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暗黒への挑戦 その①

1

家族を交えた付き合いをさせてもらってる職場の先輩が居た。

独り身の俺を気遣ってか、先輩はことあるごとに食事に連れ出し、休日には自宅の庭で開かれるバーベキューに招いてくれた。煙に巻かれながら笑う先輩と、その横で肉を焼く奥さん、そして無邪気に走り回る息子の裕太くん。

その光景は、俺にとっての理想そのものだった。


何より、先輩は仕事ができた。常に営業成績はトップ。部下からの信頼も厚く、社内の精神的支柱とも呼べる存在。俺にとって、彼は紛れもない憧れだった。

 

自爆営業。


そんな言葉を、耳にしたことはないだろうか。

未達のノルマを埋めるため、架空の契約者の名を借り、自らの懐を痛めて保険料を払い続ける手口だ。


俺も新人の頃、その泥沼に足を突っ込んだことがある。

締め日が近づくと胃が焼けつくように痛み、毎朝、洗面台で胃液を吐いたものだ。

そんな自爆営業とは無縁だと思っていたあの先輩が、不正に手を染めていると知ったのはいつだったか。


確か、裕太くんが五歳の誕生日を迎える頃だったと思う。

完璧に見えた歯車は、そこから音を立てて狂い始めた。

あんなに幸せそうだった理想の家庭は、砂上の楼閣のように崩れ去った。


先輩は、自らの人生を捧げたその職場で首を吊った。

遺された白い紙には、ただ一言。「すべて自分の責任です」とだけ、やけに几帳面な字で記されていた。

重力に従って垂れ下がったその体は、会社という巨大なシステムが排出した廃棄物のようだった。

葬儀の熱も冷めやらぬ中、俺は上司に呼び出された。通されたのは、昼間だというのに薄暗い応接室だった。


上司は感情の抜け落ちた声で、淡々と条件を突きつけてきた。

自爆営業というシステムそのものについて口を噤むこと。

そして、会社の抱えた全ての不正を故人である先輩一人の責任として処理すること。

会社に残りたければ、この薄汚い筋書きを飲み込めと言うのだ。俺のような末端社員にメディアの取材など来ないだろうが、先輩と近しい俺への牽制であることは明らかだった。

その目は、部下の死を「損失」という勘定科目でしか見ていなかった。



数日後、我が社の不正は大々的に報じられた。

テレビの向こう側で、名前も知らないコメンテーターたちが企業の闇を面白おかしく叩いている。

だが、渦中にいた俺ですら知らなかった深い闇の底を、彼らが知る由もない。

ふいに、こみ上げてくる嘔吐感と共に、強烈な唾棄の衝動に駆られた。

違う……。先輩はそんな悪人じゃない。

彼こそが、自爆営業と、この会社という狂ったシステムの最大の被害者なのだ。


俺の中で、やるべきことは決まった。

やるべきことができた以上、ここに居る理由はもうない。

辞表を叩きつけ、俺は社屋の重いドアを押し開けた。

射し込んだ朝の陽光が、今の俺には痛いほど眩しかった。



2



──鏡宅。

いつものようにあくびを噛み殺しながら、昼起きる。

一応、連絡がないかと通知で明滅するスマホを確認するも、水瀬からのものは無い。

一条寺からのは何件があるが、まあいい。

安心して二度寝しよう。


スマホ片手にベッドに入る鏡。

彼の中には本睡眠と二度寝があって、本睡眠はスマホに邪魔されることなく寝る本質の睡眠。二度寝はいくらでもスマホをいじってもいいジャンク的な睡眠。

という2つの瓜分出来ない睡眠に関する掟があった。


今回は二度寝だから、スマホをいくらでもいじれる訳だ。

可愛いコーギーがお尻を振る可愛い動画とかを見ようかと、また画面を点灯させる。

すると、無粋なニュースが横から入ってくる。

邪魔だなと思う鏡でも、とりあえずは読んでみる。


『厚生労働大臣が行方不明に』


なんともよく分からない文字列が画面を賑わせてるではないか。

地位のある大の大人が、行方不明になることあるのだろうか。

誘拐、拉致。

鏡の脳内に解像度の荒い用語が走る。


まあいいか。

多少可哀想とは思う向きも無いではないが、今までいい思いをしてきた議員が多少苦しんでもどうでもいいし、水瀬は日本を官僚の国と評していた。

議員1人が居なくなろうが日本が終わるわけじゃあない。

議員なんてどうせ世襲だろうし。


いや……待てよ。

鏡はふと、指を止めた。

なぜ、朝から一条寺の電話が鳴り止まないのか。

なぜ、それなりに地位のある人間が、突然「行方不明」になるのか。

バラバラだったピースが、単純にして最悪な一点に行き着く。

その思考が結実したのと同時に、鏡宅のドアが外側から無遠慮に開かれた。






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