自由への旅立ち その②
3
「負けた。奴の蟻は2000万匹居るって。勝てんよ」
鏡の部屋にて、いつもの2人が集って部屋主がそう告げる。
一条寺は度々ある鏡の言葉足らずに辟易していた。
水瀬が流石長年の付き合いとばかりに、鏡の発言を紐解いていく。
そして、紐解いたのは、黒田の能力の全容。
奴の蟻は最強の能力者鏡烏でもどうにもならないという事実に2人は元から少し心にあった諦念を大きくしていった。
「……しばらく無職でもいいかもしれない。職を探しながらゆっくりします……」
「人生は長い。少しくらいゆっくりする時間があってもいいと思うの……。私もしばらくは書類仕事に従事するしかないみたい」
最初に諦めたのは鏡だったが、どうしても口惜しいのは、奴が、黒田が業績を残すことにより日本に無職が増えるということである。
ほぼ働かなくても良いことは自分の能力の特権であると感じていた鏡は、奴に挑戦され負けた構図となる。
「何かやれることはないか?」
と、珍しく殊勝な心掛けの鏡は聞いてみる。
「私は今、ただの編纂室長よ。佐藤くんに聞いて」
とだけ返ってきてあんなに熱血で常に諦めなかった一条寺がこれほどの諦念を持ってしまって、何となく悲しかった。
彼女は、いつもは背筋を伸ばしていた背中を丸め、熱血漢だった頃の面影を失っていた。
今日はここで解散となった。
チクタクと見てない間にも刻まれる、時計の針は10時を指している。
まだ眠るには早い。
警察署へ行くことにした。
4
バスを乗り継いで、署に到着した。
恒例行事のように、零課の警備員が重厚そうな門扉をギギギと開くのを見る。
錆びついた金属音が、鏡の神経を不快に逆撫でした。
たまには油を注したら良いのに、と鏡は思った。
零課の刑事の溜まり場へ行くと、佐藤悠真が出迎えてくれた。
相変わらず特徴のない顔をしている。
おそらく、雑踏に紛れさせて間違い探しゲームのようにしても、誰も彼を見つけられないだろう。
それ自体が能力じみていると鏡は感じた。
「鏡さん。お久しぶりです。
一条寺さんに辞令が出ましてね。お気の毒でした」
「それは本人から聞きました」
鏡がそう発言すると佐藤はすぐに反応する。
「そうですか。それなら話は早い。
制式採用されたサブヒューマン社の蟻が治安維持に大いに役立ってましてね。」
鏡は焦燥に駆られた。
当然のように半殺しにされたあの蟻がいるし、あの優しい佐藤刑事が黒田に懐柔されてるようにすら見える。
「それ……怖くはないんですか。蟻ですよ。
よく見たらドリルとか付いてる個体もあるし……」
アームや、基盤、コードで蟻を象ったかのようなロボットが怖くないのかと問われて佐藤はこう答える。
「良心回路が設定されてるらしくてですね。けっこう自我があるみたいなんです。
リーダーはこいつです。三日月みたいな傷跡があるでしょう。我々はこいつをクレセと呼んでいます。
機械の蟻は僕みたいに素質の無い人間にも見えるみたいです。ちょっと可愛くないですか」
"クレセ"は自分が呼ばれたのを理解して、無機質な金属音のような振動を立てて反応を見せる。
ジジッ、という電子音が、親愛の情を示すように小さく鳴った。
他のサブヒューマンと姿形はなんら変わらない。
佐藤刑事が事前に言っていた三日月の傷跡以外は。
クレセはその小さな体で鏡に挨拶をする。
腹肉を食い破られた思い出があったから、鏡は寒気がしたが、何の思い出もなかったら、すんなり順応していただろう。
一見可愛く見えるし。
「一条寺さんも、やり甲斐がない仕事に飛ばされましたが、これでもう、死ぬようなことは無いじゃないですか。
鏡さんは強いけど一条寺さんは索敵向けの能力ですし……」
と佐藤は呟くように言った。
「それより、サブヒューマンが加わったとて、仕事大変なんですよ。
鏡さんも手伝ってください。
これ予言の書とサブヒューマンを持ち運ぶためのリュックです。クレセも連れて行ってください」
いつもの予言の書が届いた。
サブヒューマンという邪魔な代物と一緒に。
鏡は、その機械蟻とリュックの重さを背負いながら、自分自身が零課の矛盾を背負わされているような屈辱を感じた。
リュックの中で動く金属の冷たい感触が、背骨を通して直に伝わってくる。




