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玩具のような振る舞いで その①

1

物心ついた時から、自分の名前が嫌だった。

星野阿含ほしのあごん。お母さんが今年再婚して、窪塚阿含になった。


アゴンなんて、学校に行っては意地悪な友達二人組にいじられる。

いじられると僕は学校で触れちゃいけない透明な存在になって、二人にいじられる時以外は存在してちゃいけない人間になるんだ。

教室の空気そのものが、僕を拒絶して薄い膜を作っているような気がした。


先生は僕のことを気にしないし、お母さんにも恥ずかしくて言えない。

それに新しいお父さんって存在もよくわからない。

僕に対して距離感を測りかねてる。前のお父さんみたいに酒に酔って殴ってくるわけじゃないから良い人だけど、どう接したらいいか分からない。


内憂外患。

内部でも外部でも大変な事が起きている状態。

そんな言葉を小説で読んだ。

自分が今まさにその状態にあると思った。


「おい、アゴン。すぐ偵察に行け!その下を歩けよ」

いつも意地悪してくる佐久間がお決まりのセリフを大声で言った。。

通学路に、さも子供にそこで遊んでくださいと言っているように、私鉄の線路脇のフェンスが破れている箇所がある。

2人はそこを指さしてその線路の下を渡れと言うのだ。


「無理だよ」と僕は言った。

前々から危ないと僕は思っていたし、鉄道会社はこのフェンスを塞げよと思っているのだが、佐久間はそれでも「渡れ」と言う事を聞かない。

僕は2人に殴られ掴まされて、渋々渡る事となった。


「遅い。蟹が渡るくらいの速度だな。

俺のおばあちゃんのほうが速いぞ」


佐久間はそれ自体、何でもないようにすっと渡り終える。

そして、僕をイジメてくるもう一人の木村も渡り終えると、一緒にいつもの公園に向かった。


公園に着くと、お爺さんが1人でぼーっと立っていた。

別にそれ自体珍しいことではない。

ただ、前のお父さんは「爺さん婆さんが病院を埋め尽くすとイライラする」と言っていたから、それは学校で習ったことと違うよと言うと僕をぶってきたのを思い出した。


しかしそれにしても、公園にいるお爺さんは妙だった。

床屋に数年行ってないんだろうなと察せられる白い長髪に、赤い野球帽を被り青と黄色のしましまの服を着ている。

何というかあまりに、お爺さんに似つかわしくない格好だった。

まるで絵本から飛び出してきたような、あるいは誰かが適当に塗り絵をしたような、現実感のない配色だった。


当然、体格のいい佐久間と木村はおじいさんを見て「あんなクソジジイの為に、お父さんが年金払ってると思うと腹が立つぜ」と聞こえるように言う。

おじいさんの身長は僕より少し高い程度、二人にとっては、絶対に襲われる事は無いという自信の表れに見えた。

その後も、散々あのおじいさんをネタにしながら携帯ゲーム機で遊んでいたら、段々と日が暮れてきた。


「君たち」

声をかけてきたのはあのおじいさんだ。

「なんだよクソジジイ」


佐久間が声を荒げる。

内心、何をされるか分からなかったから、この時ばかりはここに佐久間と木村が居てくれて助かったと思った。


「ベーゴマをしないか」

クチャクチャとガムでも噛んでいるのか、おじいさんが懐からベーゴマを取り出しながら聞き取りにくい声でそう言った。

夕焼けに、ベーゴマを持ったおじいさんの姿はお世辞にも映えるとは言えなかった。

本来の声の濁りとガムを噛む音が混ざっているおじいさんの言葉を聞き取ると、佐久間と木村はその場に笑い崩れた。


「ベーゴマなんてダセえよ」「兄ちゃんが昔やってたけどさ、もうやる歳でもないし。子供の遊びだろ?爺さんがやってどうするの」


佐久間たちは口々に言う。


「どの歳でも遊びは重要だよ。

遊んでられるから人間なんだ」


おじいさんが意に介さずそう続けると、

「言ってろ」「まあ、暇つぶしにはイイんじゃない?電池も無くなってきたし」

