屋敷と新しい生活
王都を出てから、馬車はしばらく森の道を進んだ。
車内は静かだった。
向かいの席では、ダークエルフの少女――サラが、弟のサンを抱き寄せるように座っている。
二人とも、まるで小動物のように警戒していた。
逃げ場を探しているのか、何度も視線が窓の外へ向く。
私は特に話しかけなかった。
焦る必要はない。
信頼というものは、時間をかけて作るものだ。
「旦那様」
隣のセバスが小声で言った。
「本当にこのまま屋敷へ?」
「そのつもりだ」
「……奥様が生きていれば、きっと驚かれたでしょう」
私は答えなかった。
その話題には触れないでほしい。
セバスもそれを察したのか、それ以上は何も言わなかった。
やがて馬車がゆっくりと速度を落とす。
屋敷が見えてきた。
高い石壁に囲まれた、大きな屋敷だ。
王都から南へ1時間、この土地は我が伯爵領の北のはずれに位置している。
もともと私の妻が気に入っていた場所だった。
――静かで、空気が綺麗だから。
実際周りは豊かな穀倉地帯であり、大きな街は少し離れた場所まで馬車で行かなければならなかった。
馬車が門をくぐる。
庭に並んだ使用人たちが頭を下げた。
その光景を見た瞬間。
サラの体がびくりと震えた。
「……大丈夫だ」
思わずそう声をかけていた。
「誰も、お前たちを傷つけない」
サラは少し驚いたようにこちらを見る。
「……本当、ですか」
「ああ」
馬車が止まる。
扉が開いた。
「旦那様、お帰りなさいませ」
屋敷の女中長――マリアが頭を下げる。
だが次の瞬間。
彼女の視線が、サラとサンに向いた。
一瞬だけ、表情が止まる。
当然だ。
ダークエルフは珍しい。
しかも奴隷として連れて帰るなど、想定していなかっただろう。
私は簡潔に言った。
「今日からこの子たちは屋敷で働く」
「サラとサンだ」
マリアはすぐに姿勢を正した。
「かしこまりました」
さすがは女中長だ。
無駄な質問はしない。
私はサラに手を差し出した。
「降りられるか?」
サラは一瞬迷ったが、ゆっくりと手を取った。
その手は、驚くほど軽かった。
どれだけ食事を与えられていなかったのか、想像できる。
馬車から降りると、サンが小さく声を上げた。
「……大きい」
屋敷を見上げている。
その反応に、思わず少し笑ってしまった。
「今日からここが、お前たちの家だ」
サラが、はっと顔を上げる。
「……家?」
しまった、と思った。
奴隷に言う言葉ではない。
だが訂正はしなかった。
その代わり、こう言った。
「まずは風呂に入れ」
「それから食事だ」
サンの目が大きく開く。
「ごはん……?」
まるで夢の話を聞いているような顔だった。
マリアが優しく微笑む。
「お腹が空いているでしょう」
「今日はたくさん用意してありますよ」
その瞬間。
サラの目に、ほんのわずかに涙が浮かんだ。
そして小さく頭を下げた。
「……ありがとうございます」
その声は、まだ震えていた。
だが――
少しだけ、安心したようにも聞こえた。
私はその様子を見ながら思う。
もしかすると。
この静まり返った屋敷も、少しは賑やかになるかもしれない。
そう思ったのは――
妻と娘を失ってから、初めてのことだった。




