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EP002『反世を振り返る』

※自死についての表現があります。苦手な方はご注意ください。

 通り雨でも来そうだな。

 そう思うくらいには、急に湿度が上がったのを感じて、早く店の外の掃除を終わらせてしまおうとせっせと動く。

 木から落ちゴミとして捨てられる落ち葉を見つめながら、終わりがないなと感じる。そうは言っても街路樹から舞う色とりどりの葉は美しいもので、終わりがないのも仕方がないかなんて思った。


「あの」


 ほうきでそれをかき集めていると、背後から声をかけられた。振り返るとそこには女性が立っていて、困ったような顔をしている。


「どうされましたか?」

「あの、このあたりに文房具屋があると伺って来たのですが……」


 それなら、と店を手で指し示すと、途端に嬉しそうな表情を浮かべた。よほど探していたのだろうか。

 自分がその店の店員であることを告げてその女性を店へ案内するや否や、興奮したような声で叫び始めた。


「インクを! インクを作って欲しいんです!」


 マラソンでゴールテープを切る瞬間のような顔で、何かから解放されるといった様子。とはいえ俺に向かって言われてもなにも出来ない。落ち着いてください、と言っても、インクを作ってほしい以外の言葉が彼女からは飛び出てこないのだ。


「インクに関しては店主が詳しくて。呼んできますから、少しだけ待ってもらえませんか?」

「これ以上待てません! インク! 早く!」

「ほんの数秒ですから」


 食い気味に言われ、気圧されながらも彼女をなだめる。するとちょうどよくモカがやってきて、みゃあ、と鳴いた。

 ざぁ、と雨が降り出す。ほうきとちりとりを外に置いたままだったなと意識を一瞬飛ばしていると、店の奥の廊下から足音が聞こえてくる。モカが連れてきてくれたのだろうか。

 青漆のような色をした少し長い髪の毛を緩く結び、今日は後ろにそのまま垂らしている。濃紫の瞳を隠すような丸い眼鏡を掛けてワンサイズ大きいワイシャツを来た胡散臭そうな男――ウチのマスターだ――の登場に、それまで騒いでいた女性が急に静かになった。

 そりゃあそうだ、マスター、本当に胡散臭いから。来る店を間違えたと思っているかもしれない。


「あなたが、願いを叶えてくれるんですか!? そうなんですね!?」


 そういうわけではないらしい。ただ自分の願いが叶う瞬間が来るとわかったから静かになっただけだった。噛み締めていたのだろう。

 マスターが少し考えてから、俺を呼んだ。


「ユータくん、雨が降ってきましたし、店じまいしましょう。落ち葉は明日片付ければ大丈夫です」

「わかりました」


 置いてけぼりの会話に逡巡する女性は、店じまいという言葉に驚いたらしい。ダメなんですか、どうしてですか、と声を荒げている。

 色が落ちて茶色くなった髪の毛に、黒いパーカーとジーンズ。少し高そうなブランド物のハイカットスニーカーにリュック。まじまじと見てみると、だいたい大学三年生くらいだろうか。興奮しているのは若さゆえなのかもしれないけれど、それにしてもだ。


「お客様」


 マスターが騒ぐ女性を一喝するように、凛とした声で呼ぶ。さすがの彼女もそれにびっくりしたらしく、それまで叫んでいたのを止めて静かになった。

 意味ありげにマスターが微笑むと、彼女は視線をふいと逸らした。胡散臭いとはいえ一応見目は良い人なので、そのせいだろうな。


「お話は奥でお聞きします。ここからは貸切営業ですよ。それと――合言葉を、お願いできますか?」


 彼女の口が、合言葉のとおりに動いた。



**【反世を振り返る】



「さて、少しくつろぎながらお話を伺いたいのですが、よろしいですか?」


 店の、レジのさらに奥。応接室ともインク調合室とも呼んでいる名前の定まっていない部屋。

 赤のベルベットで覆われその周囲と脚が黒い金属で囲われたソファーが、ダークウッドのセンターテーブルを挟んで向かい合わせになっている。女性はすっかりこの部屋の異様さに圧倒されていて、今度こそ本当に静かになった。ソファーに座って、置いてあるものをきょろきょろと眺めている。

