時間を止めた男 その①
1
鏡烏は野球が好きだった。
野球好きと言ってもその人種は様々だろう。
国内有数のフィジカルエリート=野球選手の躍動をその目に焼き付けておきたい者。
OPS WHIP WAR etc……。指標と呼ばれる数字で野球選手を推し量ったり、美しい並びの打順を見て感動する者。
球場に足を運び、応援歌を歌ったりトランペットを吹いて感動空間を共有する者。
鏡はどれでも無いが、どちらかと言うと第三の男であった。
野球という日本最大級のコンテンツ。
そのコンテンツに大多数の人間が余暇を捧げているのが、良かった。
鏡はそもそも野球自体に面白さを感じたことは無かった。
あんなもの、棒振りすごろくだと誰かが言っていた。
その揶揄は揶揄に過ぎないが、けっこう的を射ていると思った。
それに、野球選手という存在にも疑念を抱いていた。
ボールを160km/hの速さで投げられるのは凄いことだし、それを打ち返せる動体視力や筋力は目を見張るものがある。
それは人間の限界を超えた、芸術的なまでの物理現象と言えよう。
端倪すべからざる身体能力だ。
それは認めよう。
だからと言ってそれに100万ドルも払う価値があるかと言うと、それは首肯できない。
社会を回してるエッセンシャルワーカーのほうがよっぽど凄いのに、資本主義社会ではベースを回ってるだけの野球選手の方が価値ある人間だ。となっているのがなにより許せなかった。
端的に言ってしまえば鏡烏は野球というコンテンツを「壮大な時間の浪費」だと考えていたのだ。
ただ、そんな無駄を共有する人間が多いという事実が嬉しかった。
気づけば今日も何もしていないという状況があっても、野球を見ている人が居るというその事実が、贖宥状的な言い訳に使えてしまっていたのだった。
数百万人が同時に無駄な時間を過ごしているという安心感が、彼の空虚な心を埋めていた。
今日もネットのニュースでプロ野球ニュースをチェックする。
贔屓のチーム、中部ゴールドスターズはまた負けていた。
ヒット6本で1点しか入らないし、投手有利な球場のくせに3点くらいは普通に取られる。
投高打低環境にあって最悪の負け方だ。
チームはまたいつもの負け方をしていた。
鏡がまだ幼かった頃、中部はセ・リーグ有数の球団であったが、チームは高齢化に次ぐ高齢化。
そして今の日本の惨状のようにチームは衰退した。
ネットを続けて閲覧すると、「無能監督辞めろ」だの「外様のロートル使うな。今年は捨てて生え抜きの若手使え」だのと、まあ何千回書かれたような意見が飛び交っている。
後者の意見はけっこう納得いくが、前者は同意出来ない鏡であった。
前年3年連続6位の監督を変えたのに、監督を挿げ替えた所で勝てない。
最近1人有望な選手が生えてきたが……。
中部ゴールドスターズは十数年続く暗黒期を迎えていた。
2
「なんかさ……ループしてない?」
ここ最近仕事に追われて忙しかった水瀬唯。
鏡と久々に会って、何時間か映画を見て、ふとそう口を開いた。
「ループしてるとも言えるし、言えないとも言える。大体ずっと寝てるのは同じだな。お前と見る映画とかが変わるだけで」
そう鏡は呟く。
「君がじゃなくて、世間が」
水瀬は"世界が"と言いたかったが、何となく恥ずかしかったので、世間がと脳内で瞬時に訂正して発言した。
「そうじゃないしそうじゃないとも言える。
俺等みたいな貧民は値上げに延々と苦しんでるし、流行り廃りが現れては消えて、世間てのはそんなもんだよ」
声色も態度も変えずに、鏡はそう呟く。
「わざとやってる?求めてるのはそういう答えじゃなくてさ──」
2人が言い合ってると、鏡宅のドアがこじ開けられるように開く。
