肥満天使 その①
1
典型的なミニマリストという感じの鏡の部屋の扉が開く。
生活の匂いが希薄な、まるでモデルルームの抜け殻のような部屋だ。
闖入者は一条寺怜華。
どうやら探偵に新しい任務があるようだ。
鏡は一条寺のその腹に据えかねるものがある顔で分かった。
「なんで携帯出ないの」
「寝てた」
「携帯電話は携帯しとけって毎回言ってるでしょ。電池切れてるし」
女刑事が、鏡のスマホの電源を確かめると、画面に電池のアイコンが明滅する。
「どうせ敵が出たとかだろ?俺はこの前、世界を救った余波で能力使えなくなってるんだよ。Blueskyは出せるけど、世界改変はたまにしかできない。だから……あれだな。調子良い日は出るみたいな感じ」
この状態の鏡でも弾除けにはなるし、話によれば彼は王の能力の余波で、瀉血しただけでも回復する異形の体になったのだ。
いくらでも使いようはある。と、一条寺は思った。
「少しくらいは俺に休息をくれよ。海外とかだと1週間働いて1週間休むとか聞くぜ」
「もう1ヶ月も休んでるでしょ。いいから来い」
きっとこの男が死ぬことは無い。
女刑事はため息をつくと、無理やり鏡の手を引っ張って家を出た。
2
2人が乗る捜査車は表通りの目立たない場所という、やや撞着した所に停めてある。
都市の喧騒と静寂の狭間、エアポケットのような路地だ。
「それで、何のためにこんな所に居るんだっけ」
一条寺怜華は大きなため息をつけて、口を開く。
「じゃあもう一度だけ説明するわ。10月のイベントと言えば?」
「今って10月だっけ。9月だと思ってた」
「勿論、ハロウィンよね。今では説明不要の仮装するイベント」
鏡を無視して話を続ける一条寺。
「能力を持った奴は私も、貴方も含めて世の中のはみ出し者」
一条寺は貴方と発音した際に、鏡に指を指した。そしてこう続ける。
「大方がこういうイベントを蛇蝎のごとく嫌う。そこまでは分かるわね。……まあ、貴方みたいに無頓着なのも居るけど……」
「これが俺の性だ。仕方ない。それで?」
「ハロウィンのお祭り騒ぎに乗じて大衆を攻撃しようとする奴が出てくる。それを私達で警備して止めるの。まあ交代制だけど」
「なるほど、理解した。たとえば、ああいうのとか?」
鏡が指を差した先には大衆の騒乱が見える。
仮装した亡者たちが練り歩く、極彩色の百鬼夜行。その一角が悲鳴と共に崩れた。
「弾けろ。-Bad Apples-」
男は、黒ずんだもの……黒ずんだリンゴを路地裏にたむろする雑踏に叩きつける。
リンゴの出す瘴気に触れた人々は次第と触れた箇所から壊死していく。
甘ったるい腐敗臭と共に、アスファルトすらドロリと黒く変色していった。
「吹き飛ばせ。-Dead Horse-」
また別の男が、ゾンビのように生気のない馬数頭を何処かから呼び出し、大勢の轢殺を試みている。
継ぎ接ぎが見えて明らかに何頭かの死体を組み合わせたような馬が、一条寺には気味悪く思えた。
腐肉と機械を無理やり縫合したような、醜悪なフランケンシュタインの馬だ。
「うわ、殺意マシマシだな。なんにそんな怒れるんだ。あれか、他人の幸せが許せないやつか」
「そんな事言ってる場合じゃない。リンゴの方を頼むわ」
鏡と一条寺は捜査車のドアを開け急いで降りると、鏡はリンゴの男、一条寺はゾンビ馬の方へ急ぐ。
「-Alpha Dog-」
一条寺の呼び出す電子犬が一度吠えると、ゾンビ馬の男の脳内物質を操作し、男の欲求を2分割させる。
すると、男に一瞬の隙が生まれ、その眉間にニューナンブの9mmの弾を撃ち込む。
一条寺のいつもの戦法だ。
たまに、極稀に、精神力が有り余っているような化け物には効果が無く、負けてしまう。
この男……、能力は悪用するしか無い程凶悪だが、よくいるチンケな悪党に過ぎない。
多くの人をゾンビ馬で轢殺するような奴は、どんな理由があっても殺されて然るべきだ。
脳漿を撒き散らして倒れる男と共に、死体の馬たちも泥のように崩れ去った。
鏡の方は勿論終わっているだろう。
女刑事が鏡の方を振り向くと、クラスの一軍主力が全て抜けたドッジボールのように苦戦していた。
「何してるの」
「俺が直接殴ると、こいつ死んじゃうだろ。多分。こいつ、俺と同じくらいヒョロっちいし。こんなクソしょうもない、馬鹿しか騒がないようなイベントを憎む理由がある筈だと考えると、いたたまれなくなって……。あまりに哀れで感情移入しちゃった。ごめん」
鏡が少し涙目になっているように見えた。
また、彼の悪癖が出た。
「あなた、奴の能力にやられて両手両足腐ってるわよ。そのままだとあなたが死ぬ」
鏡の指先から黒い斑点が広がり、肉がボロボロと崩れ落ちていく。痛みよりも先に、自分がモノに変わっていくような不快感が襲っていた。
「俺のはほら、能力で治せるし……。あと、マゴットセラピーとかもあるだろ。すごいよね現代医療は」
女刑事は本日何度目かのため息をつき、鏡に指示する。
「なら、奴の動きを止めて。殺しはしない」
「それなら楽勝」
鏡は魁偉な青い男をそこに顕現させる。
「お前ら、うるせぇんだよ。特に女。顔から腐るといいさ。そんなにキレイに作ったお前の親を恨め。-Bad Apples-」
一条寺の顔目掛けて腐ったリンゴが放擲される。
ワンテンポ遅れて、鏡はリンゴ男を-Mr.BlueSky-で拘束する。
一条寺は自らに向かって来るリンゴごとリンゴ男の肩を撃ち抜いた。
女の顔に向かうはずだったリンゴは地球の引力に従い地面に落ちて、アスファルトをドロリと腐敗させる。
リンゴ男は肩を押さえその場に倒れ込んで呻いている。
「これで一件落着」
「悪かった。悪人に感情移入しちまって。
あんたの顔、腐っちまうところだったし」
「もう良いの。疲れたし、食事に行きましょう。遅くなったけど地球を救ってくれた労いも含めて。その男の応急処置をしたらね」
鏡の腐敗した両手両足は、瀉血により元に戻りつつある。
改めて自分は化け物になりつつあるなと思った鏡だった。