 けれど、話を伺いたいとマスターが言った瞬間、人が変わったようにまくし立て始めた。


「インクが欲しいんです! 夢で見たんです、このお店でなら願いを叶えるインクが作れるって! でもそんなの夢の中の話って思ってたのに、夢の中で猫が『店への行き方を案内しよう』って話し始めてここを教えてくれて! これまでに叶えた願いのことも教えてくれて! 全部叶ったって! すごいんだって教えてくれて!」

「んみにゃぁ」

「そう、この子! この猫が教えてくれたんです! こんなの物語みたいって思ったんですけど嘘でもいいから一回行ってみようって思って! そうしたらこのお店があって!」

「みゃぁー」


 要点が絞れないまま、彼女の夢の話が続いていく。同じ話が三度ほど繰り返されて、そのたびにモカだけが鳴き声を返していた。マスターは彼女に向き合って、うんうんとずっと頷いていた。俺はといえば、とにかく女性に落ち着いてもらおうと思って、カモミールティーを淹れていた。すぐに飲めたほうが良いだろう。そう思って、氷をたくさん入れた耐熱グラスに、熱いカモミールティーを注ぐ。熱で溶けた氷がカランと涼し気な音を立てる。お盆に三つのグラスを乗せて持っていくと、女性はやっと本題に入ろうとしているところだった。

 女性にカモミールティーを出すと、お礼のあとすぐにごくごくとすべてを飲み干す勢いで飲み始める。喋り通しで相当のどが渇いたんだろう。


「おかわり、いくらでもありますから。遠慮しないでくださいね」


 今の会話、居酒屋のバイトをしていた頃、お通しのサラダを出したときに言ったことあるな、なんてどうでもいいことを考える。彼女はありがとうございます、と言ってまたすぐに夢と猫の話を始めてしまい、そうこうしているうちに、マスターが痺れを切らしたのか話を静かに遮った。


「申し訳ありませんが、まだお名前を伺っていなかったなと思いまして」

「えっ、そうでしたっけ」

「ええ。私はこの店のマスターです。そのままマスターと呼んでください。貴女のお名前を伺っても?」

「もちろんです! 私は、鴫谷……桃花と言います」


 苗字を言う瞬間、躊躇いがあった。それまで息を巻いていた鴫谷さんはそこから少し落ち着いたのか、はぁと息をつく。


「鴫谷さんですね。インクと言いましても、どのようなものをご所望なのでしょうか」

「私は――自分を殺したいんです。今すぐにでも死にたい! だから、私の存在を消せるような、そんなインクが欲しいんです」


 自分はいらない存在だと語る彼女は、マスターに促されて自身の生い立ちを話し始めた。家族仲が悪く、夫婦喧嘩が止まらない家で育った鴫谷さんは、その仲裁に入ることが多かったらしい。けれどそれを両親は気に食わなかったらしい。ずっと両親に話し続けていることが喧嘩を止める方法だと思った彼女は、喧嘩の間に割って入り両親に話し続けた。喧嘩で頭に血が上っている両親は、嫌い同士で産んだ子供が喧嘩の中でも黙らずに口を閉じない様子を気持ち悪がり、距離を置くようになったという。

 日に日に両親の愛が薄れて行くのを感じながらも耐えていた鴫谷さんは、ある日母の日記に「あんな子産まなければよかった」と書かれているのを見つけてしまう。そこから普通にならないとと思うものの、意味のない言葉をずっと喋り続けてしまうのが治らず、しかも人といるときは特に話さないと不安で落ち着かないようになってしまった。

 一人でいる時だけ落ち着いた自分に戻れるらしいが、そうしていると自分のおかしさが頭の中を駆け巡ってしまい自己嫌悪に陥ってしまう。ずっと自分を消したいと思っていた。両親にも同級生にも気持ち悪がられ、通い始めた大学でも一人きりでいる。もうそれに耐えられない、そんなとき、ウチの店の夢を見たらしい。


「私は自分の苗字も嫌いなんです。こんな苗字いらない、いらないんです。早く消したい。あの二人の血を引いていることがイヤなんです。消えたいの、消えたい……!」


 振り絞るように消えたいと言う鴫谷さんの手は固く握られていて、震えていた。かなり強張っている様子が見て取れる。マスターに目配せをすると、少し考え込んでいた。いつもならすぐに依頼の内容をまとめはじめるのに、なにか思い当たる節があるような、そんな表情だった。


