って全力を尽くす」
わたしはランスから水鉄砲を受けとり、胸を張りました。
「性能アップした幸せくんがいる。わたしだって改造脳妊婦の端くれだから、あずさの足を引っぱったりしない」
空で旋回しているカラス大軍の鳴き声が高まります。ヒロが上空を見上げながら言いました。
「建物の中は梓の記憶が熟知している。あんたは黙って後ろをついていけ。勝手な行動をとるなよ」
「わかっている」
「Dドールだけに気をとられるな。咲藤は謎がある。マジックPをつぶすために、必要な情報源だ」
「わかった。咲藤さんのことはよく知っている。まかせて」
わたしは荷台から降りると、落ちていたカラスの死骸のくちばしで、平ボディについている大きなサイドミラーを割りました。空でたくさんの羽音が反響すると、拾い上げた1番大きなミラー片にカラスの総攻撃が映りました。