侯爵の研究施設潜入
森の奥――。
サラが見つけた禁術の魔法陣からさらに数時間。
三人は言葉少なに森を進んでいた。
夜の森は静かだった。
だがその静けさは、ただ穏やかなものではない。
どこか張り詰めた、息を潜めるような空気。
枝が擦れる音。
遠くで鳴く獣の声。
湿った土の匂い。
そのすべてを感じ取りながら、サラは先頭を歩いていた。
やがて――
木々の隙間の向こうに、不自然な影が見えた。
人工物。
近づくにつれて、その輪郭がはっきりしていく。
石造りの、小さな施設。
だが森の中にあるにはあまりにも異質で、冷たい印象を放っていた。
そして――
人の気配。
一定の間隔で巡回する兵士たちの足音が、規則正しく地面を叩いている。
サンが小声で囁く。
「姉さん……あれ、絶対怪しい」
その声には、不安と、わずかな興奮が混じっていた。
アルフレッドも静かに頷く。
「ああ。あれが研究施設だろう」
その視線は鋭く、周囲の配置や警備の動きをすでに読み取っている。
そしてサラを見る。
「潜入できるか?」
問われたサラは、すぐには答えなかった。
ゆっくりと目を閉じる。
森の音に意識を溶かす。
風の流れ。
葉の揺れ。
兵士の足音の間隔。
呼吸のリズム。
自分の鼓動すら、森に溶け込ませるように。
やがて静かに目を開き、小さく頷いた。
「……できます」
その声には迷いがなかった。
ダークエルフの隠密能力。
それは森という環境でこそ、真価を発揮する。
闇と影は、彼女にとって味方だった。
「では頼む」
「はい」
サラは深く息を吸い込む。
冷たい夜気が肺を満たす。
そして――地面を蹴った。
次の瞬間。
その姿が、ふっと消えた。
「え?」
サンが目を丸くする。
「姉さんどこ!?」
慌てて辺りを見回すサンに、アルフレッドは落ち着いた声で言った。
「右の木だ」
「え?」
目を凝らす。
すると――いた。
木の枝の上。
月明かりの中に、影のように溶け込むサラの姿が。
気配すらほとんど感じられない。
サンは思わず息を呑む。
「すご……」
サラは軽く指を口元に当てる。
――静かに。
その合図。
そして次の瞬間には、また姿が揺らぎ、消える。
木から木へ。
影から影へ。
風と同じ速さで。
闇と同じ静けさで。
音もなく進んでいく。
やがて施設の近く。
見張りの兵士が二人、退屈そうに立っていた。
「今日も退屈だな」
「まったくだ。こんな森の奥で――」
その言葉は途中で途切れた。
背後に、影が落ちる。
「え?」
振り向こうとした瞬間。
トン。
軽い衝撃が首筋に走る。
視界が暗転する。
一人が崩れ落ち、もう一人も同じ運命を辿った。
音は、ほとんどしなかった。
サラは静かに息を吐き、二人の体を素早く草むらへと引きずる。
枝や葉で覆い、外からは見えないように隠す。
「……」
一瞬、周囲を確認。
異常なし。
そのまま施設の壁へと近づき、窓の下に身を寄せる。
ゆっくりと、わずかに顔を上げる。
中を覗く。
――その瞬間。
サラの表情が凍りついた。
檻。
鉄格子。
その中に閉じ込められた魔物たち。
弱々しく唸り、鎖に繋がれている。
そして――
その奥。
同じように鎖に繋がれた存在。
長い耳。
褐色の肌。
ダークエルフ。
「……!」
心臓が強く打つ。
息が詰まる。
同族。
しかも、その姿は――傷だらけだった。
腕には刻まれた痕。
魔力を無理やり引き出されたような、歪な気配。
実験。
その言葉が頭をよぎる。
胸の奥が締め付けられる。
怒り。
悲しみ。
無力感。
すべてが一瞬で押し寄せる。
だが――
(今は……任務)
サラは唇を噛み、感情を押し殺す。
視線を外し、音もなくその場を離れた。
数分後。
森の中。
アルフレッドとサンの前に、影が現れる。
空気がわずかに揺れ――サラが姿を現した。
「サラ」
「伯爵様」
サラはその場で膝をつく。
だがその動きはどこか硬かった。
「施設の中に……ダークエルフがいます」
その言葉が落ちた瞬間。
空気が凍った。
サンが息を呑む。
「え!?」
アルフレッドの目が、静かに鋭くなる。
「生きているのか」
「はい……ですが」
サラは拳を握る。
震えを抑えるように。
「実験されています」
沈黙。
森の音が、やけに遠く感じられる。
やがてアルフレッドが口を開いた。
「……そうか」
低い声。
その奥に、はっきりとした怒りが滲んでいた。
「必ず助ける」
短く、しかし揺るがない言葉。
サラは思わず顔を上げる。
「伯爵様……」
アルフレッドはまっすぐ前を見たまま言う。
「奴隷も、同族も関係ない」
そして、わずかに目を細める。
「理不尽は嫌いだ」
その一言は、静かでありながら重かった。
サラの胸が、じんわりと熱くなる。
(この人は……)
ただ命令を下す貴族ではない。
本当に――守ろうとする人だ。
気づけば、頬が少し熱を帯びていた。
また少し。
好きになってしまった。
その横で、サンがにやにやとしながら小声で言う。
「姉ちゃん、また顔赤い」
「サン!!」
思わず声が出る。
慌てて口を押さえるサラ。
森に、小さな怒声と、わずかな笑いが溶けていった。