「マスターさん、私は死ねますか?」

「……そうですね。死ねるかもしれません」


 言い淀んだマスターは、深刻そうな表情で答える。いつもならきっぱりと答えるのに、珍しい。けれどそれがわかるのは俺とモカだけで、依頼人にはわからない。だからこの動揺は隠すべきだろう。

 そもそも何かあればモカが止めに入る。それがない限り、俺からは下手に動かないほうがいい――というのは、ここで働き始めてから学んだことだった。


「鴫谷さん。契約の前にお聞きしたいことがあります。本心で、偽りなく話してください」


 すこし考え込んだあと、カモミールティーを一口飲んでからマスターが言った。モカが鴫谷さんの膝の上に乗ってゴロゴロと喉を鳴らす。

 俺はゴクリとつばを飲んで、状況の深刻さを感じ取った。こんなこと、今まで一度も――。

 というよりは、俺がここで働き始めてからは一度もない、というだけだ。マスターもモカも、こういったことを何度も経験しているのだろう。

 そんな中、鴫谷さんだけが平然としているようだった。なんでしょうか、と答える彼女は、先ほどの動揺した姿とは変わって落ち着いている。なんだか、ふたりいるみたいだ。


「鴫谷さんは、本当に死にたいのですか?」

「……はい? 何度もそう言っています、死にたいんです」

「貴女は、本当にそう思っていますか」

「んみぃー」


 モカが鳴いた瞬間、鴫谷さんの表情が一瞬般若のように恐ろしいものに変わったのを見てしまった。モカが膝に乗ったのは、彼女が立ち上がって危害を加えないようにするため?

 重石としての役割をするために乗ったのだろうか。

 彼女は今にも立ち上がって何かを喚きたいような顔をしていて、恐ろしいと感じるくらいだった。


「鴫谷さんの中で、答えが一つになっているのならいいのです。ただし、願いを叶えるインク――願墨は、嘘に敏感です。裏面性に対して効果が強力に出ます。それは願いよりももっと苦しくつらい方向へ物事を運んでしまうんです。願いは、真っすぐじゃなきゃいけない。ひとつじゃないと叶いません。何重にも絡んだ糸を解くには切るしかないでしょう? 願墨はそれと同じなんです。いくつもの願いを一つのインクでは叶えられない。いくつも叶えたいなら、それぞれに対してインクが必要です」


 怯んだ、ように見えた。

 鴫谷さんの顔がひきつる。それでも引き下がれないという雰囲気を感じるのに、本心では生きたいと願っているような。今ここに依頼者はふたりいて、マスターはそれをわかっているんだろう。

 明確に人が変わるわけじゃないから、二重人格というわけでもなさそう。だけど鴫谷さんは、ずっと一人で話し続けていた。それは、本当に一人だったのかな。

 自分の中のもう一人と、話していただけなんじゃないのかな。


「鴫谷さん……、桃花さん。貴女の願いは、死ぬことですか?」

「――私は、わたしは、鴫谷を殺したい。桃花として生きたい……!」


 それが与えられた名前を捨てたいという意味だけではないことは、よくわかった。鴫谷家に生まれたこと、鴫谷の名前を与えられたこと。その家に縛られる自分を殺したいと願っていること。それを全部ひっくるめて、死にたいんだ。


「ありがとうございます。桃花さん……その願い、承りました」


 マスターが、微笑んだ。


 その後は契約書を交わして、インクを調合して、桃花さんに渡す。なんてことない流れ。けれど、彼女はずっと涙を流し続けていた。手渡した紙袋すらぐちゃぐちゃになるくらいに。











 *

  

「マスター、あれから結構経ちましたけど、鴫谷桃花さんってどうなったんでしょうか」

「ユータくんが聞いてくるなんて珍しいですね。モカ、どうですか?」

「みゃ!」

「なるほど。彼女は諸事情で実家を出たみたいです。だいぶ独り言を話してしまう状態も改善しているようですよ」

「……なんでそんなこと知ってるのかはともかく、良くなっているならなによりですね! それじゃ、俺開店準備してきます!」

「よろしくお願いしますね。――――家ごと燃やしてしまうなんて思いませんでした。ねぇ、モカ」

「ふみぃ……」 

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