サラの危機
戦闘の気配が、重たい空気となって広がっていく。
まるで嵐の前の静けさのように、大地も空も息を潜めていた。
だがその中で、サラはほんの少しだけ後ろに下がった。
一歩、ほんのわずかな距離。けれどそれは、彼女の心の揺らぎそのものだった。
胸が苦しい。
締めつけられるように痛い。
目の前にいるのは、一人の少女。
気高く立つその姿は、紛れもなく――伯爵の娘。
(この人が……)
(本当の家族……)
自分とは違う場所で育ち、違う時間を生きてきた存在。
それでも血は繋がっている。
その事実が、サラの心を静かに、しかし強く揺さぶっていた。
サンがその異変に気づく。
風の精霊のように敏い彼は、すぐにサラの様子を感じ取った。
「姉さん?」
その声は、どこか不安げで、優しかった。
サラは振り返り、微笑む。
いつも通りの、柔らかな笑顔を作る。
「大丈夫」
けれど、その言葉とは裏腹に。
胸の奥はじくじくと痛み続けていた。
もし――
クリスティーナが戻ったら。
本来ここにいるべきなのは、彼女なのではないか。
自分は、代わりに過ぎないのではないか。
私は――
ここにいていいの?
その問いは、誰にも聞こえないまま、心の中で何度も繰り返される。
その時だった。
アルフレッドがゆっくりと振り向いた。
戦場を前にした鋭い眼差しのまま、しかしその奥には確かな温かさが宿っている。
「サラ」
短く、しかし確かに呼ばれた名。
「はい」
サラは思わず背筋を伸ばし、応える。
一瞬の沈黙のあと、アルフレッドは静かに言った。
「お前も家族だ」
それは、あまりにもまっすぐで。
疑いようのない言葉だった。
サラの瞳が大きく見開かれる。
胸の奥で何かが弾けるように、熱が広がっていく。
不安も迷いも、その言葉によって溶かされていく。
自分はここにいていいのだと――初めて、心から思えた。
「……はい」
小さく頷くその声には、もう迷いはなかった。
そして、その様子を見ていたローゼン侯爵が、ゆっくりと口元を歪める。
興味深そうに、楽しむように。
「面白い」
その声音には、冷たい愉悦が混じっていた。
「では見せてやろう」
次の瞬間。
地面が、轟音とともに割れた。
亀裂は蜘蛛の巣のように広がり、大地そのものが悲鳴を上げる。
土煙が舞い上がり、視界が揺らぐ。
その中から――
現れたのは、巨大な影。
やがて姿を現したそれは、これまでの魔物とは明らかに異質だった。
歪に組み合わされた肉体、人工的に繋ぎ合わされたような異形の肢体。
禍々しい魔力が、空気を震わせる。
巨大な人工魔物。
その存在感だけで、周囲の空気が押し潰されそうになる。
これまでとは、比べ物にならない。
クリスティーナが思わず呟く。
「これは……」
その声には、わずかな驚愕と警戒が混じっていた。
アルフレッドが迷いなく剣を抜く。
金属の音が、静寂を切り裂く。
「総力戦だ」
その一言で、すべてが決まる。
クリスティーナもまた、静かに構える。
瞳には強い意志が宿っている。
サラの掌に、炎が灯る。
揺らめく赤い光は、彼女の覚悟そのもののようだった。
サンの周囲に風が渦を巻く。
軽やかでありながら鋭い、その力が空気を震わせる。
父。
娘。
血の繋がりと、心で結ばれた絆。
そして――
勇敢な少女と少年。
四人が並び立つ。
それぞれの想いを胸に、同じ方向を見据えて。
目の前には、絶望的な敵。
それでも、誰一人として退く者はいない。
王国の運命をかけた戦いが、今――静かに、しかし確かに幕を開けた。




