3話.最後の婚約打診
「カノン」
頭を抱えていると、父に声をかけられたので慌てて顔をあげた。
「ジックス子爵に、婚約解消の話をしてもいいか」
「はい。よろしくお願いします」
いつも婚約解消を言い出すのは相手側なのだが、実際にその申し入れが我が家に来たことはない。
理由は恐らく、息子のわがままを親が止めているからだ。
この世界では、魔法科学と呼ばれるものが大きく発展している。
それによって生み出された魔道具と呼ばれるものの燃料に魔石を使うのだが、この魔石の生産地の一つがここ、レノアベラ領である。
だから、相手側の親としては、是が非でも結婚まで漕ぎつけたいわけだ。
「では、後で瞬間連絡装置でジックス子爵に連絡を入れよう」
「お手数をおかけします」
魔道具の一つである瞬間連絡装置は、貴族であれば一つは持っていることが多い。
我が家にも当然あるし、なんなら個人用も家族全員が持っている。
そして、主要な施設には同じく瞬間連絡装置があり、婚姻所にもある。
貴族間における婚約の手続きも、今日中には片が付くだろう。
「向こうも解消と言ってくることから、カノン自身に非がないことは明らかだ」
父の静かな声に、カノンはじっと耳を傾けた。
「お前は今後、どうしたい。結婚にまだ思いがあるのなら、今後も相手を探すが」
結婚に興味がないなら、諦めてもいい。
父が暗にそう言っているのが分かり、カノンは目を見開いた。
「良いのですか? 私、一応子爵令嬢なのですが」
「我が家には幸い、キースがいる。あるいはキースにも縁がなくとも、縁があっても子に恵まれずとも、土地そのものの価値は変わらん。国に悪いようにはされんよ」
領主が居なくなれば、別の爵位を持つ者にこの土地を明け渡すことになるだけだ。
故郷がなくなってしまうという問題は残るものの、結婚しないことを選択するのなら、それは仕方がない。
胸の奥で、張り詰めていた何かが解けていく。
カノンは思い切って、今の想いを伝えた。
「でしたら、お菓子作りを本格的に始めていきたいです」
父は一瞬考え込むような顔をした後、ゆっくりと頷いた。
「構わんよ。お前が作る菓子は老舗にも卸している。趣味と呼ぶには、十分すぎる実績だ」
「幻のお菓子なんて呼ばれているのだもの。三年待っても手に入らないなんて、作り手が身内だと知ったら卒倒する人もいそうね」
焼き菓子は日持ちしないもの、という常識を覆す保存性。
それでいて風味も落ちず、見た目も一級品。
これは、カノンが持つ魔力の質が保存に特化していたからこそ出来た産物だ。
だからこそ、カノン以外に作れるものはいない。
「ありがとうございます」
両親に背中を押され、カノンは心から二人に感謝した。
子爵令嬢として身に着けさせてもらった花嫁修業を無駄にしてしまう以上、お菓子作りの方でもっと音を返していきたい。
「胸を張ってやりなさい」
その夜、カノンは久しぶりに穏やかな気持ちで眠りについた。
――翌日までは。
* * *
翌朝、応接室に呼ばれたカノンは差し出された書簡を見て眉をひそめた。
「婚約の……打診?」
「そうだ」
父の表情は、昨夜とは打って変わって硬い。
「差出人は?」
「フライヘル公爵家だ」
カノンは思わず聞き返した。
「あの、狂犬と呼ばれているフライヘル公爵ですか?」
その瞬間、父が渋い顔をした。
「カノン。その呼び方は、本人の前では絶対にするなよ」
「もちろんです」
狂犬というあだ名が良い意味で使われていないことぐらい、カノンにも分かる。
それをわざわざ相手の前で言うなんて、それはもうただの悪意だ。そんなことはしない。
「昨日の今日でこんなことになって済まないが、こちらから断れる相手ではない。顔合わせだけでも、行ってもらうしかないだろう」
苦々しく発言する父に、カノンは至って普通の表情を見せた。
元々、もう結婚しないというわがままを通したのはこちらが先だ。今回だけは例外として受けるぐらい、わけない。
「婚約が成立するとは思っていない。むしろ、しなくていい。いつも通り、粗相だけはしないように」
その言葉に、カノンは苦笑した。
「私も同じ気持ちです。いつも通りにします」
期待はないけれど、圧力もない送り出しだった。
* * *
数日後、カノンはフライヘル公爵邸を訪れていた。
重厚な門。手入れの行き届いた庭。そして、どこか張り詰めた空気。
すべては魔道具と魔法の力で手入れされているらしく、人の気配もない。
ひらひらと舞う光に案内され、カノンは応接室に通された。
しばらくして扉が開く。
「本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
カノンは音を聞くなり立ち上がり、礼をした。
「子爵令嬢、カノン・レノアベラと申します」
顔を上げたその先で、カノンは初めてフライヘル公爵を視界に入れた。
短く揃えられた灰色の髪が、公爵の足が一歩踏み出されるごとに左右へ揺れる。
紫の瞳はどこか怪しさと妖艶さを含んでおり、彼が腰を下ろすまでカノンの視線を奪い続けた。
「ポラリス・フライヘル公爵だよ。今日はご足労頂き、どうもありがとう。どうぞ、座って?」
ごく普通の挨拶なのに、上手く言えないもどかしさをカノンは感じた。
彼の口角が、やけに上がっているように見えるからかもしれない。
カノンは自分が不安がっているのを悟られぬよう、いつも以上に姿勢を正して彼の前に腰を下ろすのだった。