と、ゲームに飽きた2人は乗り気になった。


「たださぁ、ジジイとただのベーゴマ勝負するのもつまらないじゃん。勝ったら相手の言う事何でも聞くってのは?」「そりゃ、面白そうだ」

「いいよ。それで行こうか」


もし負けたら、佐久間たちはこの場から逃げるつもりだ。

最初からこの勝負におじいさんの勝ちは無い。

どんなにコケにされてもおじいさんは冷静に対処している。

佐久間と木村を誘わないといけないほど、遊び相手に飢えているのか……この人は、と思った。


おじいさんからコマを借りて二人は、臨戦態勢に入った。


「一本先取、場外と時間判定勝ちで、良いね?」

「それ以外あるのか?」


佐久間がその言葉を言い終えると、僕は3人の間に入り、審判役として合図を出す。


「レディーファイト!」


その日しばらく声を出してなかったから、声が裏返ったのが少し恥ずかしかった。



何より2対1だし、体格のいい2人ならコマにパワーも乗るだろうし、ベーゴマをそれまでやってきた技巧のあるであろうおじいさんでも苦戦するだろう。

2、3回のコマのぶつかり合いを見てそう思っていたが、おじいさんのコマはまるで意思でも有るように2人のコマの間をすり抜けて動いていく。


とうとう2人のコマ同士がぶつかり合い、両方とも場外へ落ちてしまった。

カキン、カキンと、乾いた金属音だけが寂しく響いた。


「死にかけのクソジジイが!まあいいや、俺達帰るから」

「そこで、死ぬまでコマ回してろベーゴマジジイ!」


おじいさんに2人の唾が飛ぶ。

完全に2人の負け惜しみだけど、真面目におじいさんの言うことを聞く道理はどこにも無い。

僕も帰るか……と帰り支度をすると、爺さんは「コマに成れ」とほとんど聞こえないような声で呟いた。

その言葉をなんとか聞き取れた僕は、おかしな事を言う人だなと思った。


ただ次の瞬間、その言葉の真の意味が分かった。

いつの間にか2人の足がコマの地面に接する部分に変質していたのだ。

人間の皮膚が金属的な光沢を帯び、鋭利に尖っていく。


「何しやがったこのクソジジイ!」

「戻しやがれこのクソジジイ!」


2人はまた口々に言うも、コマに変質した足なのでその場からは動けないし、おじいさんに手出しも出来ない。


「最初に約束を破ったのは君達だ。

言ったろ?何でも言うことを聞いてもらうって?君たちは身長が高過ぎるな。まあいい。審判をやってくれた子。おいで」


僕は蛇に睨まれたように、身動きが取れなくなった。

コマになっていく2人を横目に、なんとか僕はおじいさんのもとに歩いて行く。


プレス機にかけられたように圧縮されていく2人が、何というか惨めだった。

骨が砕ける音もしないまま、人体が不自然に折り畳まれ、凝縮されていく。まるで粘土細工のように。


「名前は」とおじいさんが尋ねる。

「アゴンと言います。窪塚阿含です」

つい答えてしまった。


これまで「いかのおすし」を守って生きてきたのに……。

「良い名前だ。ロジェ・カイヨワかな」

「カイヨワってのはわかりませんが、前のお父さんが、好きな漫画から取ったみたいです」

「そうか、どんな理由であれ、名前は大事にしなさい。ところで、話を聞いてるとこいつらに虐められてたね?」


おじいさんが完全にコマになった2人を指さした。

あっ……、この2人から解放されたんだなと僕は思った。


「こいつらはもう君に反抗してこない。

良いことだろう。君の為にしたんだ」

「ありがとうございます。この恩は忘れません」

僕は学校の授業よりも深く正しい礼をした。


「お名前は、お名前は何と言うんですか?」

僕は恩もあったので聞いてみることにした。

「月本龍聖。ただのベーゴマジジイさ」


おじいさん、……月本さんは屈託のない笑みでそう答えた。

その笑顔のシワの奥に、得体の知れない暗闇が潜んでいることになんて、今の僕は気づきもしなかった。


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