肥満天使 その②
3
共に死線を乗り越えた仲だ。
一条寺怜華は水瀬結も交えて後日3人で食事会を開く事とした。
一条寺は評判の良いレストランを選んだ。
けっこうな売上を誇るようで、オーナーは貧困層に向けて、その売上で慈善団体を立ち上げているほどだった。
地球を救ったのだ。これくらい良いところを選んでもバチは当たらないだろうと一条寺は思った。
そして、件の日が来た。
一条寺はスマホで鏡に連絡を取る。
「なんで来ないの」
「ごめん、寝てた」
こうなる事は短い付き合いの中で見えていたし、彼の親友である水瀬が事前に言った通りになった。
駅前の一等地。
ドレスコードがあるような店だ。
また、鏡がドレスコードに不釣り合いなコンビニ袋をぶら下げてきたから、一条寺は小言を言った。
安っぽいビニールの摩擦音が、静寂な高級街に無神経に響く。
粋な装飾で示された店名は「The Blue Hood」
ロックバンドの名前みたいだなと鏡は思った。
扉を開くと、
「一条寺様でいらっしゃいますね?本日は予約通り、貸切でございます」
と、ウエイターがうやうやしく答える。
10分遅刻を責めない。
人間が出来ているなぁと鏡は思った。
中で舞踏会でもやれるような広さの店だった。
当然のように床も壁も大理石がで張り巡らされていて、帝冠様式の神殿に行った時を思い出して、鏡と水瀬は若干鳥肌が立った。
一番目立つ所に、テオドール・ジェリコー作、『メデュース号の筏』のレプリカが飾られていた。
他の調度品も地味ながら雰囲気に合っていて、西洋料理を出すファミレスにしか来たことなかった鏡でも分かる。
ここを貸し切りにするのは相当予算が必要だろう。
人並みの気遣いを見せて「遅れてごめん。ここ高かったろ」と、言ってみる鏡。
「こんな時に金の話をしないでって言うべきだけど、コネでね。向こう側に通常料金で良いって言われたの。まあ気にせず食べましょう」
「そんなもんか……」
下世話な話をしていた一行に、オーナーの挨拶が入る。
「いらっしゃいませ。The Blue Hood支配人の佐川一益と申します。皆様には"本物"を提供すべく本日は、素材選びから調理まで粉骨砕身して挑んで参りました。
こんな事を言っては不躾でしょうが、御三方、世に居る金を持っているだけの美食家もどきと違って、気品と気骨がおありになる。
どうでしょう?どの店でも食べれるような二流品はいつでも何処でも食べられます。
文化資本が存在するように、食されるものにも、階級が有ると私は考えております。
どうです、本物は本物を食されては?」
佐川と名乗る男は高級レストランを経営するのに相応しい容姿と気品を兼ね備えていた。
然し、ステレオタイプな美食家に嫌悪を示しているようだ。
換言すれば"本物"とは美食家の自慰行為に過ぎない。
今はただ、普通に美味くて気品のあるコース料理を食べたい。
ただ、この世には世間体というものがある。
勧められた以上、これを断るのは勇気が要る。
一条寺は悩みながら断ってくれそうな鏡の方に視線を泳がせる。
「良いね。こういう店の本物とか食べてみたいし。この人のなら信頼出来そう」
この男……、何も気にしてないようで何も考えてないからこそ意外と権威に弱い。
それを忘れてた一条寺は悔しそうな顔をなるべく出さないように「私もそれで」と同意を示した。
「今回、コース料理では無く、私が選りすぐった珍味を最良のタイミングで出していくので悪しからず。それでは料理をお出しします」
佐川は3人とホールに一礼して出ていった。
靴音一つ立てずに消えるその身のこなしは、どこか現実離れしていた。
4
さぞ珍妙なものが出てくるのだろう。
一条寺と水瀬は警戒していた。
3分ほど待って出てきた料理はただその場に似合わない。
居酒屋でよく見る茶色いモツ煮込みだった。
ただ、漂ってくる湯気には、洗練されたソースの香りではなく、土臭さが混じっていた。
「これがおたぐりでございます。ご賞味ください」
佐川は笑顔を崩さず、食材とその場に満腔の敬意を払って紹介する。
鏡は気にせずヒョイっと口に入れる。
「ま、いいじゃんかこれ。ちょっとクセ有るけど」
しかしバカ舌の鏡と違って、育ちがよく舌が繊細な一条寺にはちょっとのクセどころでは済まない衝撃があった。
グニャグニャとした食感で、噛めば噛むほどクセが出てくる。
言語化できない野生の暴力に脳を揺さぶられた。
「おたぐりは信州伊那地方の料理です。
郷土でも好き嫌いが別れるようで、お察しの通り、モツ料理でございます。
古くから馬の産地だった伊那では、朝廷に馬を献上していたらしく、明治以後馬の腸の煮付けを食するようになったようです。
おたぐりの語源は腸をたぐり寄せて作ることからだとか。本日は本物を求める御三方の為に、上手く処理されてない食材を選んできました」
佐川は滔々と語らうと、また一礼して去っていた。
意外といける……か。
一条寺はその慣れない後味を覚えながら、何とかそれを飲み込む。
喉を通る際の生々しい感触が、食道の粘膜を撫でていく。
もしかして、佐川というオーナーに今後もヤバいものを食わされ続けるんじゃあないかと虫の知らせを感受していた。
次に佐川が持ってきたのは、厚い緑色の葉だった。
これは何処かで見た事ある。
「サボテンじゃね」と鏡が呟く。
「その通りでございます。サボテンはわがA県でも栽培しておりまして、良い食材なのですよ」
佐川はペルソナでも被ってるようなその笑顔で答える。
おたぐりの件でこの人に信頼出来なくなった一条寺だが、サボテンなら食材としても聞いたことあるし不味いってことは無いだろう。
一条寺はサボテンのステーキを恐る恐る口に運ぶ。
ナイフを入れると、ネバついた透明な汁が糸を引いた。
ぬめりがあるが悪くない食感だった。
青臭さと、酸味と、えぐみが口中に広がるが、決して厭ではない。
端的に言えばアロエのようで美味しかった。
「いいじゃんこれ」
「光栄にございます。サボテンは健康食材としても優れており、サラダにしたりタコスにしたり、ソテーにしたり、と用途にも富んでおります。流行ってほしいんですがね……」
この男、意外とまともなのか……?
一条寺は残りを平らげながらそう考える。
佐川はまた礼をしてその場を後にした。
その背中を見送る鏡たちのテーブルには、奇妙なほど重苦しい沈黙が残された。




