サンの怪我と魔法
本日2話目です。
庭の練習場には、朝のやわらかな光が斜めに差し込み、露を帯びた芝がきらきらと輝いていた。
まだ冷たい空気の中で、木剣が風を切る音だけが規則正しく響いている。
サンは額にうっすら汗をにじませながら、何度も同じ動きを繰り返していた。
小さな手で握る木剣はまだ重く、腕も震えている。
それでも歯を食いしばり、一歩踏み込むたびに少しずつ力強さが増していく。
「よし、構えはこうだ!腰を落とせ、そうだ……そのまま振り抜け!」
アルフレッドがすぐ近くで腕を組み、静かに見守りながらも的確に声をかける。
その声音は厳しさの中に、どこか温かさを含んでいた。
「はいっ!」
サンは短く返事をし、言われた通りに体勢を整える。
うまくできたとき、ほんの一瞬だけ表情が明るくなるが、すぐに真剣な顔に戻る。
その姿には、幼さと同時に強い意志が宿っていた。
少し離れた場所では、サラがその様子を見守っていた。
手には掃除用の雑巾を持っているが、すでに拭く手は止まっている。
(転ばないで……無理しないで……)
口には出さないが、胸の中では祈るように弟を見つめている。
握る雑巾に自然と力がこもり、指先が白くなっていた。
見守るしかできない自分へのもどかしさと、それでも信じたい気持ちが入り混じっている。
⸻
斬撃の練習が続く中、サンがいつもより大きく踏み込んだ、その瞬間だった。
足元の芝がわずかに湿っていたのか、踏み込んだ足が滑る。
「うわっ……!」
体勢を崩し、そのまま地面へと倒れ込む。
鈍い音とともに、膝を強く打った。
「サン!」
サラは考えるより先に駆け出していた。
雑巾をその場に落とし、息を切らしながら弟のもとへと走る。
「サン、大丈夫!?痛くない!?」
サンは顔をしかめ、唇を噛みしめている。
目にはうっすらと涙が浮かんでいたが、それでも必死に立ち上がろうとする。
「だ、大丈夫……これくらい……」
強がるその姿に、サラの胸がぎゅっと締めつけられる。
そこへ、ゆっくりとアルフレッドが歩み寄ってきた。
焦る様子はないが、その目は状況を正確に見ている。
「落ち着け。無理に動くな」
そう言って静かに手を差し伸べる。
サンがその手を取ると同時に、アルフレッドの掌に淡い光が集まり始めた。
やわらかな光はまるで水面のように揺れ、やがてサンの膝を包み込む。
じんわりとした温かさが広がり、痛みがすっと引いていく。
「え……なんだ、これ……」
サンは目を見開き、信じられないものを見るように自分の膝を見つめる。
さっきまでの痛みが嘘のように消えていく感覚に、驚きと感動が入り混じる。
「すごい……もう痛くない……!」
その声には、純粋な喜びがあふれていた。
⸻
サラもその光景を、息を呑んで見つめていた。
(こんなこと……本当にあるんだ……)
胸の奥がじんと熱くなり、目頭が少しだけ熱くなる。
自分たちがいた世界とはまるで違う力。
その力で弟が救われたことが、何よりも嬉しかった。
「伯爵様って……すごいんですね」
思わず漏れた言葉に、アルフレッドは軽く肩をすくめる。
「ふふ、まあ、少しはね」
その気負わない笑みに、サラは一瞬言葉を失い、頰がふっと熱くなる。
目を逸らしながらも、胸の中には新しい感情が芽生えていた。
(私も……こんなふうに誰かを守れるようになりたい)
ぎゅっと拳を握る。
「私も……弟のためにもっと強くなりたい」
小さな声だったが、その中には確かな決意が込められていた。
守るべき人がいる――それだけで、人はこんなにも変われるのだと、サラは初めて実感していた。
⸻
夕方になると、空は茜色に染まり、屋敷の影が長く伸びていた。
練習を終えたはずのサンは、自室でひとり、再び木剣を手にしていた。
窓から差し込む夕日の中、影と重なるように構えを取る。
「姉さんに心配かけたくない……」
小さくつぶやき、ゆっくりと剣を振る。
朝よりも動きはぎこちないが、そこには確かな意志があった。
何度も振るううちに腕が震え、呼吸も荒くなる。
それでも止まらない。
(もっと強くなりたい……守れるくらいに)
ふと、昼間の光景が頭に浮かぶ。アルフレッドの魔法、あの不思議な光。
「……魔法も、できるかな」
恐る恐る、剣を置き、手のひらを見つめる。
集中し、何かを思い出すように意識を向ける。
かすかに――本当にかすかに、空気が揺れた気がした。
⸻
その様子を、サラは廊下の窓越しにそっと見ていた。
「サン……」
頑張る弟の姿に、自然と微笑みが浮かぶ。
けれど同時に、胸の奥に小さな不安も生まれる。
(すごい……でも……)
「守ってあげたい」
その想いは、消えるどころかむしろ強くなっていく。
⸻
それから十日ほどが過ぎたある日の午後。
屋敷は穏やかな静けさに包まれていた。執務を終え、一息ついたところでセバスが静かに現れる。
「旦那様、少しよろしいでしょうか」
「どうした、急ぎか?」
「いえ、急ぎではございません。
ただ、お伝えしたいことが」
その落ち着いた口調に、ただ事ではない気配を感じ取り、アルフレッドは椅子に深く腰掛け直した。
「構わん、話せ」
「はい。あの姉弟――サラとサンですが、どうやら魔法の才があるようでございます」
「……ほう?」
興味を抑えつつも、わずかに目を細める。
「ちなみに、どんな魔法が使えるんだ?」
「サラは火属性、サンは風属性が得意なようです」
「火と風か……」
アルフレッドは指先で机を軽く叩きながら思案する。
どちらも扱い方次第で大きな力になる属性だ。
「詳しく教えてくれ」
セバスは一礼し、続ける。
「実はサラの希望で、ここ数日、基礎的な魔法知識を一日一時間ほど教えておりました」
「ほう、あの短期間でか」
「はい。きっかけは、旦那様がサンを治癒された際の魔法でございます」
あの時の光景を思い出し、アルフレッドは小さく息を吐く。
「なるほどな」
「二人とも強い興味を示し、私の許可のもと、発動の真似をしたのですが……」
セバスはわずかに目を細めた。
「サラは、ほぼ即座に手のひらに火を灯しました」
「……何だと?」
「はい。非常に安定した小さな炎でございました」
アルフレッドの表情に、わずかな驚きが浮かぶ。
「サンは少し時間がかかりましたが、やがて風を生み出すことに成功しました」
「……面白いな」
思わず口元が緩む。
(ただの偶然ではないな)
「いずれにせよ、将来において有用な力となるでしょう」
セバスの言葉に、アルフレッドはゆっくりとうなずいた。
「ああ……引き続き見守ってやれ。無理はさせるな」
「かしこまりました」
静かに一礼し、セバスは部屋を後にする。
一人残されたアルフレッドは、窓の外へと視線を向けた。
夕暮れの庭の向こうに、小さな未来が動き出している気がした。
今日はもう1話投稿します。




