あの世で罰を受けるほど その③
あの麻袋は何だったのか。
父が集中治療室で死の淵を彷徨っているというのに、鏡の脳裏には、あの蠢動する袋の残像がこびりついて離れなかった。
いや、違う。恐怖に怯えている場合ではない。
これ以上、父親のような被害者を増やしてはならない。
そして何より、庭師の腕を自慢気に振るっていただけの男をこんな姿にした「奴」を、このままにしてはおけなかった。
鏡の胸の奥で、冷たく静かな復讐の火が灯った。
病室のベッドに横たわる充は、鏡の記憶にある姿よりも、ずっと小さく、脆く見えた。
透明な管がいくつも体から伸び、人工呼吸器の規則的な排気音だけが、彼がまだこちらの世界に踏みとどまっていることを証明している。
かつて、癇癪を飛ばしながら鏡を怒鳴りつけたあの猛々しさは、どこにもない。
「……情けねえ姿だな」
峠は越えた。医者の言葉を信じるなら、あとは命の火が再び燃え上がるのを待つだけだ。
母に父の付き添いを任せ、鏡は病院の非常階段へと向かった。
冷えたコンクリートの空気に身を浸しながら、休暇中であるはずの水瀬へとダイヤルした。
「もしもし、今大丈夫か」
「鏡くん? ……どうかしたの? 声、変だよ」
受話器越しの水瀬の声は、即座に異変を察知していた。
「親父がやられた。……知恵を貸してほしい。今すぐ図書館に行って、レファレンスサービスを使ってくれ」
「図書館……? 分かった、すぐに動くよ。何を調べればいい?」
鏡は、あの神社で起きた「ありえない光景」を端的に言って伝えた。
30分程が経った。
待合室の硬い椅子で貧乏揺すりを続けていた鏡のスマホが震えた。
「調べがついたよ。少し専門的な内容になるけど……」
水瀬の声は、先ほどよりも一段低く、湿り気を帯びていた。
「いわゆる『罪穢れ』。この人の論ならその本質を突いているかもしれない。
民俗学者の松平斉光によれば、穢れとは五つの要素に分けられる。……不潔な腐敗物。血液。死。自然災害。そして、社会の秩序を乱す行為。──これらすべてが、あの麻袋には詰まっている可能性がある」
「……奴の能力は、その『穢れ』を物質化して、相手に病をなすりつけるものだってことか」
「おそらくは。そして、その形──麻袋にも意味がある」
水瀬が、古い文献をなぞるように話し始めた。
「この地にはかつて、『袋刑』という非人道的な刑罰が存在した。
罪人自らに麻袋を縫わせ、その中へ生きたまま詰め込み、人里離れた場所に棄てる処刑法だ。
……ある時、一人の下女がその刑に処された。
彼女は無実を訴え続けたが、聞き入れられず、激しい恨みを抱いたまま袋の中で息絶えた。
──その女の怨念が、あの神社に巣食っていたのかもしれない
その女の霊は、この地方で『汚か知らサマ』と呼ばれてるみたい」
袋刑。自ら死出の装束を縫わされるという、残酷な最期。
あの袋の表面を叩いていた「何か」の正体が、鏡の脳内で形を成していく。
「……ありがとう。やるべきことは決まった」
「鏡くん、本当に一人で行く気? 僕も今から向かえば-」
「お前は貴重な休日を楽しんでろ」
鏡は通話を切り、ポケットの中で軽トラのキーを握りしめた。
駐車場へ向かい、使い込まれたキーを回す。
老朽化したエンジンが、主人の決意に応えるように力強く吠えた。
鏡の目は、もはや怯える無免許運転者のものではなかった。
「……待ってろよ、袋。今度はこっちが、お前をゴミ捨て場に放り込んでやる」
夜の帳が降り始めた道路へと、軽トラは再び走り出した。




