侯爵の暗殺者
研究施設の調査を終えた三人は、夜の森を進んでいた。
空には雲がかかり、月明かりはほとんど届かない。木々は黒い影となって重なり合い、風が枝葉を揺らすたびに、ざわり、と不気味な音を立てる。湿った土の匂いが漂い、足元では落ち葉がかすかに音を立てた。
静かな道。
あまりにも静かすぎるその空気に、サラは無意識に眉をひそめていた。
だが。
その静寂は、不自然だった。
サラが突然止まった。
「伯爵様」
低く、張り詰めた声だった。
アルフレッドはすぐに歩みを止める。
彼はサラの表情を見て、ただ事ではないと察した。
「どうした」
短い問い。
だがその声には、すでに警戒が滲んでいる。
サラはゆっくりと周囲に視線を巡らせた。赤い瞳が闇を切り裂くように鋭く細められる。
「気配があります」
その一言で、空気が一変した。
アルフレッドも足を止め、無言で周囲に意識を集中させる。サンも遅れて構えを取った。三人の呼吸がわずかに揃う。
その瞬間。
シュッ。
空気を裂く鋭い音。
「っ!」
サラが反射的に叫ぶ。
「伏せてください!」
思考よりも先に体が動いた。
次の瞬間。
サラがアルフレッドに飛びついた。
ドン。
地面に倒れ込む二人。湿った土の冷たさが背中に広がる。
その頭上を、矢がかすめていった。
ヒュン、と風を切り、背後の木に突き刺さる。
鈍い音が、静かな森に不気味に響いた。
「暗殺者か」
アルフレッドが低く呟く。声は冷静だが、その瞳には鋭い光が宿っていた。
サラはすぐに立ち上がり、アルフレッドの前に出る。その動きに一切の迷いはない。
森の闇が揺れる。
そして、人影がゆっくりと現れた。
黒装束。
顔を覆い、感情の見えない者たち。
五人。
包囲するように、音もなく配置につく。
サンが剣を抜いた。金属音が静寂を切り裂く。
「姉さん!」
その声には、緊張と怒りが混じっている。
サラは一歩前に出て、アルフレッドを庇うように立った。
その背中には、迷いはなかった。
赤い瞳が鋭く光る。
「伯爵様に手を出させません」
その声は静かだが、確かな怒りと決意を帯びている。
暗殺者の一人が、喉の奥で笑った。
「ダークエルフか」
侮るような声音。
「ちょうどいい」
「研究材料だ」
その言葉が、サラの内側で何かを弾けさせた。
胸の奥に押し込めていた記憶。
実験、拘束、痛み。
一瞬で蘇る。
その瞬間。
サラの目が燃えた。
「……許さない」
低く、震える声。
怒りが、魔力へと変わる。
手のひらに炎が灯る。小さな火が、一瞬で膨れ上がる。
「ファイア!」
火球が放たれた。
ドン!!
爆発音とともに、炎が闇を照らす。暗殺者の一人が吹き飛び、地面を転がった。
サンもすぐに動く。
「ウィンドカッター!」
風が刃となって走る。目に見えない斬撃が、複数の敵を切り裂いた。
だが。
それでも、敵は怯まない。
一人が影のように動いた。
音もなく、背後へ。
アルフレッドへと迫る。
「伯爵様!」
サラが振り向く。
だが距離がある。
間に合わない。
時間が、引き伸ばされたように感じられる。
次の瞬間。
ザシュ。
刃が振り下ろされた。
「……!」
しかし。
その剣は、止まっていた。
サラの腕が、刃を受け止めていた。
肉が裂ける感触。
温かい血が流れ落ちる。
それでも、サラは一歩も引かない。
「サラ!」
アルフレッドの声が、初めて大きく揺れた。
サラは振り返り、わずかに笑った。
痛みを隠すように。
「大丈夫です」
その声は少しだけ震えていたが、それでも確かだった。
次の瞬間。
サラの体から魔力が溢れ出す。
炎が一気に膨れ上がった。
ドン!!
爆発。
至近距離で放たれた炎が、暗殺者を吹き飛ばす。
他の者たちも、サンの追撃で次々と倒れていく。
やがて。
森は再び静かになった。
まるで何もなかったかのように。
だが、焦げた匂いと、わずかな血の気配だけが残っている。
アルフレッドはすぐにサラの腕を掴んだ。
「怪我をしている」
その声には、抑えきれない焦りが滲んでいる。
サラは少し目を逸らした。
「これくらい平気です」
強がりだった。
だがアルフレッドはそれを見逃さない。
彼はそっと手をかざした。
淡い光が、サラの腕を包み込む。
温かな魔力が傷を癒していく。裂けた皮膚がゆっくりと閉じ、血が止まる。
サラはその光を見つめながら、少しだけ息をついた。
そして、小さく呟く。
「伯爵様……」
「なんだ」
アルフレッドは短く返す。だがその視線は優しい。
サラは少し迷うように視線を泳がせたあと、意を決して言った。
「さっき……」
「私を心配してくれましたよね」
その言葉には、どこか期待が混じっている。
アルフレッドは一瞬きょとんとした。
そして、少しだけ首を傾げる。
「……仲間を、家族を心配するのは当然だ」
あまりにも自然な答え。
だが、その言葉はサラの胸に強く響いた。
家族。
その響きが、じんわりと広がる。
サラの顔が、みるみる赤くなる。
「……っ」
何か言おうとして、言葉が出ない。
サンがそれを見て、にやりと笑った。
「姉ちゃん完全に恋してる」
軽い口調だが、核心を突いている。
「サン!!」
サラが真っ赤になって叫ぶ。
森の静けさの中に、三人の声だけが少しだけ温かく響いた。
そしてその夜は、先ほどまでの戦いが嘘のように、静かに更けていった。