「ループしてる……」
一条寺怜華はそう呟くと、居間のこたつテーブルに突っ伏して寝てしまった。
その動作は、電池が切れた人形のように唐突だった。
「寝ちゃった」
水瀬はそう呟くと、湯を沸かしに行った。
30分くらい経って起きた一条寺は、ひとまず珈琲を淹れてくれた水瀬に礼を入れた。
そこそこ冷えたそれを飲んで、こう続ける。
「ループしてる……いつも同じような仕事。
打ち明ける相手も居ない。謎解きと射殺。
ほんと浅はかな仕事。反吐が出る」
異変があったら駆けつけて、国のために確保、収容か射殺をしている女刑事だ。
病むのも無理はない。と鏡は思った
「その話はもうした。水瀬も仕事大変なんだって言ってた。まあ社会人にありがちなテーマなんじゃないの。最近仕事も誘われないし知らんけど」
「貴方を誘うような大規模な犯罪がないだけ。
平和なのはいいけどチンケな犯罪と安易なテロリズムめいた犯行しか起こらないからね。
1週間に1件を4週続けてるだけなのに……もう100体以上倒してる気がする」
「そういう事か。やっと納得がいった」
「1人で突っ走らないで。なんなの」
「野球見るんだ、俺。
それで数年前、贔屓にしてるチームに凄い選手が入ってきた。
ドラフト1位国際環境創成福祉大学の外野手芦名見。同い年だから注目してた。
当時は凄い選手が来たと鳴り物入りでプロ入りしたけど全く芽が出ず、そろそろ馘首を言い渡されるのでは?と言われたけど今年は妙に打つようになった」
「うーん。うまくなっただけじゃないの?」
水瀬がそう口を挟む。
「上手くなっては居ると思う……。ただ、こいつこんな成績だったかなぁって直感で思う所と違うんだよな。BABIPって野球の指標がある。打った打球の中にラッキーヒットとか運の要素がどれだけ有るかってやつだ。
俺の記憶だと今年の成績は上振れてて調子は良いんだけど運だけの打者って成績なんだったが、今、確認してる限り運の要素はむしろ下振れてる。真逆だ
あの芦名見が、まるで別人格の打者になったように感じる」
「記憶違いじゃないの?」
「まあ、記憶違いと言ってしまえば記憶違いだな。
だが、野球ゲームでかなり使ってたのも覚えている。その時、付いてた能力は確か"ラッキーボーイ"今は"アベレージヒッター"だ
奴が運営と寝たか、時間を操作してループさせてるか、全て俺の妄想か」
根拠は薄弱だ。
こんなもの素人探偵の浅知恵に過ぎない。
ただ、この男には能力があるし、今まで事件を解決してきた過去がある。
芦名見選手に話を聞いてみるのが良さそうだ。と一条寺は思った。
3
零課の強力な権限を利用して、取調室に芦名見を呼び寄せる。
野球選手らしい大柄な体型。服の下からでも分かる十分すぎる筋肉量。
鍛え上げられた肉体は、一般人とは骨格のレベルで異なる生物のようだった。
鏡から事前にホームランマシンといったタイプではなく、アベレージヒッター型だと聞いていたが、流石にアスリートなだけはある。
警察が野球選手を呼び出すなんて、オンラインカジノか、脱税した時くらいだろう。
日々の練習もあるだろうに……、全て鏡烏の妄想だったら申し訳ないなと一条寺は思った。
芦名見はプロ野球選手なだけであって嘘をつくプロでも犯罪をするプロでもない。
すんなり核心に迫ってみたら案外簡単に落ちた。
彼が"能力者"では無かったのは、電子犬を見せれば一発だった。
犬を見ても、彼の瞳にはただの困惑以外の光は宿らなかった。
どうやら彼には、タニマチのような協力者が居るようだ。
確認した所、"八丁味噌"というシンプルなハンドルネームらしい。
その"八丁味噌"と会える手筈を整えてもらって帰宅させた。




