↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
6/24

武将 真田昌幸 第6話戦国の大きな流れと、武田家・真田家の立ち位置

【第2章‑0】 戦国の大きな流れと、武田家・真田家の立ち位置


 戦国の大きな流れ(1547〜1556)

この十年は、戦国の勢力図が大きく動いた時期だった。

甲斐の武田、越後の上杉、関東の北条、駿河の今川──

東国の四勢力が互いに牽制し、同盟と対立を繰り返しながら、

信濃・上野・越後の境界線で緊張が高まっていく。

信濃はその中心に位置し、

谷・川・段丘が複雑に入り組む地形ゆえに、

「どの勢力が信濃を握るか」で東国の均衡が決まると考えられていた。


 武田家はこの時期、

「甲斐の山国から信濃の広い外界へ出ていく」段階にあった。

信濃の地形線を読み、

谷沿いの道、川沿いの渡河点、段丘の集結地を整備しながら、

村々の軍役を再編して勢力を固めていく。

信濃北部では上杉家との緊張が高まり、

川中島は東国の均衡を決める戦場となった。

武田家は善光寺平・千曲川沿いの道普請を進め、

戦線を北へ伸ばしながら、

「信濃を守り、越後へ備える」立場にあった。

1554年には武田・北条・今川の三者同盟が成立し、

武田家は東国の同盟網の中心として動く。

この同盟により、武田家は信濃に集中できる体制を整えた。


 真田家は、武田家の信濃支配において

「地形線を読み、村々の軍役を束ねる家」

として位置づけられていた。

谷・川・段丘が複雑に入り組む上田・小県は、

武田軍にとって重要な前線であり、

真田家はその地形を理解し、

村々の軍役・兵の配置・道の選択を支える役割を担った。

 上田盆地は、

北は川中島

南は上野国境

西は善光寺平

東は関東への道

に接する要衝で、

真田家はこの地形線を武田軍略に接続する“要の家”として働いた。


真田家は「戦線の揺れを家中に伝え、家中の揺れを戦線へ返す」

中継点として機能していた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。